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何のためにイタリア語を勉強するのか

このエッセイはフィクションです(?) 登場する人物・団体・名称・事件等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


あと2か月足らずでnoteを始めて3年になる。
初投稿は2021年9月19日。最も古い記事の日付が同年10月7日になっているのは、わけあってそれまでに投稿した全ての記事を削除し、後日もう一度上げ直したためだ。

記事を削除した本当の理由は、自棄になったからでも、諭されたからでもない。
このときに書いていたのは、『我が麗しき不完全犯罪』の下書きで、実際にnoteに載せたものよりもずっと、なんというか、明け透けな感じで、今でもラヴェンナであのような取引がされているとしたら、アンドレアが言うように、読む人が読めば、誰がどこで何をしているのか、分かってしまうだろう。もし、それが警察や憲兵、また、それらの関係者だったら...? あいつらの不利益になるような情報をネットに晒すわけにはいかない。そう思ったからだ。
それでも気に入りの写真だけはどうしても載せたくて、思いきりぼかし、先のリンクの記事のトップ画像に設定した。「刑務所にいるアルフレードに会いに行こう!大作戦」を決行中の一枚で、真ん中でみんなからハグされたり肩を組まれているのが13年前の僕だ。

昔、この写真を「この人たちは僕の友達なんです」と、ある人に見せたら、「彼らは君の友達なんかじゃない。一生懸命勉強したイタリア語を、こんなやつらと付き合うために使うな」と言われたことがある。

こんなやつら。

確かに、全員ほぼ路上生活をしていてアル中か薬中。写真を見てもそれっぽい感じがするよね。でも、そんなふうに言うことないだろ。そう思ったから、僕は反論した。
「人を見た目で判断するなとよく言うでしょう? みんな、僕にとても親切でした」
「『親切』って、例えば?」
「ジュースを買ってくれたり、パック詰めの焼き菓子を半分くれたりしました」
「ジュースや菓子をくれたら親切なのか?」
そう言われ、微笑むだけに留めたけれど。明日の飯を買う金もないやつがジュースを買ってくれたり、その日の食い物がパック詰めの焼き菓子しかないやつがそれを半分くれるとか、親切以外の何ものでもなくね? ポケットに50ユーロ入ってるやつが50セントの施しをするのとはわけが違う。

...話が逸れたけれど、このとき、廃業したばかりの僕は、数年前であれば僕のターゲットになっていたであろうこの人物から、『一生懸命勉強したイタリア語を○○(の)ために使う』というフレーズを盗んだ。

外国語は道具だ。道具は何かを為すために存在する。僕がイタリア語の勉強を始めたのは、イタリアへ渡り、初めて現地へ行ったときにテルミニ駅で見かけたスリのようになるためだった。
過程がどうであれ夢は叶えた。でも、思い描いていたその先へ進むことはなく、多分、夢の続きを手放した。

では、今は...?
僕は、何のためにイタリア語を勉強したいのか。

あのとき、あの男から盗んだものは呪われていて、捨てることもできず、僕は常に目的を求め続けている。

先日。十年弱前の最後の仕事の日に、ターゲットを誤り酷い目に遭っているところを助けてくれたアンドレアに「勉強したほうがいい」と言われ、「うるせぇ」と返したけれど、僕だってそう思う。だけど、目的によって手段が異なるから、何をすればいいのか...

とはいえ。もう3年、ろくに勉強してねぇ。いくらなんでも、そろそろなぁ...

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