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#26 地球儀

 それは、いつもおごそかに文机にあって、奇妙な存在感を放っていた。目に眩しく鮮やかな青い海の面積と、クリーム色をした砂漠地帯、緑色は平野部だろうか。幼少期の私にとって、世界は外界の広がりであり、この、自らの頭とさして変わらぬ球体の中にあった。

 あれから十数年経って、記憶は朧げになりながらも、覚えていることがある。地球儀を回転させすぎて、軸が摩耗してしまい、本来の回転の予期せぬところにまで球体の自転(?)が及んでしまうこと、それは祖母が買ってくれたものであるということ、小学校に入る前の私が、ひどくそれに執心していたこと。

 僕にとって、地球儀の頃は、時間が沸騰していて、全ての物があたらしかった。球体にびっしりと刻まれた聞いたこともない都市の名前、ひどく小さい「日本」という島、それを歯牙にも掛けない巨大な、海と陸地、その質量。幼少期のエキゾチズムがそこには詰まっていて、それは今のGoogle Earthでは代替できない。Google Earthは全てを詳らかにしすぎるのだ。行ったことのない都市の写真、ストリートビューで、実際にみると言う体験ができる。それは或いは、想像力を殺す営みであり、地球儀を学問の道具から道楽のアンティークへ押しやってしまう危険性だ。

 今日、バイト先の学習塾で地球儀を見て思ったことたちである。まだ家に残っているだろうか。あのグラグラと不安定に回る、表面の擦り切れた愛おしき、地球儀。