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国家規模の企業研究所でのインターンが僕のキャリアに与えた影響について

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 上の画像はECCV 2012のオープニングの様子である。解像度が悪くて申し訳ないけど、Flashが入っていないと見られない位いにしえの動画なので許してほしい。このスライドは、コンピュータビジョンのトップ会議の一つであるECCV 2012で発表された論文の国家ランキングである。国家ランキングはどうだったかというと、当然のように一位はUSA(左上)であり、二位は今なら中国であろうがこの時はドイツだった。そして四位が英国である。三位を飛ばしたって?いや、国家ランキングならこれで間違っていないんです。

 第三位だったのはMicrosoftでした。

 2012年のECCVというと個人的にはヒントン(のところのクリジェフスキー)に敗れた記憶が強いのですが、もう一つこれに並ぶ衝撃がこの国家規模な企業研究所の存在です。MSRは何かいつもたくさん発表しているなー、とは思っていたのですが、改めてこうやってパーセンテージ付きで出てくると笑うしかないわけです。実際、運営委員会もジョークとしてこういう集計したんだと思う。

 どうも牛久です。noteは下書きしか書いたこと無いのですが、初note兼初Advent CalendarとしてMicrosoft Research Internship アルムナイ Advent Calendar 2020に参加させて頂いています。深夜テンションでオオトリの公野さんの前、クリスマスイブの日を取ってしまいましたが、その後並んだ執筆者各位の名前を見てビビっています。

 せめてもの心がけとして、いつものように締切ドリブンで執筆すると遅れそうなので早めに書いてます。それなのに、投稿日も終わる数分前に駆け込みで投稿することになったのは何故だ。そして右上の文字数カウンタが約1万文字になっているのは何故だ。noteの記事としては1500文字~3000文字が長すぎずオススメ、みたいなことが書いてあったはずなのに。


MSRに行く前 ~いきさつ

 MSRについて抱いていたイメージをもう一つ紹介しましょう。僕が初めて参加した国際会議は、僕が修士1年の時に京都で開催されたICCV 2009でした。ECCVと交互に確認で開催しているコンピュータビジョンのトップ会議ですね。

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 僕は日本開催のこの会議で日本からのオーラル発表が1件もないことに衝撃を受け、師匠に「日本のプレゼンスが無いじゃないですか」と言って「そう言うことは自分が通してから言いなさい」と至極もっともな事を言われたのでした。その中で今でも覚えている論文がこれ。今言ったように日本からの発表が一つもなかったオーラルセッションのなかの一つだった[Lempitsky+, ICCV'09]👇。

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 ユーザが与える矩形領域を手掛かりに、その中の物体らしきところをくり抜けるよ!という話です。そしてこの発表の冒頭にさらっと「この技術はPowerPointに搭載予定です」と、僕の拙いリスニング力でもそう言っていたように思ったわけです。そしてそのリスニングはPowerPoint 2010で間違っていなかったことがわかりました。実装への前準備などもやってからのタイミングでの発表だったのかもなーとは思う訳ですが、それでも学会で発表した翌年の製品に研究成果が載るんだなと感動したのでした。

 それからしばらくして、博士1年の際に履修した五十嵐先生の授業でMicrosoft Kinectを用いてアプリケーションを作成するという課題が出ました。(この動画をこのnoteに貼るためにYouTuberデビューした。)

  ラボ内の先輩の研究成果をすごい単純なやり方で柔軟な物体の追跡に拡張してみたということで、大したものではないのですが、見学に来ていらっしゃったMicrosoftの公野さんに面白がってもらえたようで、そこから色々とやりとりをさせて頂きました。

 そして2012年の10月31日に、公野さんから原田先生宛にRedmondでのMicrosoft Researchのインターンの案内が来たのでした。原田先生から私の元へは「時期は微妙だけど」という形で転送されたのですが、それもそのはず。本当に行くとなると博士3年の前半6ヶ月のなかの12週間という、3年で修了する気あるのかみたいなスケジュールになるわけです。

 とはいえ滅多にない機会なのでCVなるものを初めて書き、公野さんにお送りしました。そこからは北京でまず書類選考があり、レドモンドでさらに書類選考があり、目に留まったリサーチャがいれば面接があって、リサーチャが気に入ればリサーチャ自身が内部で更に申請をして、それでうまく承認されればオファーを貰えます。この枠組みでレドモンドに行けるのは約2名ということで、多段かつ狭い門を潜り抜ける自信はさほどなく、行けたらやったね!という感じでした。その時書いたCVを記念に貼っておきますが、今はもっと輝かしい業績の学生さんもたくさんいらっしゃって良いことだなあと思います。

 運よくレドモンドまで書類が行ったようで、Xian-Sheng Huaという研究者から「今日明日で話さない?」というメールが来ました。筑波大の馬場雪乃先生の記事をご覧になった方はご存知だと思いますが、もともとMSRAにいてマルチメディア解析の仕事を手広くやっていた人です。当時ACM Multimediaに論文をよく出していた僕は、Flickr Distanceの論文の印象が強かったです。何しろ英語がゴミレベル(※今でもそう)だった僕は、かといって他に準備らしい準備ができる暇もなくskypeでのインタビューに突入しました。ただでさえ英語がアレなのに相手の顔も見えないので、自分の研究やスキルの説明が上手く伝わっているのか全く自信が無い…そして相手が何喋っているのか分かるような分からないような感じ。ひとまずどうやら超多クラス画像分類をやってくれる人を探していたようだというのは分かり、ヒントン(のところのクリジェフスキー)には敗れたもののそれなりの成績だったのが刺さったのか、僕を受け入れる前提での研究プロポーザルを書いてくれたようです。ありがたやありがたや…。

 そこからはMSRからの超々手厚いJ-1ビザ取得サポートを始めとした渡航準備の手助けもあり、初めて米国大使館に足を踏み入れて面接を受けるという別の緊張イベントなども何とか済ませて渡米に至ります。


MSRに居る間 ~衝撃と興奮、少々の苦闘

 インターン期間の割とすぐあとに公野さんからご用命頂いてインターン経験談を書いているので、そちらもご興味があればぜひご覧ください。

 Japan Computer Vision Day(第2回 全日本コンピュータビジョン研究会)という有志のイベントが、画像の認識・理解系の国内シンポジウムであるMIRU 2013の前日に開催された際、インターンの様子をビデオレターで紹介する機会を頂きました(開催された日はまだインターン期間中)。無駄に200テイクを超えるビデオ撮影とその後の長い編集を経たビデオが太平洋を渡り、その後はDropboxの片隅に残り続けている状態です。せっかくなのでこれもYouTubeにアップロードするかなと思って視聴してみましたが、編集が素人すぎてヤバいので断念しました。書き出すと取り留めが無くなりそうだし、一般的なシアトル近郊滞在記になる危険性があったので、以下の3点に絞りたいと思います。

・MSRインターンの環境
・MSR滞在中に親交を深めた人々
・MSRでの研究生活

MSRインターンの環境

 下の写真はMSRのインターン期間中滞在したアパートメントホテルの外観です。1Rですが割と広めで割と過ごしやすかったです。そこそこ近くにWhole Foods Marketという割と良いスーパーがあり、日々の食生活では非常にお世話になりました。

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 ホテルはベルビューというレドモンドのお隣の市にあって、MSRまではバスで通っていました。まずこの辺りの福利厚生がすごい。本当にすごい。

・シアトル中心部からレドモンドあたりまでも含めた全域のバスに無料で乗れる。(週末はシアトル中心部に遊びに行き放題)
・種々の形の住居が提供されていて、その補助も結構出ている。
・更に指導教員が「私の給料よりもいいのではないか?」と言うくらいの給料がでる。(具体的な給与額は言っちゃいけないことになっている。)
・銀行口座はMicrosofotキャンパス内で開設できる(開設するイベントが最初に発生する)ので、クレジットヒストリーを作る取っ掛かりとしてはとても良さそう。

 福利厚生は外的な福利厚生のみに留まりません。敷地内かつ勤務中も。

・油断するとすぐにソーシャルイベントだといってショートケーキだの軽食だのを振る舞い出す。
・パリピかよという頻度で週末のイベントが開催される。(中身はシアトル案内するぜとか山に登ろうぜとか、そういうごく健全なものです。)
・文房具取り放題、ドリンク飲み放題、周りの壁にメモ書き放題。
・インターン期間の後半に近くの島の施設を貸し切りにしてディナーを振る舞い、さらにお土産としてMS社製品(マグカップとかシャツではなく、XBoxとかSurface Proとかのレベル)を配る。

 なおショートケーキというのは、ちょうどクリスマスイブの今日、国内で売られているあのイチゴのショートケーキとは割と違います。👇こんな感じで分厚いスポンジに自分でイチゴとクリームをかけて食べます。食材の構成要素は似ているかもしれませんね。

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 ダメ押しして良いですか。

・インターンにも1週間の夏休みがある。
・家族を呼べる。家族の渡航時にも旅費のサポートがある。

 「私にはフィアンセがいるのですが」と言ったら「オッケーじゃあ飛行機代出すね!」と言って出してくれたのは、感激と衝撃が50:50で襲ってきてむしろ呆然としましたね。アパートメントに居るので宿泊の心配は無いですし、シアトルやMt. レーニアを満喫するくらいの金銭的余裕はあります。

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 ワシントン州は典型的な西海岸文化圏で移民も多く、ご飯もそこそこだし果物が美味しい、気温は高いけど湿度は低いし快晴率が高くて夏は天国でした。こんな気候なら僕も夏が好きになるかもしれません。(代わりに冬は日照時間が短く、フルタイムの研究員の人々に言わせると冬の間に鬱になりそうだ、とのことですが。)レドモンドではMSRのインターンはもちろん、MS自体のインターンも大量に呼び、それぞれに楽しく長期の業務体験を積んでもらっていずれはMSに来てねと言うことで手厚いサポートがあるとのこと。今でこそテックカンパニーはたくさんありますが、MSくらい手厚いところは今もさほど無いんじゃないですかね。(当時もGoogleなどのインターンはありましたが、米国の大学院に留学していた別のインターン氏いわくMSの待遇はピカイチとのこと。)

MSR滞在中に親交を深めた人々

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 樋口さん(写真右から2人目)や穐山さんはご本人たちの記事に譲るとして、色々な人と初めましてしました。同じ大学から来ている人も多かったのですが、本郷とか駒場とかNIIとか、お互い何かしら遠いところにいる学生同士なので、学内ではほとんど面識が無かったのです。こういう場で親交を深められることになったのは面白いですね。

樋口 啓太 (PFN / 醸燻酒類研究所、記事はこちら
穐山 空道 (東京大学、記事はこちら)
徳田 雄嵩 (香港城市大学の予定)
・富田 悠 (Research Affiliates)
・Chi Li (Apple)
Stephen Xi Chen (Microsoft)
Shahriar Nirjon (UNC Chapel Hill)

加藤淳 (産総研、記事はこちら)

 樋口さんは僕の心の友であって、僕が働いていた部屋のすぐ近くの階段を上がると樋口さんがコーディングしているところに行けるくらいのご近所さんでした。研究に詰まった時は同じフロアのカウンターに飲み物を取りに行くか、上のフロアのけいひぐと話しに行くかが同じくらいの頻度だったように記憶しています。よくウザがらずに応対してくれたなあと感謝しています。彼は東大教員やCMUでの武者修行のあと、PFN行ったと思ったら同時にクラフトビールの会社を出身地・新潟で友人と立ち上げています。これだけユニークなキャリアを歩めるのが素晴らしいし、彼のような人がもっと増えると良いなと思っています。(ユニークさの話であって、皆にブルワリーをやって欲しいわけではない。クラフトビール好きだけど。)

 穐山さんはワシントン大学の宿舎からMSRに通っていて、流暢な英語を操って色々な友達を作っていたのが印象的です。そんな穐山さんの友達と一緒に、インターン期間中に日本式のカラオケボックスに一緒に行ったのは良い思い出です。その後JST ACT-i(競争的研究資金のひとつ)でご一緒することになるとは思わなかったです。こうやって研究者同士の繋がりが形作られていくんですね。

 徳田さん(写真左から2人目)は国際インターンの枠ではなく、MSRの中の研究者にダイレクトアタックして一本釣りでレドモンド夏季インターンの枠をゲットしたという破天荒なHCI研究者で、次から次へと英語で色々な話題を喋れるすごい人です。僕は日本語でもあんなに次から次へとは話せない。これからCity University of Hong Kongに着任予定なので、ご武運をお祈り申し上げます。

 富田さんはジョージア工科大学に在籍していた方(US内でのインターン枠)で、インターン期間中にメールを送りあって初めましてした人です。量子回路やシミュレーション周りの研究をしていたそうですが、金融系の会社で働く予定だという話を当時からしていて、博士とってインダストリーで活躍するという王道の一つを歩まれている方です。

 Chi Li(写真一番右)は皆から「チリ」と呼ばれていて、徳田さんと一緒のアパートでシェアハウスしながら樋口さんと一緒のグループで働いていました。SVMの定式化と解法を壁一面に書いていたのが記憶に残っていて、今はAppleで機械学習に関わる仕事をしているようです。時々CVPRなどに行くとバッタリ会います。

 Stephen Xi Chenは画像認識でディープラーニングするんだと言って同時期にインターンしていた人で、今はなんとMicrosoftで研究者しているのですごいなあと思います。最近は特許を色々書いているみたいですが、研究領域が近いのでまた国際会議などで会えたら良いなあ。

 Shahriar Nirjonは僕と同じ部屋で働いていたインターンです。これは少し説明が必要ですが、フルタイムリサーチャが1人1部屋を与えられるのに対して、インターンは「基本的に」2人で1部屋を使う形だったのです。彼は働いていたグループも研究トピックもちょっと違っていて、日本で言うところのIoT研究者です。当時からBest Paper Award取っててすごいなと思いましたが、最近久しぶりにページをのぞいたらあれ、Best Paper Awardってこんなたくさんとれるの。

 最後にですが、加藤 淳 (産総研) さんも同時期にシアトルのAdobe Researchでインターンをしていて、かつ僕と同学年だったので、定期的に会っては色々と話をしました。彼はMSRAやMSRでもインターンを経験していて、更にAdobeでもインターンするぞということで、初インターンだった僕からするとインターン大先輩だったわけです。今でも彼の素敵なお茶会にお招き頂いていて、来年はコロナで状況が読めないですがまた呼んで欲しい。

MSRでの研究生活

 最初にキックオフのミーティングをXian-Shengと行って、そこからは週例で進捗報告のMTGをやってもらったり、Compression Communication and Storageグループで計画発表や成果発表などをさせてもらいました。当時のお題としてF#という関数型言語を使って書いて欲しいというオーダーがあって、一部C#を叩きながらF#で全体のコードを書いてました。そのコードレビューをXian-ShengとマネージャのJin Liにやってもらったこともあります。

 オープンになったから良いと思いますが、この特許のような内容をやっていました。メンターのXian-ShengとマネージャのJin Liと特許は出せましたが、残念ながら論文執筆までは出来ませんでした。実施例的な実験結果までは出たわけですが、論文執筆に至るレベルではありませんでした。

 研究インターンをやった際に論文執筆まで至れるかどうかは間違いなく一つの成功バロメータであり、そういう意味では反省しないといけません。

・F#というマニアック言語を使うことは事前に分かっていたので、もっと前から勉強しておけばよかった。
・別に深層学習でなくとも、メモリが潤沢なマルチコアCPUワークステーションを10台程度叩いて並列オンライン学習をする必要があったので、今のスペックのマシン1台じゃ足らないということを(もっとシリアスに)伝える必要があった。
・インターン後は「コード送ってくれれば実験してあげる」という提案をしてくれたものの、自分自身のPh.D.のディフェンス準備で時間が割けなかった。そして間接的なリモート開発の効率を考えると、これは同時に12週間中に急いで主要な結果を得る必要があったということでもある。
・単純に僕の研究力不足。北京では割と皆夜まで働いているという話を聞く一方、レドモンドでは皆夕方に帰宅する。夜まで働いているのはアジア系のインターンのみで、それでも皆成果が出るのだから効率を上げないといけないなと感じた。

 なおXian-Sheng Huaは今アリババで研究者を続けていて、Jin Liはシアトルでスタートアップを立ち上げたようです。たまたまCVPRでよく見たような顔だと思ったら、Jin Liだったのでびっくりした&英語クソな日本人の僕を覚えていてくれて嬉しかった記憶があります。今年のCVPRはシアトル開催だったので、真面目にJin Liのスタートアップに訪問しようかと思っていたのですが、コロナでバーチャル開催になってしまいました。残念です。

MSRから帰った後 ~研究者の楽園への挑戦

 MSRから帰ってきて何とか博士を3年で修了でき、インターンに行く直前に内定を取っていたNTT CS研の研究員として働き始めました。米国、しかも西海岸でインターン出来た経験は今後のキャリアを考える上でも非常に貴重で、僕はアメリカでは長期就労は無理だなと悟ったのでした。給与も気候も良いところですが、何が一番辛いかというと慣れ親しんだ庶民のご飯 in Japanが食べられないところです。もちろんお金を払えば美味しいごはんも手に入るのですが、ラーメンやさらに庶民的なご飯の選択肢はありません。面倒くさがりやの僕には自炊の道は険しく、ああ滞在するにしても短期でちょうど良いのかな、と思えたのでした。

 NTT CS研はNTTの研究所の中でも割と自由に研究できるところで、国内を代表する研究者がいる魅力的な研究所です。NTT研究所も色々な試練と人材輩出性を抱えていますが、今も優秀な研究者が少なからず在籍しているのは間違いなくNTT研究所の魅力だと思います。

 ずっといるつもりで就職したのですが、元ボスから講師のオファーを貰ったことと、共働きの関係で東京都中野区に住んでいた結果厚木のCS研がめっちゃ遠くて割と大変ということもあって、色々と相談した結果東大に移ることにしました。

 そして今度は東大の教員として、ボスの主宰の元学生へ研究指導をしたり、講義を持ったり、学内の○○委員会に色々組み込まれたり、と言った取り組みを始めることになります。東大は意外にもルールが大学教員寄りなところもあって、購買が無駄に大変じゃなかったり、旅費のルールが無駄に大変じゃなかったりと言った良さがありました。学生の皆さんも大変優秀なので、上記業務をすべてやるのはハードながらも学問の喜びに溢れる成果も出てきていて、とても楽しい期間でした。

 ただ一方で、ずっと抱えていた課題感があります。博士3年の夏に見たあの研究者の楽園は、国内のどこかにあるんだろうかという疑問(反語)です。MSRでは皆が競争的であっても楽しく研究していて、その成果が最初のパワポの例のみならずすぐにプロダクトに乗り、それが更なる研究の原資になり…というところが確立していています。僕がインターンしていたグループにもエンジニアがいて、クラウドストレージ用の圧縮技術を研究者が創出しては即エンジニアがデプロイみたいなことができていたし、上記の様にインターンを大量に迎えては手厚いスタッフのサポートの下で研究に専念させることもできているわけです。

 あっちではインターンの手も借りながら大規模に研究して、その中から芽の出たものをすぐにプロダクト化できる一方…国内では名だたる企業の中央研究所が閉鎖される、だんだん働き辛くなるといったニュースしか聞きません。残る研究所でも、研究所と事業部の間が遠くて上記のような素早いサイクルが回せている印象がありません。(ソニーのCSLのように、研究所自身がプロモーションとセールスに専用のリソースを割いて研究成果の事業化を進める例はとても珍しい。)

 ただこれって戦前だと理化学研究所から始まる理研コンツェルンで出来ていたことなんですよね。もちろん今の理研は国立研究所であり、理研鼎業のような取り組みをつい最近再試行し始めたところではありますが、かつての理研とはまた違う形での試行錯誤を続けていらっしゃいます。

 数年前は第3次AIブーム勃興のただ中でもあり、新興企業も大手企業も、あらゆるものに貼られたAIというラベルに踊らされていた時でもありました。新たに研究所や研究部門が立ち上がる動きも出ていて、上記のような研究者の楽園を創る挑戦ができるタイミングでもありました。

 そんな中で誘われたのが、これから設立するんだというオムロンサイニックエックス株式会社(OSX)でした。

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 「AI研究所」とか「AI研究拠点」みたいなものが色々な会社に生まれてちょっとだけ経った後だったので、よく知っている人からのお誘いじゃなければ「え、今更ですか?」と思って話を聞きに行かなかったかもしれません。ところが行ってみると、曰くオムロンはベンチャーの集合体であり、科学と技術が社会に与える影響を俯瞰+未来予測するSINIC理論を掲げる近未来ビジョン創出拠点を立ち上げるんだという、中々に挑戦的な事を言われるのです。更にその中で一定の研究グループの差配(PI)を任せて頂けそうということで、これは今決断しないと後々後悔するのではと悩んだのでした。結果としてまずOSX設立半年は東大に居ながらも技術アドバイザとしてOSXにも兼業し、2018年10月からOSXに完全移籍することになりました。私が指導教員になっていた学生の皆さんには大変ご迷惑をおかけしてしまい、彼女ら/彼らには今でも申し訳なく思っています。設立3年目の今もこの会社での挑戦は続いてますが、他の企業でも真似したくなるような研究⇔事業の体制ができればと試行錯誤しております。

 更に1年後、とある登壇イベントでご一緒したスタートアップ企業に誘われました。

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 株式会社Ridge-iという、ありていに言えばAIコンサルですが、謙虚ながらも高いR&D力を持つエンジニアの皆さんと、お客さんに寄り添うコンサルの両方がいるベンチャー企業でした。このバランスの良さは、僕が目指したいような研究と事業化のベストミックスを実現するための、大企業の研究所ではないもう一つの魅力的なアプローチを描ける場のように見えたのです。さらにお話をする中で、代表取締役の柳原さんは渋沢栄一(今度から一万円札に印刷される事業家で、理研を高峰譲吉先生と一緒に立ち上げた人)に心酔している、ということで話が盛り上がりました。ありがたいことにOSXでは兼業も柔軟に認められるので、今は研究者としてOSXで、経営者としてRidge-iで精進しつつ、楽園の実現を目指しています。

 片や戦後まもなくから続く企業での新たな企業研究所であり、片や正真正銘のスタートアップ企業であるということで、全体の体力やスピードにも依存して現在の状況や直近の選択肢がそれぞれ異なります。まだまだ正解は見えていないのですが、かつてレドモンドで見た光景をここでまた見るために、引き続き試行錯誤していこうと思っています。

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