失った表現、無駄の中にある豊かさ


僕は今ベーシストとしてバンド活動をしていますが、ベースを始める前からピアノをずっと弾いてた少年でした。

物心ついた頃から姉がピアノを習っていて、競争心が先行して一緒に習っていました。
その当時習ってたどの習い事よりもピアノが自分の居場所を感じてたくさん弾いてのめり込みました。
大学の入学試験も実技はピアノで受けたし、実家を出るまではほぼ毎日触ってたと思います。

一人暮らしを初めてからピアノを持って来れなかったので、作曲用の小さい鍵盤はあるにしろ作曲や編曲時の音色確認にしか使わず2年近くピアノを弾いてないです。
正確には今活動してる紫牡丹というバンドの「生海」という曲をライブで演奏する時にピアノを弾きましたが、歌の伴奏を弾くだけなのでソロでクラシックの曲を弾く機会が奪われたまま時が過ぎていきました。


今でもショパンやリストを家で聴くし街で自由に弾いていいピアノを見つけると弾きたくなる衝動に駆られます。
ベースよりもずっと前から触ってきた楽器、自分のアイデンティティのひとつだったはずなのに薄れてしまって、好きなものだったはずなのに疎遠になってしまった。

(一応僕が今まで演奏してきたなかで一番好きな曲を載せておきます)

合理的で整然とした暮らしを求め過ぎた結果、居住スペースを広く保とうとし過ぎたから安い電子ピアノを買って家に置くという意識がほとんど働かなかった。

もっと無駄で感情的な暮らし方をした方が心が豊かになるんじゃなかろうかと思い始めてる次第です。

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