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幸福と祈り(去年の振り返りと今年にむけての話も)

今さらですが、去年の振り返りと2024年に向けた話を綴ろうと思います。年末年始はバタバタしてたので。
 一番書きたかったのは最後の【まとめ】のとこなので、去年の振り返りと、今年の抱負?は飛ばしてもらってもかまいません。

【去年のこと】


2023年の始まりは本当に人として終わっていました。
 大学中退してから、精神的にも堕ちていき、精神病院の入退院を繰り返してた僕は、一念発起してちゃんと就活しよう!と決意し、何とか一昨年に正社員内定をもらいました。しかし、病気の重さが大きな理由となり即クビになって、更に心が苦しくなったところから2023年が始まりました。間違いなく最悪の年になると、感じてしまう元日だったのを覚えています。
それから2月末までほぼニートの状態でした。軽くアルバイトをしていましたが、惰性で堕落した日々を送っていました。
そして、精神的にもどうしようもなくなって、全てを投げ出したくなって、3月に入ったあたりで、また自殺をしようと決意しました。今度こそ本当に死んでやると覚悟していました。何回目の自殺の試みかは覚えていません。
もう、この世界は悲しく冷たく苦しいだけで、幸せなんて、救いなんてない。ただジワジワと僕を追い詰めるだけだと、本気で思っていました。何度も中途半端に生きて帰ってきたけれど、今回こそは本気で死のうと、その決意の現れに、ギターやエフェクター、パソコンや機材など売れるものは全て売り払い、身辺整理をして遺書を書き残して、東京を出ていきました。ロープも予備と合わせて2本持って。
命を絶つなら、僕が青春時代を過した東部の富士山の麓にしようと決めました。ちょうど樹海の近くだったのも、人目に付きにくい場所が多かったのもあります。
東京を出て、地元につくと、すぐ自殺を決行するのではなく、ゆっくり過ごしてから終わりにしようと思い、1〜2週間ほどネットカフェに泊まりながら、温泉に入ったり、思い出の街を巡ったりしながら最期の時間を落ち着いて楽しみました。
そして、所持金が3000円と少しになり「そろそろ逝くか…」というところで、未練というか、「今ここで死ぬのが本当に正解なのか」という違和感のようなものがよぎりました。恐らく、心安らぐ、青春の街に長居しすぎたからなのでしょう。
また同時に、あることを思い出しました。
高校時代に共演したバンドのフロントマンの人との会話です。
そのバンドは、いわゆるオルタナティブロック/シューゲイザーというジャンルの音楽をやっていて、高校時代の僕も同じジャンルのバンドをやっていました。僕もオルタナ/シューゲイザーバンドのフロントマンでした。
 高校生でオリジナルでオルタナ/シューゲイザーをやってる子なんて珍しい!とのことで、(自分で言うのも変ですが)気に入ってもらえてたようです。
高校時代のバンドは、解散こそしてませんが、僕だけが大学進学で上京したために、実質的に活動休止状態でしたが、一度その対バンしたフロントマンの人と、東京でお食事をさせてもらったことがありました。その人はバンドマンでありながら、静岡のWEBマーケティング会社の社長でもありました。
僕が高校の時から、その会社に対して憧れのようなものもありましたし、大学卒業したらそこで働いてみたいなとも思っていました。面白いことをしている、僕が興味をもちそうな仕事だったからです。
そんな社長(フロントマン)との会食のときに、社長が何気なく「柏原くんがもし、路頭に迷ったら拾ってあげるから笑」と言っていたのを、自殺決行前の夜に思い出したのです。
そして、僕は、「最後にこの人を頼ってみよう」と思い、Twitterで「相談したいことがあります」と数年ぶりにDMを送りました。すると、すぐに返信が来て、連絡先を教えてもらい、「ちょっと後でかけるね」と告げられて、その1時間ほど後に着信がかかって来ました。
 僕が事情を話すと、「明日静岡(市)これる?」と言われ、静岡駅までの電車賃はあったので行けますと告げると、数分待ってと返され、3分後くらいにまた着信があり「とりあえず俺の実家住んでいいよ〜!んで明日午前に静岡駅来て〜」と言われました。
自殺しようとして東京出てきて、もう帰る場所も仕事もなく、重いうつ病で、助ける義理もメリットもないのに、そんな軽く手を差し伸べてくれるなんて…と逆に自分が驚いたのを覚えています。事情話して数分で「実家に住んでいいよ」なんて許可下るのも、助けてもらった身ですが、普通に考えておかしいとも思いました。

翌日、なけなしのお金を持って鈍行の列車に揺られながら静岡の駅まで行くと、懐かしい社長の顔と、その奥さん(社長のバンドのドラマーだったので奥さんの方も関わりは高校の時にありました)が車で迎えに来てくれました。
その時には僕は、うつ病の薬が切れていて離脱症状で死にそうな顔だったと思います。にも関わらず、まずこれからお世話になる社長の実家にいき、挨拶と仕事で使うパソコンを回収しにいき、次にその日に働くオフィスに行きました。
WEBマーケティング・SEOの会社なのは知ってましたが、詳しくどんな風な仕事をしているのかは、僕はほとんど知っていません。
そこで社長に言われたのは「AIで記事書けたらおもろいから、ChatGPTいじって色々試してみて!AIの研究みたいな感じ?」ということでした。
こうして、僕の社会復帰?の1歩が始まったのです。

AIの研究というか試行錯誤がある程度行ったところで、今度は記事執筆の仕事に変わりました。僕が静岡にきたあたりでオフィスの移転と統合が行われたのと、まずは病気を少しでも快復させることが優先だから!とのことで、在宅でゆっくりお手伝いという形で数ヶ月仕事をしました。
あくまで業務委託契約なので、会社の外部の人間という扱いでした。僕が社長に拾ってもらった時には、会社は求人募集もかけてなかったですし、新しく人を雇う余裕もなかったようなので、社会復帰できそうなくらい病状が落ち着いたら、別で就職先探してねという話でした。
ですから、僕はまた塾講師やるかぁとか思いつつ、教育関係の仕事にあたりをつけて、求人サイトを時折見ていましたが、社長の会社で働きたいという気持ちが強かったのが本音です。
すると、10月頃に、社長から「うちでアルバイト募集するんだけど興味無い?」と連絡が来ました。どうやら秋頃から人手不足になったらしく、求人募集をかけ始めたそうです。
もちろん僕は即答し、11月からアルバイトという形で入社することになりました。SPI試験や能力だけでいうと正社員雇用もアリだけれど、やはり僕の病気の重さは会社としてもリスクがありますし、僕としてもいきなり正社員、フルタイムは精神的にもキツイですし、自分の体調の様子も見たいので、いずれ正社員も視野に入れつつのアルバイト勤務からに決まりました。
まだちゃんと入社して1〜2ヶ月しか経っていませんし、まだ会社のことも仕事のことも深く理解しているわけではありませんが、自分にとってベストの会社に入れたと強く実感しています。
やっている仕事も、会社の雰囲気も、他の社員さんも、自分にとって大事にしたいものばかりです。
仕事、というか労働なんてしないで済むに越したことはないと前から思ってましたし、やりがいだの仕事が楽しいだなんて強引な暗示に過ぎないと思ってましたが、今僕は仕事が楽しい、というか頑張りたいと強く感じます。仕事で時間が経つのが早く感じるのは初めての体験です。
何より3月末に静岡に来てからオーバードーズを一度もしてません。
東京いた時は風邪薬のODが習慣化して依存して、それで勝手に気持ちよくなってましたが、社長に拾われたとき、このままODし続けるのは裏切りになると思って辞めました。めちゃくちゃ頑張って辞めた!というより、静岡きて1ヶ月後にはODのことなんてすっかり頭から抜けてました。多分、静岡という街や仕事、居候先などの環境で心が快復した何よりの証拠ですね。
一応OD1〜2回分の風邪薬も捨てずに残っており、掃除のときに目に入りますが、むしろ見るだけで吐き気や嫌な気持ちになります。先月普通に風邪ひいたので残ってたその風邪薬を、正しい用量で飲んだら嗚咽が止まらなくなったので、今後ODすることもないと思います。(風邪は治りました)
去年前半は病気を快復させるので大変ではありましたが、後半は仕事もプライベートも楽しく過ごせて良い年だったと思います。
特にプライベートでは、音楽やバンドまたやりたい!の強い熱量を取り戻したのと、ブルアカのおかげでオタクの魂取り戻したのがデカかったですね。

Teenage Spiritは永遠だし、ナードにしか出せねぇエモがあるっつってんの!!

【今年に向けて(仕事編)】


前述の通り、業務委託で数ヶ月記事を書いていたとは言っても、今の仕事は求められるクオリティもスキルも段違いですし、初心者もいいとこです。
病気のこともあって、仕事の出来だけでなく、体調不良でも迷惑をかけてばかりです。
けれど、会社の人、特に社長や直属の上司は、僕の持病を把握してくれてます。仕事もダメなところは分かりやすく丁寧に教えてくれるし、良いところは褒めてくれます。甘いわけではなく、フレンドリーというか、優しくて良い人たちです。
僕は社会経験がほぼゼロなので、普通の会社がどんなものかは知りませんが、多分こんな会社はなかなかないと思います。
優しく親しみやすい人ばかりで、心地よい会社で、やりがいのある仕事だからこそ、僕は頑張りたいんです。うつ病に関しては、去年より大きく快復はしましたが、寛解にはまだ遠いです。けれど、できる範囲で病気も仕事も良い方向へもっていきたいです。
こんなに「生きたい」と感じるのは久方ぶりです。仕事が生きる糧になるなんて思いもしませんでした。
だから、早く(といっても焦りすぎず)仕事(記事執筆)のスキルを向上させる年にしたいですね。

【今年にむけて(プライベート編)】


仕事にも直結しますが、病気をまた少しでも快復させたいです。快復というか折り合いをつけるの方が正確ですね。心身ともにどうしようもなく、避けられない症状や調子の悪化はちょくちょくあります。
なので、せめて自分で管理や把握できる範囲を広げたいです。事前に調子悪いなと少しでも感知したら知らせて、休むときはしっかり休むを徹底できるように。

そして、一番は音楽を再開することです。バンドをまたやりたいんです。今の自分の心情や心持ちは、バンドや音楽に明け暮れてた高校の時と酷似してます。この静岡の街でバンドを、音楽を、心臓を震わせるギターの音を響かせたい。なので、まず手放した機材を揃えて、せこせこ音源作りをしてます。デモ曲あった方が、バンドメンバー集めるときの名刺代わりにもなりますしね。

それと、僕は静岡東部の人間なので中部には知り合いがほとんどいません。ですが、高校からの馴染みのライブハウス兼バーや、社内にもバンドマン等音楽関係の人がたくさんいるので、そういう方たちから交友も増やしていきたいです。バンド組むとか関係なく、友人や仲の良い人など繋がりを増やしていきたいです。
18超えてから、最悪なことばっかで、退廃的なモノに惹かれ酔っ払っていましたが、今は退廃的より衝動的に。高校の時みたいな熱量で、少しだけ前をみているような音楽を作りたいですし、自分もそう生きていきたいですね。根っからのシューゲイザーキッズなので足元見るくせは治らないかもですが。
今年は頑張りたいことから、楽しみなことまで盛りだくさんで、きっと素敵な一年になると思います。健やかに、そして自身が幸福に過ごせるように、積極的に生きていきたいです。

【まとめ】


まとめというか、ここから一番書きたいことになります。
僕は、知ってる方も多いでしょうが、まあ重めなうつ病患者です。精神病院に何度か入院しましたし、自殺未遂も何度もしました。精神障害2級で手帳も持ってましたし、障害年金も頂いてましたが、更新の際に役所の手続きが訳分からなくて、途中で「もうめんどい!やだーーー!!」になり、ほったらかしにしたので、正確には精神障害2級でも手帳持ちでもないです。(強引な裏技で健常者になったみたいですね笑)でも、処方されてる薬の種類や量で見れば、今でもまあ重い方ではあります。これから何年も通院や薬の服用は続くでしょう。元気になったといっても、薬が無いと本当に何も出来ない(スマホすら見れない)ですし、めちゃくちゃ苦しいですからね。
ただ、生きてれば希望や救いは少なからずあるんだなと実感しています。

ただ、今生きることが辛い人や苦しんでる人、生きることに意味や価値を見いだせない人などに、偉そうに説法するつもりはありませんし、「自殺は悪!」とか「生きてればいいことある!死ぬな!」とか無理に言うつもりもありません。
他者は他者、どれだけ繋がろうとも人間は突き詰めたら孤独であると考えてます。
それに、個人ごとに悲しみや憂鬱、寂しさといったものは異なります。同じ力量で同じように殴られたからといって、全く同じ痛みを感じるわけではありません。ポジティブでもネガティブでも、感情の共有はできても、完全な共感はできません。

僕は今年で25歳になるガキですが、年のわりにはかなーり辛い悲しい経験(特に家庭環境)をしてきました。だからといって、僕より恵まれているであろう環境で「つらい」と感じてる人に対して、「そんなことで弱音吐くな!」みたいなことは思いません。ツラさは人それぞれですし、裕福な王国のお姫様が必ずしも幸せとは限らないですからね。(ただ、昨今のメンヘラムーブメントで、裕福で恵まれてるにもかかわらずファッションで"病み"をアピールしてる人は苦手ですが)

そして、自殺という行為を僕は肯定も否定もしません。その人のバックグラウンドによるところが大きいのもありますが、自殺も、その前段階の精神的苦痛も、美化するべきてはないし、悪だと断罪するべきでもありません。死人に口なしなので、生きている人がどうこう言うのもナンセンスです。
ただ、その人が決めた選択肢を、尊重というか受け入れてあげるのが重要かと思います。
そりゃ土地の管理者や行政や、場合によっては鉄道会社とそれを利用する人など、どんな方法で命を絶つとしても、誰かの迷惑には少なからずなりますから、それは良いとは言えないですが。
自殺という行為自体には、その選択をしたことを受け入れてあげるしかないのです。僕らには、美化することも断罪することもおこがましいと思ってます。

けれど、一番良くないのは、「あのときこうしてあげてたら…」と「自分にもできることがあったんじゃないか」と後悔することだと思います。
去年は、僕は自殺を本気で試みましたし、悲しくも亡くなった友人もいました。もっと前のことを言えば、僕は身内を自死ではないですが多く亡くしています。僕自身においても、僕の周りの人においても、死の香りを多く経験してきましました。
特に、父親のことは未だに後悔にやられるときが多々あります。「あのときこうしていたら…」と。中学生のガキにできることなんて何もなかったと分かっていても。
そして、後悔するたびに「それは亡くなった人への冒涜だ」と痛感します。何より、そうやって後悔したりや死に対して想いを馳せたりしてしまうと、自分自身も"死"や"あの世"というモノに惹き付けられてしまいます。
あの世がどんな世界なのかも、旅立っていった人たちがどんな感情で何を想っているのかも、僕らには知る余地がありません。
だから、これは今を生きている僕らのエゴではありますが、「幸福に生きる」ことが何よりの"祈り"なのではないのでしょうか。少なくとも僕はそう考えています。
ですが、現世は、現実は、世界は、社会は、どうしようもなく理不尽で、残酷です。神様がいるなら殺してやりたいと思ってます。個人的に、苦痛や悲(哀)しみが世界の8割以上を占めていて、幸福なんてのは2割にも満たないように感じてます。それでも2割に満たない幸福のおかげで僕らは生きていけるし、理不尽で最低な世界でも、勇気をだして手を差し出せば、その手を掴んでほんの数cmだけでも引き上げてくれる人は絶対います。僕の場合、社長がそうでした。
無論、僕の会社の社長みたいなお人好しの善人ばかりではないですし、誰しもがそんな掬い上げてくれる人に出会えるわけではありません。僕は、ただ、運が良かっただけです。
僕は「良い人が見つかる」とか「救いがある」なんて綺麗事を軽率に吐く人間にはなりたくないです。希望なんて、救済なんて、全員平等に現れるなら、こんな世界と現実になってるのがおかしいですから。
ただ、僕が言えるのは、「生きていれば、ほんの少しだけかもしれませんが、"幸福"を感じるときはくる」というだけです。
その幸福が待てなかったり、幸福よりも苦痛が勝ったり、幸福を得ても絶望や現実に押しつぶされるなら、自らの手で人生をやめにするのを止めはしません。そもそも、僕はまだ力も余裕もあるわけではないですし、全ての人間の幸せを祈れるほどお人好しの善人ではありません。

けれど、僕がほんの少しでも救ってもらったように、僕の半径5mの人たちくらいは愛したい。力があるなら幸せにしたい。でも今僕は弱い人間だから、半径5mの人たちの幸せを祈ります。あるいは愛します。
舞城王太郎の或る小説の冒頭を、今でも鮮明に心に残っています。
「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。」
今まで、僕はこの冒頭と同じことを思っていましたが、去年助けてもらったおかげで、東京にいたときよりかは弱くなくなったおかげで、心から言えるようになったと思います。
これを読んでる人が何人いるか、そのうち知り合いは何人いるかは分かりませんが、僕は祈り続けます。生者も亡者も、死にゆく人にも、関係なく、僕の半径5mにいるのなら。

先月仕事終わりに、社長と深夜のドライブをしたのですが、その時に「かっしー(僕のあだ名)は将来なりたいこととかやりたいことある?」と聞かれ、複数ありますがと前置きしつつ「ライ麦畑のつかまえ役になりたいです」と率直に答えました。もちろん具体的なものから抽象的なものまで、やりたいことやなりたい像はたくさんありますが、真っ先にそれが出たのは本心で根源的欲求だからだと思います。
僕が助けられたように、僕も誰かに「生きるのも世界もそんな悪いことだけじゃない」と思ってもらえたら、何よりも幸せなことなんじゃないでしょうか。
社長しかり、社内の人しかり、佐藤友哉や舞城王太郎、麻枝准や五十嵐隆、ヒトリエのwowakaとシノダ、木下理樹、挙げたらキリがないですが、教室の隅で俯いてた僕の心を動かしてくれた憧れの人達が、僕にしてくれたように、僕も教室の隅で俯いてるような人の僅かな光になりたいと強く決心しています。
それは、半径5mの人を深く愛すること、祈ることと同じ目標なのでしょう。
だからまずは、半径5mの愛する人に音楽や小説、文章という形で祈りを届けるつもりです。

そして最後に、世界は理不尽でクソったれで最低最悪なままだけど、
「明日は今日よりもほんの少しだけ良くなる」
そう僅かな希望をもって2024年も生きていけたら素敵なんじゃないかなと思います。
コードギアスでルルーシュが
「それでも明日が欲しい!」と言ったように。
Syrup16gの五十嵐隆が『翌日』という曲で
「あきらめない方が奇跡にもっと近づく様に」
と歌ったように。

そんな風に、クソったれな現実の退屈な日常のなかで、僅かにそう祈り続けて生きていけたら、もしかしたら「幸福」ってやつに何処かで出会うかもしれませんね。
そしていつか、苦痛だらけの世界を生き抜いて、神様ってやつに出会ったら、みんなで一緒に撃ち殺してやったら、きっと気分がいいのでしょう。

だから僕の半径5mの人には、みんな、2024年を少しでも幸せに生きてほしいし、「幸福」をみつけたらそれを弾薬に詰めてください。そして僕らが神様に会った時には、その人間らしい幸福の銃弾で、脳天を撃ち抜いてやりましょうね。



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