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「自粛」や「不要不急」の効き目

どこもそんなに人通りが減った印象はなくて、これ「みんなが外出自粛してる架空の世間」のことを思いつつも出歩いてて、実際の世間は「外出自粛してる架空の世間のことをみんなが思いつつも出歩いてしまってる世間」でしかないんじゃないか。

みんな今起きてる事態の深刻さをわかってるけど、わかりつつも外に出てるんじゃなかろうか。

「世間は本当に外出自粛してるのか」と人通りが多い場所でふと思いながらも外を出歩く(出歩かざるをえない)人間だけで構成された世間。

つい先日、私も街中へ行かざるをえないことがあったのだが、電車内でも街でも変化はあまりなく、複雑な心境だった。外国人観光客を見かけなくなったぐらいだろうか。
そうなると、街中で人通りの変化があまり見られなかったとすれば、外国人観光客が減った穴埋めをするほどの人数が追加で外を出歩いていたことになる。あくまで単純計算ではあるが……

「不要不急の外出は控える」や「外出自粛」といった要請の個人個人に対する効き目は薄い。
組織(会社や学校など)や集団(多人数が集まる場)、こと催事などには影響が大きい。

イベント業界は火の車だそうだ。中止や延期によって出た損失を国がどうこうしてくれるのも望み薄だという。就職先は舞台照明の仕事なのだが、今は「仕事」があるかどうかもわからない。4月の入社式前から、職場に順応できるかなどとは違う不安を感じている。

自粛要請が組織や集団にもたらす影響は大きいが、個人にもたらす影響はあるのかないのかわからないほど微弱なものだ。

「会社がリモートワークにシフトした」が「家にいる時間が長く退屈なので気晴らしに遠出した」では本末転倒。

「学校が始業の日程を大幅に遅らせた」が「それを好機として旅行に行って、外で友達と遊びまくって」では元も子もない。

“感染者のいない土地”というゾンビ映画やドラマでしか聞かない土地に旅行客が増えてるそうだ。
その土地(観光地)にとっては経済的にプラスだろうが、旅行客がウイルスを持ち込んでしまう可能性を考慮した場合、プラス効果だと言い切れるか。

自粛要請を受けて、組織や集団の対応があっても個人がその要請に対応する選択をしなければ、「不要不急」や「自粛」に効き目や意味があるとはいえない。

無論、職場がなんら対応をしていないというケースもある(その方が多いかもしれない)だろう。
「自粛」ではなく「命令」になった時、その職場はどうするのか、諸外国では自宅待機命令が出されているが、今後の日本はどうするのかよく見ておかなければいけない。

国民的な著名人も死んだ。東京オリンピックを開催させるため医療機関に感染者数の公表を国家が規制したとの不穏な情報も流れている。冷静さを欠いた人が他人のことも考えられなくなり買い占めに走る。

馴染みのある有名人の訃報でウイルスへの憎悪を吐きちらしている場合じゃない。緊急性を思い知ることができたのなら、いまさらでも正しい知識を身につける必要がある。

今は個人がどうするべきか、よく考える時間である。
自粛や不要不急の効き目をよく考える時間である。

お風呂にバブでも浮かべながら。

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