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【随想】映画『悪は存在しない』濱口竜介

『悪は存在しない』を観た。
視聴してから1週間経つから、もう忘れてきているけど。
いや、でも、1週間も経っているのに、目に焼き付いているシーンが数多くあり、やはり、傑作だったことは間違いない。
自分の中では、ドライブ・マイ・カーとこの2作だけでも、現代の日本で一番の映画監督だと感じる。

この映画は、色々と考察できるようになってるから、どれが正解とかなくて、きっとどれも正解なんだろう。

『悪は存在しない』というタイトルの意図は何か。
一見タクミのラストの行動は、悪に見えるけども、あれはバランスが決めていることで、悪ではないんだっていう風に受け取った。
説明が難しいが、あれは悪という人間の主観ではなく、映画という虚構全体を通して起きた自然現象(イリュージョン)の一つというような。
そう考えると冒頭からそこまでに至る過程のすべてが一気に不気味になる。
村の摂理を守るために「便利屋」として重宝されているタクミは、人を殺すことも厭わない。
穏やかで、ゆっくりとした田舎の自然の景色が、急に暴力性をあらわにする。

高橋がだんだん、村に共感を覚えていく流れ。
初見では、すごい他者を理解しようとして、また自分を変えようとしているいいシーンとして見ていくが、タクミ視点で見た時に、すごい穿った見方をすれば、都会の住人が、田舎暮らしをちょっと非現実として楽しんで、分かった気になっているのが癪に障ったとかもあるかもしれない。この村のこと、ちょっと水汲みや薪割りしたくらいで簡単にわかった気になるなよと。
(この分かった気になるなよというのは、映画を考察する人に対しても言ってきているようで怖い)

決定的なポイントは、車中での「鹿の通り道」について、タクミが言い返せなかったことだろう。
それまで、否定も肯定もしないタクミは、他人の意見にもきちんと耳を傾ける良心的な存在として描いてきていたのに、鹿はどこに行くんだ?という質問に対し、理詰めで論破してくる高橋たちにイラッとしたのだ。タクミからしたら、そういうことじゃない。もっと神聖な、精神的な話をしているんだ。ついさっきまで水汲み一緒にして、ちょっと分かり合えたかと思ったのに、全然こいつら分かってないじゃんと。ここで対話の不可能性みたいのが芽生えて、もう分かり合えない、ってなったんじゃないのか。そして、そんな話をしていたがために、また娘の迎えを忘れるという失態。だから、ラスト村のために便利屋としての仕事を遂行する…

タクミから見たら、高橋がこうタクミに取り入ろうとしてくる感じも嫌だったんだろう。こいつなら懐柔できそうだと思われた。でも高橋は、たぶんそこまでは考えてなくて、いち営業マンとしてそういう人に取り入っておだてて仕事をとることを無意識にしてしまう。部下との話では、仕事を辞めるって言ってたのに、タクミには社内転職をしてとか言い替えているところもずるい。「川の水は上から下へ流れる」という台詞が、フラストレーションが見えないうちに、だんだん蓄積されて、映画のラストに全部しわ寄せがくるという風に受け取った。あの若者みたいに、直情的に反応するんじゃなく、タクミは沸々と見えないところでため込んで、爆発するタイプの人間…

濱口監督は、緊張感の作り方が異常にうまい。
ゆったりとした時間の流れで見るものを油断させておいて、急にその場で動物の内臓(内面)を掻っ捌いてほらこれが人間でしょと見せてくる。

ゴダールやタルコフスキーを感じながら映画を観ていたから、この記事はとても興味深かった。


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