![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/140749468/rectangle_large_type_2_fe0a7e8bc3d38a2e2bcc7a3de0b81b1f.jpeg?width=800)
ある地名の風景
”骨通り”という街角 kotsudori
その昔、江戸には鈴ヶ森、小塚原という
二つの刑場がありました。
鈴ヶ森は今の品川区南大井、小塚原は荒川区南千住。
現在はどちらも史跡となり、お寺の敷地です。
時代劇で聞くくらいで
どちらも行ったことはなかったのですが、
ちょっと前に知人から
「南千住に”骨通り”(こつどおり)という道がある」
そんなことを聞きました。
歴史が歴史だけに、いかにもという地名。
聞き流すわけにはいきません。
![](https://assets.st-note.com/img/1715788556817-cQD7s91UkR.jpg?width=800)
そして初めて訪れた南千住。
何か殺風景な、うらぶれた路地を想像していたのですが、
目の前に現れたのは何とも綺麗な広い道。
地名とのギャップに絵を描く気も急減!
だからこの絵は”骨通り”というより
”骨通り”から裏へ入り込む路地角です。
悪しからず(笑)
”骨通り”とはもちろん通称です。
一般には”山谷通り”といい、南千住駅から千住大橋に向かう、
国道4号線に出るまでの500mほどの道。
江戸時代の奥州道・日光道の一部だったようです。
”骨通り”の前に”小塚原”という地名ですが、
室町時代にはすでに見え、江戸時代には小塚原村でしたが、
明治になって千住宿に組込まれて現在は使われていません。
その由来は村の鎮守だった飛鳥権現(現在は素盞雄神社)境内に
不思議な光を放つ”瑞光石”の置かれた塚があり、
この塚に因むという説があります。
古くは”古塚原”や”骨ヶ原”とも書いたそうですが
”小さな塚”の方がしっくりきますねぇ。
塚は地名になりやすいので案外本当かもしれません。
まぁ、瑞光石はわかりませんが・・
”骨通り”と”小塚原”、
ひょっとして何か関係あるのでしょうか?
ちなみに、千住は俳人松尾芭蕉が
「奥の細道」に旅立った場所ですが、
その地点をめぐり荒川区は南千住、足立区では北千住といい
双方の意見が分かれているとか(笑)
(つづく)
(荒川区南千住)
![](https://assets.st-note.com/img/1715788457883-SNdqBS1Dyv.jpg?width=800)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?