旧東海道ひとり旅_始【日本橋】
東海道五十三次 の出発点は、日本橋です。
日本橋は1603年に架けられました。その後、何度か大火の被害を受け、石造りの橋に架けかえられたのは明治時代とのこと。現在の橋は20代目なのだそうです。
ちなみに、1603年といえば、ローマにおいてフェデリーコ・チェージにより、科学アカデミー "山猫学会" が設立された年です。(Wikipedia調べ)
今回はガイドブックやGoogleマップを参考に、
・日本橋
・京橋の擬宝珠
・神田八丁堀跡
...を訪れることにしました。
■日本橋
へぇ、これ(↑)石造りなんだぁ。すげぇ、鉄に見える!
と、思っていたら...
帰宅後、母さんに
「なぁ知ってる? でっかく『日本橋』って書いてある橋、実は日本橋じゃないんだよ」と、言ったら、
「マジウケるw あれ首都高なんだけどw」と言われました。
...こちらの高速道路、現在、地下へ移す工事が行われていて、2035年に地下ルートが開通、2040年に全面撤廃される予定らしいですね。
ガイドブックに『橋名板の "日本橋" の文字は15代将軍 徳川慶喜によるもの』って書いてあるけど、これ(↑)のことかな...?
昔の人って字が上手かったんだな...
■京橋の擬宝珠
僕が今までスライムだと思っていたオブジェ、もとい擬宝珠とは、手摺や橋の欄干などに設けられるネギの花に似た飾りのこと。
擬宝珠は江戸市中でも日本橋、京橋、新橋の三橋にのみ許された装飾だったとか。
ところで、"京橋" なのに、擬宝珠や親柱があるだけで肝心の橋がねぇじゃん、と思い、ネットで調べてみると...
この辺りは第二次世界大戦で被害を受け、その後、がれきで京橋川を埋め立てて街が再建されたのだとか。川も橋もなくなり、地名だけが残ったそうです。
神田八丁堀跡へ向かう道中...
この連載では、"1記事につき、できる限り1首または1編の短歌かイタリア語の詩を詠む" というルールを設けていますので、ここで一首...
道端の 小さな太陽 君のよう
かけているのは 六股だけど
■神田八丁堀跡
『東海道中膝栗毛 發端』の冒頭に、
『生國は駿州府中栃面屋弥次郎兵衛というもの[…]若衆とふたり[…]府中の町を欠落するとて[…]神田の八丁堀に新道の小借家住居し… 』とあります。
つまり、弥次さんと北八はこの辺りで暮らしていた、ということです。
特に見るべきものは何もないけど、いつかまたアンドレアが日本へ来たら、ここで一緒に昼飯を食べたいと思っています。
東海道五十三次 の出発点、日本橋はここまで。
次回は1番目の宿場町、品川へ行ってみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
参考図書
・ビジュアル版 鑑賞ガイド 地形がわかる 東海道五十三次 (大石学[監修]、朝日新聞出版)
・東海道中膝栗毛(上) (十返舎一九[作]・麻生磯次[校注]、岩波文庫)