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読んでいる詩たち。これから読む詩たち。

今、読んでいる詩たちと、最近読み終えた詩と、これから読んでいく詩たちをただ紹介するだけの記事です。純文学から現代まで。


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今は中原中也の詩集と、ランボーの詩集を読んでいる。

恥ずかしながら名前くらいしか知らなかった文豪の作品を、ちゃんと読んでみようと思った。詩集はこれまでも何度か挑戦したことはあったが、やはり何かの作業の合間を縫って読むものでないと改めて気づかされた。

本と向き合う時間が確保されたときに、詩は読むことができる。

詩集を読むコツがなんとなくわかってきたかもしれない。

中原の詩集の中で『生い立ちの歌』は読んでいて心地よく聞こえた。

天気の現象を自身の生い立ちと繋ぎ合わせて、言葉数は少ないのにすごく丁寧に表現されているのがわかる。同じ経験をしても中原のようには書けないだろう。繊細な感情を表現できる言葉を知っている。そんな気がした。

対してランボー詩集は、読んでいて凄まじい力強さを感じた。ランボーの抑圧された、力強い感情がドストレートに訴えかけてくるのだ。「!」を多用しているところもそう。僕は生きたい、生きている、ここにいる!そんな風に、とても強い存在感を放っているように思った。ランボーも同じく、独特な言い回しを繰り出すのが上手い。さすが詩人。

真の詩人をみた気がする。


星善博の『水葬の森』を最近読んだ。

子供の頃、一緒に暮らした家族の記憶を書いた詩。母が子供を産み、その子供がまた子供を産む。歴史は繰り返し回る中で、死んだ先祖とも深い繋がりがあることを、重厚な言葉で教えてくれる。

「変わらずにこの家の重しとして息づく深い森のような存在 仏壇」

この一文は特に素晴らしいと思った。鳥肌ものだった。

「存在」の次、あえて一呼吸を置くように「仏壇」と締めくくる。これだけでゾワゾワした。仏壇を重しか・・深い森か・・しみじみ家の仏壇と重ね合わせると、共感しかない。増えていく位牌はきっと森のように鬱蒼と、そして重しは厄介にも代々へ継がれていく。感服した。


これから読んでいく詩たち。

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暁方ミセイの『ウイルスちゃん』

茨木のり子の『倚りかからず』


中也賞を受賞した詩はできる限り読んで参りたいと思う所存。詩ってやはりいいですね。本当に。短い言葉の中にずっしりと生を感じます。ただの言葉ではないような気がしてなりません。


お勧めの詩集があればご教示いただければと思います。


今日はこれにて。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

「スキ」してくれた方にコメント入れたいんですが、私のレベルじゃまだまだなので頑張ります・・!皆さんにコメント言いたいですし。







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