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ある地名の風景

久が原の道、色・ホワイトブレンド    kugahara-2

絵はポップだし
タイトルもどこかで聞いたよーな・・まぁ、春ですから(笑)

この道は久が原の住宅街です。
碁盤の目状の街区で、こんな真っすぐな道が特徴的です。

散歩するにはちょっと単調ですね。
あまりキョロキョロすると不審者ですし(笑)

明治初期に作られた地図を見ると
直線道路が交差する久が原の中央部は
ほとんどが畑だったようです。
どうりで・・

久が原は、
昔は「久河原」「久川原」などとも書かれたようですが
地名の記録があるのは江戸時代から。

ということは、少なくとも戦国期には
「くがはら」「くがわら」なんて地名があったんでしょうね。

前回お話しした杉並の”久我山”と同じ
”くが”が気になって仕方ありません。

山だろうが原だろうが問題は”くが”です。

実は地名の研究者は
”くが”の元は”こが”あるいは”ごか”という語で、
空閑地(くうかんち)のことだと言います。

空閑地とはまだ開発されていない土地を意味し、
全国には久賀や古賀、後閑など
同じルーツの地名が多くあります。

「まだ開発されていない」といっても古代のことで
これから荘園として開発されるであろう土地のこと。

しかし、元々そういう意味を負っている地名ですが、
今の久が原あたりが未開発だったとしても
古代からそう呼ばれていたのかわかりません。

中世になってやっと開墾することになった時
「あそこの”くがの原っぱ”を開発すんべかぁ」
なんて会話があって(笑)
それ以来ここらあたりでは”久が原”が根付いたのかも。

久我山も同様でしょうが
忍者の伊賀甲賀の”こうが”や
合掌造りで有名な富山の五箇山の”ごか”も同じだといわれています。

(つづく)

(大田区久が原)

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