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ひととつくる建築

以前から建築に関して興味がないわけではなかったけど、圧倒される建築を目の前にしても漠然とすごいとしか思わなかった。

養老孟司と隈研吾の対談集を手に入れた時、これを読み、少しでも建築を見る視点が変わったら楽しいだろうなと思った。

また、対談集のタイトルは『日本人はどう住まうべきか?』

大学進学の際、運命的に京都に来た私は、住めば都ということを経験しながらも、次のステップでどこに行けばいいのか全く見当がつかない状態である。

暮らしについて考えたい。暮らしを作る建築自体を知れば何かヒントがあるような気がした。

隈研吾さんに関しては無知だったので、いつものように、その人について知ってから、対談を聞くこととする。 

ひとの住処

隈さんの『ひとの住処』の本では、隈さんの人生に沿って、関連する建築史が書かれていた。

建築初心者の私にとっても読みやすかったし、隈さんがどういう影響を受けて、どうつくってきたのかがよくわかる。隈さん自身の建築史、のような一冊だった。


実は、隈さんが手がけてきた空間を、私もいくつもみたことがあるらしい。

高校生の時に連れて行かれ、とても印象に残っている根津美術館
太宰府天満宮近くのスタバ
おしゃれで若者に人気なkoeドーナツ
何より何度も訪れた新風館、ココンカラスマ…

今思えば、確かに特徴的な建物だけど、落ち着いて過ごせる素敵な空間だった。

それぞれの場所のコンセプトや願いに合わせた工夫を読み取っていけると、建築を楽しむことができるのかなと思う。


読み取るヒントとなる、建築史や建築家の特徴をその本でも少しは知ることができたので、メモしておく。


隈研吾が影響を受けたのが丹下健三。

東京が低いとしから高い都市へと変貌して行くことを予知していた。建築家に最も必要な能力はその建築に人々が何を求めているか、社会がその建築に何を必要しているかを理解する能力とその想いを形にする能力。そこにこそ、丹下の天才があった。
実在する建築以上に大事なものが、その向こう側にあるとする考えを、法隆寺も伊勢神宮も共有しており、丹下はその思想の正統的な継承者であった。
丹下が設計した広島平和記念資料館、重要なのは建築ではなく、隙間であり、その隙間の向こうにある聖なるもの、すなわち原爆ドームだった。
コルビュジエは、サヴォア邸のピロティこそがモダニズムにふさわしい大地と建築の関係だと主張し、20世紀の建築はピロティブームとなった。
西欧において、大地は大地、建築は建築であって、両者の対比を表現することが求められた。一方アジアの人々は、自然と建築とを対比せず、補助線によって自然と人工の対話を求めた。
大地を敵とせず味方につけることによって丹下は、もっと大きな感動を人々に与えることに成功する。


建築、という人工物はモダンな印象があったが、日本は古くから精巧な木造建築を造って来ており、また自然や庭園を含め理想を実現して来た歴史がある。

建築でもやはり、アジアと西欧の、自然に対する考え方の違いがあり、影響されながらも日本らしいものを作っていることがわかる。

自分が今まで見てきたものも、建築を見る目につながるような気がした。

隈さんから学んだこと

隈研吾さんについても、建築についても少しわかって来たところで、対談集を聞いていく。

相手は養老先生。災害の多い日本の土地、災害への対処や働き方など…養老先生の分野、解剖でも通用するような、基本的な考え方を話されていた。


隈さんの本でも刺激は多かったが、養老先生の会話を交えると、隈さんの意見がより一般化されるようで、自分の目の前の問題にも活かされるような説得力が感じられた。

2冊を通して印象的だった2つのこと。


1つは現場を大切にするということ。

建築や医療の世界でも効率化は進められ、実際にクライアント・患者と対面しなくても仕事を進めていくことができるようになっている。

しかし、人との関わりを大切にしている隈さんは、現場での仕事を重要視している。

いろんなプロジェクトを通し、人と作っていく建築を目指していた。

そういう意味で人間観察眼も仕事で重要な能力となる。

結局仕事とは誰かのためにやっていて、その相手を想像するだけではなく、実際に対話し、その人の理想を組み取ることは、どんな場所でも大切なのかも知れない。

だからこそ、建築を見るときも、空間への希望を感じられると、そこのディレクターや建築家にの工夫も楽しめるんだろう。


そしてもう1つ、隈さんの大学時代に役に立つかわからないものが役に立っていたこと

隈さんは、院生時代に入った研究室が集落調査をする場所で、周りの人からも「どうしてそこに?」「なんの役に立つの?」と言われていたそう。

隈さん自身もなんの役に立つかわからないどころかなんの役にも立たないと思っていた。

その研究室では、大工が放棄した建設業を研究室のメンバーで行い、家を完成させた、とかいう今の時代だとブラックだと言われそうなこともしていた。

そして集落調査としてはサハラ砂漠縦断というスケールも大きく、二度とできないような経験をされていた。

そこでの経験から、隈さんは建築という枠組みを超えたものを考えた。

建築とその周囲の植物とが連動しながら、ひとつの調和した、なだらかな環境を作るべきだと考えたのだ。

またその後、高知の梼原という小さな町での仕事を引き受ける。

そこで隈さんは、大地と一緒に、コミュニティのみんなと一緒に、ものづくりを楽しんだ。

サハラで掴みかけたものをどうやって実現すべきかが、その小さな集落で見えて来たそうだ。


結局、行なっているときに、役に立つのかわからない経験なんて山ほどあって、「今後役に他立たないからやらない」というのはナンセンスだ。
どういう形で経験が活きてくるかわからない。

役に立たなそうなものというのは自分がやろうとしていることとずれた世界であり、自分のやりたいことに繋げようとすると、別視点で見れるという意味ではむしろ貴重な経験となるに違いない。

私が高校生の時、タイへ行って感じたことがある。
「自分の世界の幅を勝手に決めず、広い目で物事を見ていくことが大切。」

この感覚を隈さんも持っているようで、勝手にシンパシーを感じた。

2冊を通して

隈さんはとても素敵な建築家だと純粋に思った。

クライアントを、人との関わりを重要視しているということがとても好印象であった。

今更この方が国立競技場を作ったことが嬉しくなり、よかったなあぁと思う。

もっとこの方の建築を見て
どんな表現をしてきたのかを知っていきたい。


そして、自分の問題であった、どう暮らすかとのことだが、2人の対談を聞き

「どこでも暮らしていける」
と確信した。

もちろん自分の気に入る場所もそうでない場所もあるだろうけど、人間は適応できる。
だましだましでやっていける。

「暮らす」ということは一生付きまとうし、
色んなところに住むことでじっくり考えていきたい

そういう意味でも、成り行きで、どこでも住んじゃえばいいじゃん?って気持ち。

今の私なら、どんな場所へ行っても楽しめるんじゃないかと思うし、もっと楽しめるように、建築を含めたいろんなことに興味を示したいなと思った。

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