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あいさつが怖い日

母の仕事場に高校を卒業したばかりの子が入ってきたらしい。んで、その子はあいさつができないんだと。
マナーがなってないよねって、皆に言われているらしい。
私も高校生の時、あいさつが怖かった。今は全く怖くないけどね。

あいさつが出来ないと悩んだことがない人は幸せ者だ。あいさつが出来ない人たちは、挨拶をする気がないのではなく、本当にできないんだ。

あいさつをすると、自分の存在を知らしめて認知してもらえる。挨拶された方もまた、存在を認められる。
あいさつができない人は、「自分の存在を知らしめて認知してもらうこと」に対してハードルを抱えているから、あいさつができない。

これを、マナーがなってないと片付けるのが嫌いだ。
むしろ他人のことを死ぬほど意識しまくってるからあいさつできないのであって、他人のことなんてどうでもいいからあいさつしない訳じゃない。
マナーを引き合いに出すのは、的外れもいいところなのである。

あいさつ怖い問題の解決は、自意識過剰だと気がつくところから始まる。
他人から見て自然なのはあいさつをする方だ。あいさつをする方が自然なので、自然なことをした方が他者に意識されずに済む。
自分のあいさつ程度で物凄く調子が狂ったり、影響を与えられると思う方が傲慢なんだ。

ではどうしてあいさつ出来ない人達はそんなに他人が怖くて、遠慮してしまうんだろうか。
それぞれきっと、自分が生きていなければ、存在しなければと思うような体験をしてきている。
自分があいさつするだけで気分を害する人がいると思ってしまうくらい、怖い思いをしてきてる。

あいさつで1度も悩んだことがない人は幸せだと思う。無意識のうちに自分を認めてくれる人達に囲まれて、自分が相手を認めることで傷つけるなんて卑屈な発想に到らないんだから。

ありがとうやごめんなさいって言葉がある。
ありがとうやごめんなさいが言えない人も、それを言ってしまったら壊れるくらいプライドが脆くなっているんだ。卑屈で、自意識過剰で、自分の存在なんて…と思ってしまう。

だけど、配慮なんていらない。
ありがとう、ごめんなさい、あいさつができないことで相手のことを認めないわけだから、そりゃ嫌がられて当然だ。
でも、メカニズムがわかると余計に傷つけないで済むよね。どうせ人が怖いなら言い訳ぐらいしてみた方が良い。

人間らしく生きるというのは、多分けっこう難しい。
何も考えずにあいさつするみたいなことですら、考え出したらむずかしくなる。
考え出してしまった時は、客観的に見て気分が良い方やナチュラルな方を選ぶと良い。
あいさつはした方が自然だし、なにかしてもらったらありがとう、なにかしてしまったらごめんなさいって言った方が気分が良い。

人間らしくあるというのは人と向き合って生きていくことだけど、向き合いすぎると詰んでしまう。
特に自分とは向き合いすぎないことも大切だなぁと思う。
考えない、考える時は自分だったら…はそこそこにして、この場において自然な人の動きとは…って考える。自然な動きが自然なのには理由がある。
多分、演技とかってこうやって勉強するんだろうね。

怖いんだよね、人に意識されるの。でも人から見たら今のあなたの方が違和感あるし目立つよ。
貴方が誰かに認められるとき貴方も誰かを認めてるんだよ。貴方が認められることを放棄する時、貴方は誰かを認めることを放棄してるんだよ。
傷つけたくないなら認める動作をしよう。行動だけが全てだよ。
傷つけられたくないなら、まずは自分をいっぱいヨシヨシしてあげてね。

頑張れ、少年~!!


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