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「わかって欲しい」は相手を矯正すること?

「ただ、私の気持ちをわかって欲しいだけ」と
ずっと夫に言い続けてきた。

共通言語である日本語で話し合っているんだから、
わかり合えないはずがないと思っていた。

丁寧に説明すれば、
必ず相手は「理解」してくれると信じていた。

子供の頃から親に対してもそうして来たし、
わからないことだって、何だって丁寧に説明してもらったら
わかったじゃないか。
それと同じことが起こると当たり前に思っていた。

私は細かく、自分の気持ちや感情を説明し続けた。
わかってもらえるように
時間をかけて、何度も何度も全身全霊を込めて説明してきた。

その度に彼は言った。

「俺を詰(なじ)るな!」

攻撃されている様に感じる、と言って逆上し、
悲しんでいる私を逆に言葉で攻撃して来た。

「詰(なじ)ってなんかいない、ただ、気持ちをわかって欲しいだけ。」
いくら伝えても、伝えても彼には伝わらなかった。

一体、何が起きているのか私にはサッパリ分からず、さらに落ち込み、
気持ちが通じない夫に対して、
何度も傷つき、悲しみ、絶望し、苦しんできた。
傷付けられた上にさらに塩を塗られたような、悲しみと絶望感。。。

え?もしかして、ただ気持ちをわかって欲しいということ自体が
相手を矯正しようとしていることなのか?

そんなつもりは全くなかった。

ただ、気持ちをわかってさえくれれば、私は救われる気がしていた。

理解してもらえることで、
過去からの孤独と悲しみと寂しさが少し和らぎ、
彼の温かさを感じることができるのではないかと
心の中で期待していた。

そして、どうやら『気持ちをわかって欲しい』と願うことは
アスペルガーの人にとっては「自分を矯正されること」、
即ち、欠点を指摘され、責められているように感じると言うことに
ようやく気づいた。

あー、そういうこと?

果てしなく疲れる。