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2020年11月の記事一覧

#32 海の祈り

#32 海の祈り

 海がある。とか、あれは海だ。というのは正しくなかった。この世界は海そのものなのかもしれなかったから。

 碧い水底のように淀んだ街に屈折した影が過ぎていく。音もなく、藻が揺れるように、絡みつくように、ゆったりとした歩みで。アスファルトの歪みからあぶくが立ち昇り、翠の空へとまた昇る。白い、光のような小魚たちの一群がビルの間を器用に縫いつける。ひび割れた外壁を磯巾着の優しい襞が極彩色に覆っている。く

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#28 モガディシュの月

#28 モガディシュの月

 まだ年端も行かない少年だ。目の隈は深く、その碧の眼はくすんだ灰色を含んでいる。浅黒い肌には若さに似合わぬ古い、えぐれた傷跡が残っている。暴力的にほそい手足は、どこか寂しく、けれども弱さは感じさせない。彼の弱さは彼の抱える銃にあった。AK47式機関銃。泥にまみれたそれは、未だ重い感慨をもって彼のふたつの腕が支えている。替えのマガジンはない。弾が出るのかも、彼はまだ知らない。それは少年が生きていく、

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#26 地球儀

#26 地球儀

 それは、いつもおごそかに文机にあって、奇妙な存在感を放っていた。目に眩しく鮮やかな青い海の面積と、クリーム色をした砂漠地帯、緑色は平野部だろうか。幼少期の私にとって、世界は外界の広がりであり、この、自らの頭とさして変わらぬ球体の中にあった。

 あれから十数年経って、記憶は朧げになりながらも、覚えていることがある。地球儀を回転させすぎて、軸が摩耗してしまい、本来の回転の予期せぬところにまで球体の

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#25 心は孤独な機織り

#25 心は孤独な機織り

 こころがもし存在するのだとしたら、きっと孤独なことだろうと思うんだ。だってひとりひとりのからだの奥底にあって、誰にも触れられないんだよ。時としてこころとからだは別々に動いたりする。そのちぐはぐなアンビギュイティは、俯瞰すると或る意味操り人形みたいだよね。誰にも理解されないまま、暗い底の方で、懸命に想いという機を織り続ける。織らされている。勤勉な工場労働者みたいに。