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万能な『物差し』を手に入れられるか?

こんにちは。long(@kametaro)です。1週間で自分がつぶやいたことを1つピックアップして妄想を膨らませる試み。今週はこちら。

人類を測る『物差し』

一説によると、宇宙が誕生して今日まで138億年が経過していて、地球が誕生して現在までが46億年、それから、最初の生命が誕生して現在まで38億年経ったということらしいですよね。

さらに、我々の直接的なルーツであるホモ・サピエンスが誕生したのが、ざっと100万年くらい前らしくて、宇宙が誕生してから今日までを1日に換算すると、人類の存在期間はだいたい6秒程度ということになるわけです。というか、ここまで壮大な話になってくると、こんな数字になんの根拠もないんですが、もっと言えば、自分の寿命なんてほんのわずか100年足らずで、人類の存在期間を100として、わずか0.01%程度の期間でしかないんです。なんだかそう考えてみると、数字の信憑性はともかく、人の一生がどんなに儚いものか切実に実感できますよね。

あと、これもまた、ほんとか嘘かわからないような数値ですが、地球上には約900万種類くらいの生物がいて、なので人類といっても、900万分の1に分類される1種別に過ぎず、とすると仮に人類77億人が大体全生物の平均くらいの生物数だったとして、77億x900万=??、ん〜、もはやとんでもない数値になって、自分の存在なんかはさらにその数分の1ということになっちゃいます。ぼくはこう考えると気が楽になるんですよね。

相対的な『物差し』

歴史の観点でも、今からほんのわずか200年前の1820年は、日本はまだ江戸時代(文政3年)だったわけです。普通にちょんまげで、腰に刀をさしたヤバイ人が道を歩いていたんですよね。200年といえば、人類の寿命換算でざっと2人分ということで、人の寿命を直列で繋ぐと、西暦なんてたったの21人分しかない。ちなみに、黒船が浦賀に来航したのが1853年(嘉永6年)のことだそうで、それより新しくまだ170年くらいしか経ってないんですね。

地理的観点では、日本は島国という制約もあるから、海外に渡航するハードルが地続きの国と比べると高そうに感じてたんですが、海外未経験者は国民全体のだいたい2割弱程度しかいなくて、つまり8割強の日本人は何かしら海外渡航経験があるらしいんです。意外にもアメリカ人のだいたい3割の人は、海外渡航経験がないらしくて、多民族国家だからといって、必ずしも海外の経験があるとは限らないんですね。まあ、こういうご時世なので、なかなか海外旅行に行く機会も減ってますが、ネットもありますし、昔に比べると世界の情勢に対する情報格差が減ったんじゃないかなと感じています。

『物差し』≠自分の常識

えー、ここまで、人類、歴史、地理という高々3つの観点で考えてみましたが、自分自身が生物として存在期間がいかに短く、生まれた時代によって周囲を取り巻く状況も大きく異なり、生まれた場所、また出会う人、行動範囲もいかに限定的かということが再認識できました。

こんな不安定な状態にある自分の持つ常識が、果たして普遍的な『物差し』として役に立つんでしょうか?たとえば、

ぼく自身は社会人として1999年からシステムの仕事に携わるようになって、それ以来21年間ずっとソフトウェアに関する仕事しかやったことがありません。同様に飲食店を経営している友人や営業職の友達、デザイナー、薬剤師、主婦など、ぼくの周りでも様々な生活があって、ぼくの仕事に対してやっていることの細かい事のうちほとんどは彼らに理解できませんし、逆にぼくも彼らの仕事の詳細はまったく理解できません。

これは別に職種が異なる場合に限った話ではなくて、職場の同僚でさえも自分より十年以上歴の長い熟練の先輩と、まだ2、3年目の若い同僚とでは、完全に『物差し』が異なります。もし、熟練の先輩が若い同僚に「なんでこんな常識も理解できなんだ!」と叱ったとしても、若い同僚にとってそれは常識ではないので、素直で謙虚な性格の人なら、その熟練の常識を理解しようと必死に努力したりもするでしょうけど、ほとんど場合、老害として彼らは忌み嫌われるだけです

『物差し』≒相手の常識

そんな感じで、お互いの常識を片方だけの『物差し』で測ろうとすると、長さもメモリも違うので上手く測ることができない。ぼくはお互いの常識の解離ってそういうことなんじゃないかと思います。

なので、ある対象について、ぼくがどんなにこのやり方が正しいと信じて疑わない方法を持っていたとしても、まずは相手の『物差し』を借りて、その相手の『物差し』で対話できるように心がけています。

その際に大事だと思うことは、相手の言葉の中で、自分が理解できなかったことをそのままにしないということだと思うんです。つまり、「それはどういう意味ですか?」と分からければさっさと相手に聞く。それに対して「こんな常識も知らないのか!」という返答が相手から来た場合、その人とは残念ながら『物差し』を共有することを諦めた方が良いです。『物差し』を快く貸してくれない人と良い仕事はできません。それをさっさと判断するためにも、分からないことはすぐ聞く、というのは有効な手段だと思うんですよね。

あと、『物差し』のメモリを揃える方法として有効だと思うのが、相手の説明してくれた内容について、自分の理解を翻訳して伝えるという方法です。これは鸚鵡返しになっちゃうと逆効果になります。自分の言葉で翻訳することが重要だと思います。

心ある話し手は聞き手に多くの情報を与えようと努力してくれますが、相手の理解度を検証してくれることはあまりありません。なので、聞き手側の努力として「それはこういう理解であってますか?」という質問をすることで、話し手の意図と自分の『物差し』のメモリを揃える努力をするといいと思います。

これって、話し手側からいちいち「これは理解できてますか?」と確認しながら話すというのは、結構骨が折れますし、「なんだか相手を軽視している感じがして」あまり良い気分もしません。聞き手としてもいちいち理解しているかどうかを聞かれるのは、「信用されてない気がして」あまり良い気分ではないと思うんです。なので、聞き手の方から積極的に「あなたを理解しようと努力しています」というアピールをしつつ、メモリを揃えた方が関係性も良好に築けるんじゃないかなと思うんですよね。

まとめ

今週もまた箸にも棒にかからなことをつらつらと書いてしまいました。結局言いたかったのは、万能な『物差し』なんか手に入れられるわけないじゃんー!でした。だから、必要な場面で必要な物差しを相手に合わせに行く努力をすることで、できる限り組織の足並みを揃えることができるんじゃないかなーという話でした。

来週もよろしくお願いします!

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