見出し画像

有吉佐和子

ブログを書きたい気分になったので書きます。
自費で作った鹿の解体施設に新たなオプションを加えました。
解体施設は自宅に隣接しているのですが、その間の通路に屋根を取り付けました。

屋根を取り付ける前↓

屋根を取り付けた後↓

屋根を作った理由は、搬入した鹿を解体施設内に入れる前にチェーンブロックで吊るして体の表面の汚れを水で流して洗浄したいからです。
チェーンブロックを雨ざらしにする訳にはいかないので屋根を作りました。
チェーンブロックで鹿を吊るす台はコメリで単管パイプを買ってきて作りました。

このチェーンブロックで吊るす台は簡単に作れたのですが、屋根を作るのが結構大変でした。
簡単なDIYなら自分で出来るので簡単に考えていたのですが、これは結構大変でした。

DIYなのでビスを至る所に打ち込まないといけません。
自宅の方は木造建築なので、ビスを打てる場所を見つけ易いのですが、解体施設の方は外装が金属なので直接ビスが打てません。
なので、波板屋根を設置するには解体施設側にどうしてもビスを打てる垂木を固定する必要があります。
解体施設の屋根に登ると、このような突起が規則正しく並んでいました↓

ここでまず考えたのが、この突起の側面にドリルビットで穴を開けてL字金具をボルトとナットで留めて、L字金具と垂木をビスで固定する。
ですが、
う~ん、自費で建てた愛着の深い解体施設に穴を開けるの嫌だな~、って思っちゃったんですよね。

う~ん、どうしよう、どうしよう、と悩んだ挙句、強引な方法を思い付きました。

“クランプで挟む”

これです↓

垂木とL字金具をビスで留めて、そのL字金具と突起をクランプで挟む。
これ仮留めではなく、このまま行きますからね。
こんなことするヤツいないだろうな~
台風で吹き飛ばされないことを願う。

完成しました。

マジで台風で吹き飛ばされないことを願う。

さて、話したいことはDIYじゃないんですよ。
先日、農林水産省の方からインタビューの依頼があり応じました。
「ジビエト」というジビエ関連の活動をしている人やお店に焦点をあてたサイト(農林水産省が支援)があるのですが、そこに掲載されました。
是非ご覧ください。


インタビューの際には、鹿を駆除している現場に立つ当事者としての苦悩や葛藤をメインに話したのですが、農林水産省(鹿を駆除せよと号令を掛けている側)がバックについているサイトですから、そこは書けなかったのでしょうね。
でも綺麗な記事にまとめてもらって感謝です☆
鹿駆除政策の問題点は自分のブログで発信していくことにします。

「人生は楽しいことよりも辛いことの方が多い」というのが持論ですが、こうやって記事にされたものを読むと、実は楽しい人生だな~♪ なんて思いました。

穏やかで平和で楽しかった時期はいつかな? と考えると、それは大学生時代です。
小中高と本当に勉強が大っ嫌いだったのですが、大学での勉強が面白くてガリ勉大学生でした。
サークルもバイトもしないし、彼女もいない、ひたすら勉強に没頭していました。

普通に考えると変わってますよね。

大学1年生の頃、とある講義で課題を課されました。
レイチェルカーソンの「サイレントスプリング(沈黙の春)」、有吉佐和子の「複合汚染」、このどちらかを必ず読んでレポートを出すようにという課題でした。

古本屋に行ったら、有吉佐和子の「複合汚染」が売っていたんです。
買って家で読んだら、もう感銘を受けてしまって、この名著が影響して卒業論文は有機農産物関連のことを書いて賞を取りました。

自給自足の生活を目指して、大学卒業と同時にお爺さんの暮らす、この豊丘村へ移住してきました。お爺さんとの二人暮らしがスタートする訳ですが、ある時、お爺さんの書棚に有吉佐和子の本があるのを見付けました。
「恍惚の人」という本でした。勝手に手に取って読みました。
なぜお爺さんがこの本を購入したのかは分かりません。聞けばよかったのかもしれませんが聞きませんでした。

老人介護の問題をテーマとした内容ですが、これも本当に感銘を受ける名著でした。
その後、実際に自分が20代後半から30代半ばまで、お爺さんを介護して看取った訳ですが、本当に大変でした。

先日、お隣の松川町から講演会に招待されて話をしてきました。
私は動物愛護の人間ですが、鹿の命を軽視した国や自治体の駆除政策が常態化してしまっているから、その流れを変える為に鹿の駆除の現場に今立っています。

駆除したら捨てるじゃなくて、
駆除したら食べないとダメですよ。
自治体が動物の命に対して、そんな無責任なことをやっていてはいけない。

そういうことを話してきました。

私は優秀な経営者ではなく、世の中の理不尽を正したい活動家です。

この先、私も歳をとっていずれ死にますが、お爺さんを介護して看取ったので、そのご褒美として最期の時は安らかに死にたいという願望を持っていました。
でも、もうその願望は数年前に捨てましたね。
だって無理ですよ。
鹿の駆除の現場に赴き、これまで何百頭という鹿の最期の断末魔の叫びを我が身に浴びてきました。

もう覚悟を決めてしまっているんでね、ある意味清々しいです。

「駆除したら食べる、それが当たり前の社会」を作るために歩み続けますよ。

話は変わりますが、歴史的に動物の殺生を忌み嫌う日本において、食肉業がどう捉えられてきたか、今後どう変えていかなければいけないか、それについてどうしても書きたいので近々書きますね。
宜しくお願いします。
それでは。

農家民宿ひがし 公式HP


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?