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愛し合うってなんだろう


サマーソニックのRina SawayamaのライブでのMCがTwitterで目に飛び込んできた。


僕はこの映像を見て目頭を熱くした。
最近、LGBTQの友人とセクシャリティについて話す機会があって、それ以前から自分のセクシャリティに対して疑問や違和感を抱いていたものがすこし靄が晴れたような感覚を覚えた。

小さな頃から祖父母や両親から「男なんだから〜」的なことを常々言われてきて、今思い返してもすごく窮屈な思いを抱きながら育った。
今こうして表現活動をする上でステージに立つ際は必ずメイクをして中性的(この言葉もどうかと思うが)な衣装を着てパフォーマンスする。
それに対して家族はどう思っているのか知らないが、自分の過去と今を表現するひとつの手段にメイクは必要不可欠だからしている。

話は戻るが、その友人はノンバイナリーでありパンセクシャルであることを教えてくれた。宇多田ヒカルのおかげもありノンバイナリーという言葉が広く知れ渡ったと思うし、実際自分も言葉の意味を深く知ったのはそのタイミングである。パンセクシャルについてもその時詳しく教えてくれた。ここで上記のワードを解説するのは野暮なので割愛します。

自分はと言うと、人並みに恋愛して彼女もいたことがあったが“女性だから好き”とかそういう感情で付き合っていた訳じゃないことに最近気づいた。それだけじゃなくて“愛する”ということが正直いって深くわかっていない。男性を恋愛対象として好きになったことは無いけど性別関係なく美しいとかかっこいいとかそういう感情は抱くし、もしかしたら今後そういう感情を抱くかもしれない。
あとひとつ問題なのは自分の性自認がよく分かっていない。男性なのか、女性なのか、はたまたノンバイナリーなのかも分かっていないしどう思われたいかと考えても、そこはどうでも良くて自分は自分らしくありたいだけ。

でもその友人は僕に対して「不確定なままで、曖昧なままでいいと思う。」と言ってくれた。僕はこの言葉で救われたと言うと大袈裟だけど疑問がひとつ解消したような気がした。
「じゃあ俺は俺のままで居ればいいのか。ただそれだけじゃん。」と思えるようになれた。

今日本に強く根付く同性婚問題、Rinaも言っていたが愛は愛であるしどんな人でもその愛が認められないことは悔しいし、悲しいってことは容易に想像がつく。
考え方が合わないのは世代だけじゃなくて、受けてきた教育や育てられた環境で生じるギャップでしかないし、それを受け入れなくても認知して無関心でいることも出来るはずなのに攻撃をしたり故意に人の心を傷つけようとする人はどうにかそのパワーを他のとこに向けて欲しい。


「リズムに合わせて呼吸を合わせて“やっぱ合わないな”ってところを愛すのさ」

僕の好きな歌の一節です。


長々と書いた上にとっ散らかった文章ですが、一人一人思いやって想像力を持って生きていきたい。それだけで十分。

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