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奔放で快哉な語り―太宰治「盲人独笑」

 太宰治『お伽草子』の作品はいずれも、古典をはじめ、当時から見て現代以前に題材を借りている。巻頭の「盲人独笑」は、江戸後期から明治を生きた、葛原匂当という箏曲家の日記である「葛原匂当日記」の引用(の形に見せかけた語り手の改作)である。

 この「日記」の特異な点は、全編がほとんど平仮名で記されているということだ。その表記の形式が大きく絡むもう一つの特異な点は、この日記の書き手=匂当が、盲人であるということだ。語り手によれば、匂当は多才な人物で、音律に対する天賦の才のみならず、文字版を手作りして数十年に及ぶ日記を記したり、器用さを活かして様々な発明や工作を行っていたようだ。

 語り手が抜粋した日記は、天保8(1937)年、匂当26歳の1年間である。盲人“独嘯“的な、捻くれた自意識を開陳されるかと思いきや、そこに書かれているのは、琴の稽古、暑い、寒い、歯が痛い、という愚痴など、他愛無いことごとの合間に、味わいのある和歌や、夢の話や恋の予感、印象的な挿話である。1日の記述が「あそんだ。」や「なにをしたやら、わけがわからぬ。」など、たった1行で終わることも珍しくなく、アバウトな一面もチャーミングだ。

 先ほども少し触れたが、この引用めいた匂当の日記は、改作されている。日記が終わり、語り手が再び顔を覗かせる時、この小品は創作というものの範疇を浮き彫りにする。 つづまるところ、「作家としての、悪い宿業が、多少でも、美しいものを見せられた時、それをそのまま拱手鑑賞していることが出来ず、つい腕を伸ばして、ベタベタ野蛮の油手をしるしてしまう」(27)ことによって、新たに価値を見出し、創造的に古典をこれからの時代へと移行しようとする意欲的な手つきである。太宰治や芥川龍之介、明治の文豪とよばれる人々はそうした古典への取材を欠かしていない。物語の原型、古典に漂う淘汰を跳ね返すような輝きを、彼らはよりよく創作に取り入れているのかもしれない。


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