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「実行されて困ること」を言うのはなぜ

渡る世間は建前ばかり。本気ではないけど、一応は良好な関係として保持したいし、その場の雰囲気的にもここは使うか。そう、「社交辞令」を。
使う側であれ、使われた側であれ、誰しもが経験をするだろう。交流の場で自身の印象を悪くしないように、建前で切り抜けるソーシャルスキル社交辞令。

社交辞令において、発言中にあった口約束の“実現可能性”は問われない。というか、実現は「ほぼ無い」に等しい。(と思ってる)

そして大体、定型分は「また今度(機会があれば・予定が合えば・〜〜のタイミングで)○○しましょう」である。

私はこの決まり文句がめちゃ苦手で、どれくらい苦手かというと、酢豚のパイナップルぐらい苦手。

要するに、私のような社交辞令を“使われる側”で、ソーシャルスキルが低いがゆえに“真に受ける”タイプは、使われる上にそれを本意として素直に受け止めてしまい、相手とのズレや齟齬を発生させてしまう。

酢豚にパイナップルを入れられる時点で損失なのに、私は酢豚のパイナップルを「酢豚メンバー」としてではなく、「フルーツのパイナップル」としてでしか認識できないのだ。結果、調理者の意図に反した反応をしてしまう。

とはいえ、私も人間と交流はするので社交辞令は使う。ただ、それは“実行されて困らない”スタンスのもとで使用されるもので、「実現するつもりはないけど」や「なんとなく場を収めるために」など、いざ実行されて困ることになる動機は絡んでいない。


社交辞令以外にも、この“実行されて困ること”を人々が自ずから発している例は多数ある。

・やけに調子の良い店員さん

「これください」
「はい、じゃあ300万円ね!」
「えぇー、どっかから融資受けなきゃ」
「・・・・・スーッ」

ノリを返されて困って聞こえてないフリするならやっちゃダメだろ。スーッ、じゃないよ。お祭りの屋台や移動販売、商店街やその地域に根付いた店に多い。お釣りでも同じボケをやりがち。
なんで乗っかったら、こっちが悪い感じになってんだ。いや、ボケに乗っかるこっちが悪いのか。奴等はかぶせではなく、愛想笑いを求めているのだから。

・不特定多数呼びかけツイート

誰か暇な人おらんのー?今からあそぼー
明日暇な人一緒にどっか行こー
今、○○おる人おらん?

正気の沙汰ではない。(個人の感想です)
仲が良い人しかフォロワーにいないならまだしも、それ以外の有象無象もいるのに、有象無象の中に私のようなやつもいるのに、そんな大して仲良くないやつが「暇ですが、準備をするため30分後になります。大丈夫でしょうか?」とか送ってきたらどうすんだ。絶対困るだろう。困り果てて、困りに困った末に果ててしまうだろう。

決してアカウントがBANされるような怪しい呼びかけではない、友人達への純粋な「食事や買い物に行って遊びましょう」をツイートで呼びかけているのだ。

私には到底マネできない所業だが、全然関わりのない人が挙手してくるリスクを気にしないぐらい友達に対して確固たる信頼を寄せているのだとしたら、大したもの。

ただ、もし微妙な感じの人が呼びかけに応じたら絶対困ると思う。コレ、ゼッタイ。


実行されて困ることをやる人の心理がわからない点においては、私に欠損があるのだろうか。むしろ私が異常で、実行されて困ることをするのが人間として普通なのだろうか。

ソーシャルスキルが足りないのか、あまりにも対人関係上でリスクヘッジをしている結果なのか。なんか、どっちも当てはまってる気がする。

多分、社交辞令もそれ以外も、いわば応急処置のようなもので、刹那的に捉えていて、みんなそんなに深く考えていないのかも。

「今度また○○行きましょうね」とか、社会通念の上で本気にするやつは「ほぼいない」として認められているから、同じ考えを共有しているもの同士で社交辞令を出しても、受けても“あいこ”で打ち消される。

でも、社交辞令を使う相手が“真に受ける”やつなら、打ち消しは起こらずに約束だけが残留する。
この社交辞令じゃんけん、出せる手は2パターンしかないのに、相手が何を出したか(どっち側か)わからない。真に受ける側が圧倒的不利。

ものすごく鬼畜な心理戦じゃないか。
「真に受けるからダメなんだよ」と諭されるかもしれないが、誰かから声のかかる機会が少ない私には約束としてそれらは一緒で、約束はどれも貴重なのよ。

だから、今後も真に受けて損をする、酢豚にパイナップルを不本意に入れられる人生を歩もうと思う。

しんみり。

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