桜化粧と曇り空【物語】
駅前の目抜通りは桜並木。でも小春は電車通勤ではない。今日は平日休みだから、運転して桜でも見に行こうかと思っていた。なのに、カーテンを開くと、朝から憂鬱なグレーが目に飛び込んできた。
雨の残る曇り空。電線には、少し濡れているキジバト。前の家の乾かぬ屋根瓦。
ブルーだ……。そして全てがグレーだ。
気を取り直し、先週買った桜色のチークを化粧筆にとる。ところが、ファンデをつける前に頬に塗ってしまった。
あーあ、と、小春は苛立ちを声に出した。
おもむろに筆をパレットに押しつけ、今度は顔中に筆をくるくる動かし、自分が桜色になってみた。
すぐにメイク落としのシートで拭き取る。
桜はいつ散るだろうか。
タイムリミットを前にした小春はモタモタモタモタ、自分を焦らす。
来週にはだいぶ散っているんだろうな。
スッキリ晴れた青空をバックに、満開の桜を見れていたら違ったかもしれない。しかし、今年はまだ雨の日か夜に咲く桜しか目にしていなかった。
もう一度、鏡に向かってみる。下地を塗り、ファンデーションを重ね、アイメイク、眉を引き、ピンクの薄づきリップをつける。
さて……。
流れで、勢いで、チークを目の下にのせれば終わる。
やめておけばいいのに、窓の外へ視線を移す。
相変わらずの曇り空。
化粧筆をタンッとテーブルに置き、トイレに入って「わっ!」と大きく叫ぶ。
馬鹿みたいだ。
だってさぁ、何のために化粧なんてすんの。
見る人なんていないのにさぁ。
トイレから出てベッドに寝転がる。
すると、シーンシーンシーンと耳の中の音が聞こえてきて、深海に沈んでゆく自分が頭に浮かんだ。
小春はぎゅっと毛布を自分の身体に巻きつけ縮こまった。今度は、桜餅になった気分。
やっぱり桜なんだよなぁ。見ないとなんだよなぁ。
三度目の正直で、最後と決めて鏡の前に座る。
あとはチークをのせるだけ。せっかく買った桜色のチークを。
くるくるくる。果たして小春の頬に、春の色が浮かび上がった。可愛いじゃん、とチークを褒める。
昨日、コーヒーをこぼした。
雨だったし気温も低かったので、洗濯機は回していない。着ていく服がない。夏物のパンツを履く。接触冷感のパンツだ。寒い。再びベッドにダイブし、誰にも向けられない死んだフリをする。息も止めてみる。苦しい。頭が痛い。
こうしている間にも、桜は開き、そして散る。
うたた寝してしまった。目が覚めたら、もう夕方だった。もはやうたた寝ではない。小春は吐きそうなほど悔しくなった。
結局、ずっと曇り空は続いていたようで、朝とはちょっと違うグレーが窓の外に見える。
小春は接触冷感のパンツはそのままに、上にはセーターを着て、冬物のコートを羽織った。そしてついに、車のキーに付いた鈴が鳴った。
駅前の目抜通り。桜のトンネルの下をゆくベージュの軽ワゴン。ルーフに花びら音もなく落ちて、桜とはまるで関係ない、昔のユーミンの歌を口ずさむ彼女。
信号待ち、やがて青。どの車もユルユル走り出して桜を眺める。
桜色のチークは、恋をしたかったから買った。のではない。誰かに見せたいとも思わないし、自分に似合っているとも思わない。
でも、曇り空のグレーと桜の薄いピンクは、意外と相性がよい。ユトリロの絵と、ここ最近の私くらい。
~おわり~
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🌸
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