08.推しが元気でもメンタルは壊れる

せっかくなのでレポートしてみた。



■発症期間

6/11から約十日間ほど

■症状「メンタルダウン」

・行い全てが間違っているように感じる=自信喪失
・無気力
・誰からも必要とされていない気がする
・生きているだけで誰かに迷惑がかかると自責し始める
・上記から他者に「存在していること」を隠したがるようになる
→外に出たくない、SNS閲覧が困難、「いいね」が押せなくなる等
・いないほうが世のためになる
・自殺は多少なり誰かに迷惑がかかるため、「誰かに殺してほしい」と考えるようになる
・しかし死んで簡単に楽になるのも許されない、とも考える


いざ振り返ると笑えるぐらい大袈裟。1か10しかない。白黒つけたがる性格が起因している可能性。その間も大事なのにね。


■原因

プライベートなものなので割愛。
一つだけでなく、様々な出来事で悉く失敗。それらが複合的に積み重なった結果。

余談だが、今年は悪い出来事ばかり。本当に推しが元気なことだけが救い。それ以外は全てうまくいかなくて、今でもこれからの人生に恐れています。ぷるぷる。


■どう過ごしていたか

・推しの配信を観ていた
・推し以外の配信を観ていた(主にだるまいずごっどさんのRUST)
・切り抜きを観ていた(だるまさん)
・寝ていた
・漫画を読んだ
・音楽を聴いていた
・ご飯を食べた
・出勤した(勤務先には特に伝えず)
→一日病欠。いよいよ死ねるかとその日だけは楽になった。

【詳細】
(長いので飛ばしてOK)

病んでも推しが元気なら!

しかし、そうであればそもそも病んだりはしない。
私の場合は逆に、
「私が応援しなくても元気なら、もう何もしないほうがいい」
「他の人に任せればいい。代わりはいくらでもいる」

といった、言葉にすると当たり前のような答えに勝手に傷つき、さらにメンタルをこじらせていた。自分はこんなにもつらいのに、画面の向こうでは推しとリスナーが笑っている。そんな現実とのギャップで、かえっていつもより苦悩することとなった。典型的な「自分だけがつらい。自分が一番かわいい」心理である。陥りがちとはいえ、いと哀れ也。

だからといって、何もしないのもそれはそれでつらい。推しの配信を追いつつも、過去に幕末志士のゲラに助けられた経験から、「笑いの絶えない配信」または「頭を空っぽにして楽しめる配信」を探すように。その際、おあつらえ向きだったのが「だるまさんのRUST」だった。

推しの配信とてその要素はあるが、後者の「頭を空っぽ」は幾分難しい。思い入れが強い分、あれこれと考えてしまう。メンタル不全の状況にてそれは逆効果。しかし観たい欲求のほうが勝り、結果、足を引きずりながら追いかけた形になる。申し訳ない。

閑話休題。だるまさん本人のゲラは勿論、基本的にはソロ、レイドはせず平和プレイ、ストリーマーサーバーでの予測できない、かつ誰もが有名人レベルの、まるでオールスター感謝祭的出会いから、ただのファームでさえも勝手にストーリーが紡がれてゆき、ゲームの知識がないのもかえって好都合で、

「次に何が起こるかわからないわくわく」

は、メンタルダウンの欠けた心に優しく、かつ元気よく染み渡っていった。
配信の翌日にアップされた切り抜きも何度もリピートした。今更語るべくもないほど人気だが、下記だるまさんの切り抜き師「だるま好きやねん」さんは一度紹介しておきたい。

見飽きた後はそのまま別ゲームのだるまさん切り抜きを適当に漁っていた。

一日4、5時間のファームから三日目レイドとなるRUSTストリーマーイベントは、二日目までのチーム内コミュニケーションの長閑な空気とは打って変わり、三日目のレイドにてAPEXカスタムよろしくヒリヒリとした空気へと一瞬にして様変わり。そのギャップに心の底からわくわくした。これがたった三日間で紡がれた物語とは到底思えず、そのエンタメとしての完成度に、思わずだるまさん以外の五つのチーム全ての切り抜きを探し回ったほど。

普段から推しの切り抜きは観ない主義で、この点は特に罪悪感はなかった。だるまさんは好きだが、推しではない。私が「推し」と呼んでいるのは勇気ちひろ、たった一人だけだ。
とはいえ、RUSTは面白い。そう断言できる。飽きも早そうで一時的な流行りに過ぎなそうではあるが、これからもイベントがあるなら是非に追いかけたい。「RUSTはしない」と公言している推しには悪いが。


「睡眠」
それ以外はひたすら寝ていた。なぜだかこの時、眠ることだけは何時間でもできた。どれだけ寝ても、夜にはまた眠れた。レム睡眠が続いたのか、熟睡と覚醒の狭間で何度も夢を見、それがまるで映画を観ているかのようで楽しかった。起きた時には何も覚えていなくて、ただ悪戯に時間だけが過ぎていくのは罪悪感があり、結局病んだ。


「漫画」
脳科学的にも、ネガティブ思考に陥った時は「全く別のことをしてネガを強制的に遮断する」のが効果的らしい。ゲームも然り。
物語のあるものよりかは、例えば「テトリス」といった、シンプルにプレイにだけ脳リソースを割くものが効果的。お話があると、内容如何によっては逆効果にもなる。誰が失恋した直後にラブロマンスなぞ観たいと思うのか。
というわけで、漫画という逃避行は内容次第で浮き沈みがあり、特に決定打とはなり得なかった。それでも気分転換にはなり、少しは前向きにもなれたりはした。悪くない選択だったとは思う。

「音楽」
普段から聴いているが、この時はダウナーなものしか耳に受けつけず、室内はいよいよセルフお葬式と化していた。
余談だが、ツイッタープロフィールにもある通り、私は音楽が最も好きである。音楽が人の形をして歩いていたら推しを一本背負いして投げ飛ばし、迷わずその子と手を繋ぐぐらいには好きかもしれない。どこかで書いたと思うが、配信観覧中も裏で流し聴きしている。自室にいる時において、音楽が鳴り止むことはただの一秒もない。

故に、日常の延長。さして効果もなく。ただ、だるまさんのゲラのバックでこんな音楽が流れ出した時、さすがにミスマッチ過ぎて急遽プレイリストを変更したりはした。

(作曲者のトム・ヨーク曰く「ポジティブな歌」らしい。ほんまに?)

梅雨の曇天、降雨とも相性が良く、「死にたい・・・」と思う反面、ただ音楽に心酔したりもしていた。いつだって、音楽はいい。別になくたって生きている。だからこそ、好きにもなれる。

「ご飯を食べた」
死にたいけど、生きるための行為に手を伸ばす。こういった矛盾こそ、感情をもって生きる動物が愛しいと思える瞬間なのかもしれない。
個人的に「食欲がない」という経験が人生を通してほとんどないため、食べる時間はいつでも祝福されているように思う。逆に、食べることに興味を失った瞬間が一つのラインで、その時は迷わず病院に行こうと考えていた。餓死ってマジでしんどい死に方らしい。せめて死ぬ時ぐらいは楽に逝きたいよなぁ。

「出勤した」
いつでも行きたくないが、この時ばかりは心底つらかった。個人的に電車が嫌いなので、それも合わせてつらかった。とはいえ急に休むわけにもいかず、いざ体が物理的に動き出すと脳もまた別スイッチが入り、かえって「つらい」も身体の外へと放出され、幾分楽ではあった。が、勤務後にはまたしんどいリアルが手招きして私を待っている事実に変わりはなく、ただの一時しのぎでしかなかった。むしろ勤務先で大きなミスがなくて良かったと思う。いよいよ死んでおかしくなかったかもしれない。


■どう治せたか

治らず。波があり、陽の下に出られそうな時もあれば、またすぐ引っ込みたくもなる。おそらく死ぬまで続くので、治すというよりかは「どう付き合っていくか」が課題になる。
ちなみに、今もSNSはほとんど閉ざされたままで通知もろくに確認できていない。閲覧も情報系のアカウント等、限定的。一方的に呟く元気はある。推し活もとい、吐き出す場がなければつらいままで、所謂便所の落書きを貼る場所のようなものになってしまっている。今はこれが限界です。申し訳ない。


■小話

(と言えないほど長くなったけど)


かつてこんなことを口に出していた知り合いがいた。

「相手なんて誰でもいいから一刻も早く結婚したい」

なんて愛のない考えなのだろう、と当時は信じられなかったが、今なら少しわかる。「契約結婚」も手段としてはおよそ悪手こそすれ、間違いでもないのだろう。メンタルダウンした際、専ら回復方法とは「誰かに打ち明けること」だ。おそらくどんな人間の、どんな悩みでも。

「出会い目的のにぃにねぇねは駄目!」

とは推しの弁だが、構うものか。パートナー探しとは自衛のためでもある。当然、火遊びは推しの顔に泥を塗るため論外だが、清い付き合いなら積極的であっていい。お互いの推しが共通しているのなら、それが何よりのきっかけになるだろう。正直こんなつらい思いをしているリスナーが他にいるくらいなら、躊躇わず手を出してほしい。じゃないと、歳月を過ぎたあとに少しずつ後悔することになるかもしれない。私もほんの少し前までは「独りで生きていける」と決めつけていた口だから。

また、振り返ると「人に親切にする」も有効的だった。
あくまで自分の場合だが、人に親切にしているその瞬間だけは、自分がここに存在することを赦されているような、そんな気持ちになれた。
反面、これは自分のためにしているに他ならず、ただの偽善に過ぎない。そういった考えも同時に浮かび上がり、逡巡もした。

メンタル不調から体調、つまりフィジカルもやられたが、その際の急なお休み申請も職場は快諾してくれた。しかし、療養するその日のうちに「ただでさえ役に立たないのに」と、今度は休むことへの罪悪感も芽生え始め、もうどうしようもないな、と思った。
心も体も壊れたが、そのくせ飯は食うし配信は観るわで、ただ怠けているようにも思えた。死んでも駄目で、ならば産まれたくなかったが、それも両親に悪い考えで、とうとう思考ですら逃げ場は失われた。文字通り、本当にどうしようもなかった。

言葉にすると驚くほど大袈裟で、滑稽で、メンタルダウンとは一体何なのかと疑いたくもなる。ただ自分だけがかわいくて、同時におかしいんじゃないか、と。

それでも身体はこの身一つ。一生付き合っていくしかない。独りはつらいが、こんなガラクタを良しとするような人間にも巡り合える気がしない。

推し活とは、そんな人間でも誰かを助けることができるような、一時の全能感に身を浸すことができる、そんな瞬間なのかもしれない。スパチャを筆頭に、投げ銭とはなにも見返りが欲しいわけではなく、ただ単に自分を癒すための、ある種の罪滅ぼしなのかもしれない。そう考えると、私が普段推しの配信で観る投げ銭とは思いのほか暗い闇が潜んでいるのかも。そうだとはあまり考えたくはないが・・・。

そんな投げ銭すらろくにせず、「推し活をしています」と豪語する人間がここにいる。今まで貰えた推しからの「いいね」は、わがままを述べた記事後に得たそのたった一つのみ(のちに深い配慮ある行為だとは気づけたが)。あまつさえ本編記事ですらもはっきりと「私はガチ恋勢である」と名乗り出す始末。本当にどうしようもねぇよ、こいつ

メンタル不全の誰かがこんな無駄に長い文字列の、こんなところまで読むことはないだろうが、そんな私のような人間でも今日まで孤独に生きてこれて、かつこれからも何とか生きようとしている。そう考えれば、多少なりこの世に対する恐れのようなものもなくなるのではないか、と思う。

とどのつまり、何が言いたいかと問われれば答えは一つ。

お金がいっっっっっちゃん大事!!!

お金さえあれば銭投げ放題よ。皆様の推しに躊躇わずお金を投げ、投げる先がないならグッズやらスポンサー先にお金落として、どんどん経済回してけ。

私はマジで何もないので、その分必死こいて頭回しときます。ブログも続けます。だって推しからフォロー外されないし、続けていいってことでしょこれ。まぁこんな記事書いた矢先、フォロー外して死なれたら寝覚めも悪いからもう外せないのかもしれないけど。

というわけで、推しの寝覚めのためにも生き続けます。そして生き続ける限り、私は推し、勇気ちひろのガチ恋勢であり続けます。残念だったな。これからもよろしく。あ、マスティフはやめて。わざわざケアパケから持ってこないで。

でもちょっと怖い。そろそろ56されそう。もしかしたら数少ない読者の中に意見を言いたい人もいるかもしれない。そう考えて、初めてマシュマロ作ってみました。必要ないと思いますが、ご意見ご要望、お問い合わせ、野次、罵倒もう全部ください。面白ければ記事にもします。でも一番は何もないことです。平穏であれ。

そんなこんなで、これからもよろしくお願いします。







元気になってきた矢先に、こんな出来事も。
深爪→放置→動いているうちに傷口拡大→激痛
マジで舐めてました。いやでも深爪でこんななるなんて誰が想像つく?


まともに歩けず、無理して出勤しても足手まといになると判断。直近に病欠でも休んでいた手前、申し訳なさ過ぎて指よりまず心が痛い。理由も本当に情けない。推し活だってほとんど迷惑千万。お前ほんと何ならできんだ?


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