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ミニオンズ全史はサピエンス全史より優れている

こんにちは。long(@kametaro)です。1週間で自分がつぶやいたことを1つピックアップして妄想を膨らませる試み。今週はこちら。

突然なんですけど、我が家ではミニオンズが好きで新作は映画館に見に行ったりするくらいなんですよね。いい歳こいたおっさんが、子供たちに紛れてミニオンズを見てて本当に気持ち悪いですね。

ミニオンズを知らない人もいるかもしれないので、ざっくりウィキペディアを参考にストーリーを説明すると、もともと海で暮らす単細胞生物だったミニオンたちが、長い年月をかけて種別関係なく最強最悪の主人に仕えることを目的にしていろんな事件を引き起こすという内容です。

これまでも、地球史の中でティラノサウルス、原始人、エジプトのファラオ、吸血鬼、ナポレオンといった様々な悪党や実力者に仕えてきました。しかしながらミニオンたちの主人となった者はみんな、どういうわけか何らかのアクシデントによりことごとく死んでいくんですね。仕えるべき主人を失うたびにミニオンたちは次の主人を求めて移動し、そこでまた事件を起こすという具合です。

ところで、一方サピエンス全史を読んだことある人はたくさんいると思います。ですが一応こちらもざっくりと内容を説明すると、我々人類のルーツであるホモ・サピエンスっていうのは「虚構」を信じるという能力によってこれだけの繁栄をしてきたというかなり斬新で面白い切り口の書籍です。

さて、ミニオンズが最強最悪の主人を信じるのと、人間がよくわからない虚構を信じるのって潜在的には同じなんじゃないでしょうか。最強最悪の主人っていうのは、要するに「ありとあらゆる悪行を通じて」自分の欲望を満たしたいという、とてもまっすぐでわかりやすいビジョンを提示してくれる存在ということです。例えば、会社の社長が「人類のために」とか「世の中に貢献したい」とか「顧客に貢献したい」とか、口ではそう言いつつ実際は私腹を肥やすのが一番の目的とか、そんな話より全然わかりやすいと思います。なにしろミニオンも人間も元々は生存弱者だったので、生き残っていくためには強者の後ろ盾が必要だった。それが具体的な主人なのか、絶対神的な「虚構」なのかという違いだと思うんです。

それで、この「具体的な主人」と「虚構」の違いについてなんですけど、「具体的な主人」は実績で評価することが可能です。たとえば、ミニオンたちは、グルーという悪党に支えていて、グルーの悪事に対して彼らなりの全力で協力します。ところが、グルーがあるときから悪事に関わることをやめるんですが、その後彼らはグルーに見切りをつけ別の主人へと乗り換えることになります。自分たちの信念と一致しない主人とは決別する。非常にわかりやすい仕組みじゃないでしょうか。

一方、人間の信じる「虚構」は掴みどころがなくそもそも実在しません。それゆえ「神がこの世界を創造した」という一文に対して、肯定することも否定することも様々な解釈ができます。それがこの「虚構」の、ある意味では素晴らしく柔軟なシステムだと言えると思うんですよね。科学がどんなにロバストな事実を明らかにしようとも「神がこの世界を創造した」とは、科学におけるこの部分を抽象的に表現したと、言い張ることだって可能なんですから。そして、それがどんなに聞き苦しい言い訳だろうとも、それを信じる人にとっては、それは紛れもない真実ということになるんですよね。

ここで企業に目を向けてみると、企業理念や会社の使命みたいなものありますよね。あれも別に本当になにか揺るぎがない使命を、なにかよくわからん圧倒的な存在から拝命しているというわけじゃなくて、実は会社が勝手に使命だと言い張っているだけなんですよね。でも、それに共感した誰かが社員となって会社っていう組織がだんだん成立していく仕組みです。これはまさに「虚構」を信じる人類ならではのシステムを巧みに利用していると言えます。

ところで、この「虚構」ですが、今日ではそれを支える根拠が必要になります。大昔であれば、例えば、「神のお告げです」とそれっぽく言って、それを科学的に不合理だと立証するすべもなかったので、ある意味言ったもん勝ちだったと思うんですが、今ではあまりに突拍子もないことは誰も信じてはくれません。「世界を救う会社にする」とどんなに主張したところで、実際にどういう活動をしていてどういう効果があるのか、それによってどれほどの利益がでるのかとつぶさに事実を突きつけられてしまうわけです。

人がいくら「虚構」を信じるからと言ったって、根拠が示されなければ「虚構」を継続して信じさせることはできない。つまり「虚構」を裏付けるデータの必要性がわかったという時代が現在であると言えます。ようやく「具体的な主人」を崇拝するミニオンに人類は遅まきながら近づきつつあると言えるかもしれません。しかしながら、今は非常に中途半端な状況であって、これまで人類はありとあらゆる大事な意思決定を「虚構」に頼り過ぎてきたので、まだまだ慣れているとは言えません。(朝の占いで今日着ていく服を選んでる人いますよね?)それはまったく致し方ないことだってことが、ダニエルカーネマンのこの本を読めばよくわかると思います。

まとめ

今週もまた箸にも棒にかからなことをつらつらと書いてしまいました。自分の中の「虚構」をいったん受け入れて、その上で「具体的な主人」を受け入れるべくデータを活用しましょう、そんなことをぼんやりと考えた1週間でした。

来週もよろしくお願いしますー

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