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獲物を追いながら食べるものは?

狩りメインで生き延びられるのだろうか?
学術的根拠のない、私の憶測から書き始めますね。
狩猟民族と農耕民族という分け方がよくありますが、人類が狩猟民族として生きていた時代なんて本当にあったのだろうか?という疑問を私は持っています。

狩猟の対象は何でしょうか?鹿とか?弓矢で鹿を射止めるって並々ならぬ技術がいると思うんです。

そして仮に今、ある狩猟民族のハンターが弓矢で鹿1頭を射止めたとします。このハンター、あるいはハンターたちは、家族や部族など、何人分の胃袋を満たす必要があるのでしょうか?

おまけに現代のように冷蔵庫も、冷凍技術もない。余った肉を1週間保存するなんて無理だったと考えると、この射止めた一頭の鹿がそんなに長い期間にわたって食料としての価値をもっていたとは思えないんです。
燻製にでもしたのかな?

先日ある本を読んでいて、アマゾンの狩猟民族の狩りに同行した学者さんの話が出ていました。
その狩猟民族の人々はとても鋭い嗅覚を持ち獲物の居場所を推測するようです。
そして何時間も、時には数日かけて獲物を追い続けます。

その数日何食べてるの?
で、思ったんですけど、もし数日かけて獲物を追い続けるとして、その間ハンターである狩猟民族の人々は何を食べて追跡し続けるのかと。まさか他の動物じゃないでしょうし、木の実とか落ちている果実のような気がします。

つまり狩猟民族において、狩猟は食を得るためのほんのわずかな部分しか占めなかったのではないかと。獲物を得るための時間や労力がかかり過ぎる。

食生活の99%は木の実や自然にある植物などだった可能性が高いような気がします。だいたい狩猟みたいに収穫を安定的に期待できないものに人々が依存するとは思えない。

もうここからはまさに私の想像以外の何物でもないのですが、狩猟って、例えばある部族の中でお祭りとか、儀式などのためにお供え物、捧げものを得るために行っていたのであって、つまり人々が口にするためというよりも、なんというか神様に捧げるためとかそんな特別な意味のある行為だったと考えた方がすっきりします。

射止めるのにとても苦労する。だからやっと射止めた獲物はとても貴重で、だからこそ捧げものに値するみたいな。
だから間違っても鹿を10頭も射止めるとか、そんなことはしなかっただろうと思います。実質的に無理だったと思いますし。

恐竜の走る姿
ちょっと話はずれますが、昔チラノサウルスのような恐竜はこう、なんていうかゴジラのように垂直に立って描かれていました。それが学者の研究によってだか、上半身と尾でバランスをとるように、体が地面に水平になって移動していたんだみたいに認識が変わってきました。「ジュラシックパーク」というで映画ではまさに恐竜たちは垂直に立って走るなんて形では登場してなかったと思います。(記憶違いだったらすみません)

今まで「当然だ」、そして「当たり前だ」と思って受け入れてきたことが、ある研究やら出来事がきっかけで、ガラッと変わることがあります。

ある日「狩猟民族なんてあったわけないじゃん。人類は長きにわたってほとんど木の実を収穫して食べてたんですよ。私肉食べませんけど何か?」とか粋なこという学者が現れないものかと、そんなことを想像しています。

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