鏡の中のボレロ 【物語】
踊り部の夏合宿に部員でもない僕が駆り出された理由はよくわからんが、親友の渡が熱心に誘ってきたので参加している。
「おまえ、自覚ないのか?」
「何のことだ?」
「おまえはな、片足に重心かけているだけで絵になる男なんだよ!」
パンパンッと部長である彼が手を叩くと、爪先立ちでスススと男子部員五名が集まってきた。
「踊り部の精鋭達よ! この鏡館は圧巻だろう」
「まさに、我々の求めていた環境です」
渡が「うむ」と満足げに頷く。
「踊り部が目指す美しいポージングを極めるのに、ここはもってこいの場所だ。鏡館だけあって鏡には事欠かない」
ホールを見回すと、窓以外の三面は全身が映る鏡張り。廊下にもズラリと様々な額の鏡が飾られていた。
「彼はご存知、櫻葉だ。各自こいつの所作や佇まいをよく研究してくれ」
「僕?」
「櫻葉先輩、勉強させていただきます!」
◯
部員達はクラシック音楽に合わせ手足をしなやかに動かし始めた。鏡に向かい、流し目や物憂げな表情を作っている。タイツがユニフォームとは……
僕は目のやり場に困り、開け放たれた窓に腰掛けて眉間を押さえた。
「櫻葉先輩、美しい」
「見事なポーズだ」
彼らが次々と眉間に手をやり出す。
暫く練習風景を眺め、義理をギリ果たした頃合で所用だと言って逃げた。
◯
外に出ると、木々から聴こえる鳥達の囀り。それはフルートの調べを思わせ、森をゆく僕を回想へと導いた。
装着したヘッドホンから流れるのは、ラヴェルの『ボレロ』。
吹奏楽部に所属していた高二の頃、僕は三年生を差しおいてコンサートマスターに抜擢された。コンマスは顧問のいない時に基礎練から曲まで指揮を振る。しかもあの夏のコンサートでは、トロンボーンのソロも任されていた。
部員からは「顔がいいと得だよな」と嫉妬の目を向けられた。
ポケットから手鏡を取り出し顔の前に構える。
繰り返されるボレロの主題。
暗譜した唇は震え、旋律を奏でる。楽器を吹くイメージをして唇の型を鏡で確認しないと気が済まない。同時に右手は指揮を振っている。
頭の中はグシャグシャだ。それでも、曲を最後まで聴かなくては。
眩しい……。
空から光が降り注ぎ、スポットライトとなって僕を包む。
「櫻葉、戻れ」
僕を探しに来た渡に肩を叩かれ、ハッとした。
◯
「鏡館のオーナーは、かつてミュージカル俳優だったそうだ」
鏡館は、渡家の隣に住むその人の別荘らしい。
「鏡は姿形を映すだけでなく、その時の心模様をも映し出す。僅な心の動きも見落とさぬよう鏡を収集した。そうオーナーがおっしゃっていた」
僕の頭には、まだあの夏のボレロが流れていた。
「指がリズムを刻んでいるな」
「え?」
「おまえは何かを表現せずにはいられないんだ。さあ、来い!」
扉が開き、踊り部の面々が期待に満ちた顔で僕を迎えた。
「踊ろう!」
戸惑う僕を渡が引き込む。
ボレロがかかり、皆が踊り出す。
ええい、ままよ!
鏡に映る僕の全身からは、得体の知れぬ輝きが滲んで見えた。
~了~
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