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好きすぎてアンチになる話

想いが強ければ強いほど、裏切られたように感じてしまったときに、行き場を見つけられないどうしようもない感情はアンチのようなものに形を変えると思う。
"好き"だから。"心配'だから。"信じていたい"から。"あなたのため"だから。こうすべき。
そう言いながら今までの自分の時間が正しいものであったと思いたくて言葉にする。
でも他人なんて簡単に変えられるものでもないし、思い通りにいくものでもない。
「せっかく言ってあげたのに」「なんでしてくれないの?」になるんだよね。伝わらない言葉はどんどん強くなって、一生懸命言葉を尽くすほど、距離は遠くなる。
勝手に信じて、勝手に裏切られて、ばかみたいだ。

でもその感情の流れ自体はとても理解できるし愛しいと思うんですよね。対象に迷惑や危害さえ加えなければ。多かれ少なかれみんな持ってるものじゃない?そういう経験いっぱいすれば良いと思う。持ってなかったらまあそれはそれで。
「自分がその対象からは外れてしまっただけ」「相性が良くないだけ」
よくそう言いますよね。そしてそれはその通りなんだと思います。
でもそう簡単にそれで納得できる人なら、イラッとしたりウジウジ言わないよね!気にしないよね!目に入れるから、目に入るのにね!
こういうの理解しちゃうからメンヘラ製造機とか言われちゃうのかな!(余談)

特にこれ!って何かがあったわけでも、目にしたわけではないんですけど。勿論今そんなことの真っ只中にいるわけでもなく(いたらもっと感情的になるから書けない)
たまにふと周りを見て感じたり、思い出したりするんです。自分もその傾向はあるよなって。
好きだから、「ここさえ直ればなあ」って何度かオブラートに包んで伝えたり。
好きだから、「こうなればなあ」って自分の好きな方に誘導したくなったり。
好きだから、それでも全肯定して自分を無理矢理納得させて受け入れてみたり。
でもやっぱり完全に大丈夫だと思ってないから、また嫌な気持ちになって。繰り返し。
嫌われたくない、好きでいたい、嫌いになりたくない、好きでいさせて欲しい。
全くもって健全じゃない!
どんどんもやもやは膨らんで、ぱんぱんになった風船みたいに。ギリギリのところを保っていたのに、急な何かで嫌になってぱーんと破裂します。そうなるともう駄目。ぜーんぶ無理になる、この先未来永劫目にしたくない。あばたもえくぼ、可愛いえくぼに見えてたものは醜いあばたになります。

だからさ、好きを頑張んなきゃいけないなら、頑張って離れたほうが健全で、その先もずっと自分と対象を好きでいられると思うんだよね。
意見は良いんだよ。お願いも。粗探しをし始めたら、早く気付いたほうが良いの。
それはさ、自分を好きなだけだから。他人に殴りつけるみたいにぶつけて良いものではない。

「昔と変わったね」って、生きてたら人は変わるものなんです。
「昔と変わらない」って、そう簡単に人は変わらないものなんです。
「こんなこと言うなんて馬鹿にしてる」って、他人の気持ちなんてわかるものじゃない。
「わかってくれないなんて」って、他人はあなたをわからないし、あなたも他人をわからない。

これは私の経験の話。
私が過去に持ったことがあって、壊れる前になんとか手放した話。
私が過去にぶつけられて、壊されかけてなんとか逃げ出した話。
私が過去に見てきて、壊れてしまったのを見届けた話。
画面の向こう側。身内。友達。恋人。仕事。知り合い。作品。
感情の中でも好きの取り扱いは、本当に純粋で大きいほど危ないなと常々気をつけています。すぐ手放せないから同じくらい逆に振れてしまう、と思う。
自分の感受性ってとても大事で切り離せないものだから、自覚していたい。自覚を忘れてしまうことが、とても怖い。
だからあんまり執着とかしたくないのにね。大事な存在を増やしてしまうんですよねえ、ばかだから。

まあ「あなたのために」なんて言葉は、それまでの時間も覆してしまうくらいに私にとってこの世で一番の地雷で呪いなんですけどね。

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