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ロプンの宗教の倫理教育と人権教育

宗教法人が学校法人並みに情報公開出来れば、一般の人が誰でも、集めたお金をどのように使っているか判断する判断材料になる。宗教が集めたお金を公共の福祉のために使わないなら、その宗教以外の人たちがどうして評価出来よう?宗教こそ、教育には向いているはず。ちなみに豊かな宗教法人が目立つけど、私の知人のお寺さんは大抵お寺だけで生きていけない。学校、幼稚園、公務員、とにかく生活のために仕事し、檀家さんのためにお寺を継いている。義務感で頑張っている。彼らには公共の福祉どころか、傷んだお堂を修復するほどの資金はない。豊かな所は是非、考えて頂きたい。

公共の利益のために私が提案したいのは、

どの宗教、宗派かに拘らない、

倫理教育・人権教育の共通なテキスト

を作る、という点。

神様を信じていてもいなくても、

宗教を信仰していなくても使える、

様々な宗教のエッセンスを凝縮した、

超宗教・超宗派なテキスト。

隣人を愛する事や、差別しない事など

誰もが必要で、「命より経済」といった

考え方は逆に社会の害悪。

その中で、世界標準の人権意識や

ジェンダー、教育に対する意識を養う。

そもそも宗教者にこういった意識は

特に現代は必要だ。

今だ仏の名の元に残業代を払わないとか。

会社の経営者がサービス残業させるのも

どうかと思うが、宗教者が信仰を理由に

同じ事をするなら、それは俗っぽすぎる。

「上の言う事は絶対」もそう。

という事は、倫理教育と人権教育がまず

必要なのは、宗教者か?

宗教界、落差激しい。

※写真はイメージです

#宗教 #仏教#信仰#倫理

インドからチベットに伝わった文化である「仏教」を仏教用語を使わず現代の言葉にする事が出来たら、日本でチベットの教えをすぐに学べるのに、と思っていた方。または仏教用語でもいいからチベットの経典、論書を日本語で学びたい方。可能なら皆様方のご支援でそのような機会を賜りたく思います。