己の感想でうまい酒を作ろう
ノートが一気に13ページ消えた。1日1ページずつ使う決まりの読書ノートが、である。
対談イベントに行ってきた。気になっていた書評家さんと、大好きな哲学者さんのタイマンイベントだ。「絶対おもろいやつやん!」とウキウキで向かい、ウキウキしすぎて2時間前に会場へ着いてしまったため、近くのコンビニでアイスコーヒーを啜りながら頭を冷やしたりしていた。
内容はというと、期待通りに面白かったし、期待以上に持ち帰るものが多かった。そんなイベントでした。
この会は、書評家さん、改め三宅香帆さんの新著『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しか出てこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』(通称『推しやば』)の刊行を記念し、企画されたものだという。であるならば、私もこのイベントの感想を「やばい!」で片付けてはなるまい……そう思いつつ、実は既にSNSで言ってしまった。「やばい!」と。
「やばい!」と、すぐに吐き出さないと、せっかくのこの興奮が腐ってしまうような気がした。
新鮮な感想の保存方法
感想には、鮮度がある。
少なくとも私はそう思っていた。私たちは、何か素晴らしいコンテンツが世に出たとき、まるで徒競走のように、みんなで一斉に興奮をSNS上にぶちまける。「やばい」でも「泣ける」でもいい。SNS上の"私たち"みんなで共有している言語で、いかに狂うか。その瞬間風速をいかに上げられるか。それが楽しいんじゃないか、と。
『推しやば』は、文章術と言いつつも、その中身の1/3以上を「推しを語るための準備」に割いている本だ。文の書き方そのものよりも、重きを置いているメッセージが別にある。
それが、「自分の意見を他人に乗っ取られないようにしよう」だ。三宅さんは『推しやば』の中で、繰り返し、繰り返しこのフレーズを書いていた。
では、自分の意見を他人に乗っ取られないようにするには、どうすべきか? ひとつの方法として、本で挙げられていたのが「自分の感想をメモするまでSNSを開かない」である。うーん……き、厳しい……!
せっかくこんなに面白いイベントだったのに!? 今すぐにでもこの感動をSNS上のみんなと分かち合いたいのに!? イベント終了後、私の胸中は荒れ狂っていた。しかしとりあえずの妥協点として、今回は「やばい!」と書いて終わってみることにした。書くだけ。SNSは見ない。
代わりに、読書ノートに全部書きつける。何が良かったのか、どこに引っかかったのか。自分自身の経験をもとに細分化していく。『推しやば』の手法に則って、自分の感想を文章にしてみる。
腐らせたもの、守りたかったもの
私のnoteを読んでくださっている方には、いわゆる「オタク」な人が多いと思うのだけれど(違ったらごめんなさい!)、こんな経験が一度はあるのではないだろうか。
例えば、めちゃくちゃ良いコンサートに行ったとき。めっちゃ良くて、「良かった!」と思って、あそこが良くてここも凄くて……とSNSで言い合っているうちに、一体自分は何のどこに惹かれたんだったか、わからなくなったような経験が。私は何回もある。
そうなるのはたいてい、自分より「うまい」感想文を見かけたときだ。細かいところまで書き出す記憶力や描写力。思わずわかる、と頷きたくなるような表現力。あるいは感想を裏打ちする知識の豊富さ。
「うまい」感想文を書く人って、どんなところにも必ずいて、そのたびに私は打ちのめされたような気分になる。そういう人は往々にして、書くスピードもずば抜けているので、SNSを見ると必ず目に入るのだ。そして恥ずかしくなるんですよね。まるで自分の気持ちが足りないような気がして。
だから恥ずかしさを誤魔化すために、私は毎度スピード勝負に出る。「やばい!」「すごい!」「泣ける!」を連呼して、自分の興奮ごと煙に巻く。それはオタクとしての、いっぱしのプライドだった。
果たして、本当に”腐った”ものはなんだったのだろう。その場で感じた興奮か。それとも熱量か。あのとき私が腐らせたのは、コンサート会場で憧れの人を目の当たりにしたときの、素朴なうれしさではなかったか。
己の感想でうまい酒を作ろう
話はイベントへと戻る。終始楽しげにトークをされていたおふたりだったが、三宅さんの言葉尻にほんの少し切実さが滲んだ瞬間があった。
「最適化された文体(いわゆる”バズ文体”)に寄せられることで、その人自身の言葉が塗り替えられる」ことに対する悲しさを、三宅さんが語ったときだ。しかも、これは意識的にやっているわけではなく、無意識にそうなってしまうものだという。
今なら、その悲しさが実感を伴ってわかる気がする。
文脈は異なるが、同じイベント内で谷川さんが「自分の心を透明化すること」の危うさについても触れていた。バズ文体に寄せられて自分の言葉が塗り替えられてしまうことと、自分の心を透明にして、明けすけに見せること。何でも他人とシェアすることができる現代だけれど、誰にも触れさせずに、守るべきものもきっとある。そうしたいと思ったとき、その権利は、誰にでも等しくある。
今はフレッシュな感想も、大事に取っておいて、うまく育てることができたらきっと腐らない。よく熟成させたら、いつかうまい酒になるだろう。そうやってできたお酒を、みんなで持ち寄って酌み交わすのは、今よりもっと楽しいかもしれない。
もし、今この記事を読んでくださっている人の中で、私と同じ悩みを抱えたことのある人がいたら、ぜひ一度『推しやば』を手に取ってみてほしい。三宅さんの温かくて力強い文章に、きっと背中を押してもらえることと思う。そして私と一緒にうまい酒を作りましょう。
今日もお気に入りのシードルがうまいぜ!
余談ですが、対談イベントのアーカイブは9/10(日)まで購入できるそうです。興味のある人はぜひご覧になってみてくださいね。