見出し画像

青い春と書くけれど、青春の季節は夏だと思う

ひたすらに痺れながら、今年は甲子園に明け暮れた。スーツを着た社会人は時に年下に見えることがある。全然、下に見える。しかし、高校球児、特に甲子園に出てくるような高校の球児たちは、年下に見えない。もう7つ以上も下のはずなのに、年上に見えてしまう。あの頃の幻影か。追っていた先輩の姿や、活躍する同級生の背中が大きく見えたが、背番号をもらうことができなかったろきちゃんにとっては同級生もほぼ年上みたいなもんだ。彼らは非常に立派だ。立派すぎる。あの頃と見え方が同じすぎて悲しくなる時がある。まだまだ自分が子供すぎるかと思いきや、甲子園が終わって1ヶ月もすればひとつ歳を取ることが悲しい。

甲子園にはいくつもの青春が溢れている。グラウンドで躍動する選手たちはもちろん、ベンチ、マネージャー、スタンドにも青春が詰まっている。「熱闘甲子園」を観ていると、目頭が熱くなってくる。あれは最高の番組だ。いまさら、高校野球をしたくなってくる。もう一度、高校野球をしたところでベンチにはさらさら入ることはできないだろうが、それでも、彼らの青春でサイダーを飲みたくなる。「熱闘甲子園」では、1試合ごとに、その試合のキーマンやマネージャー、応援団も含めた陰の立役者などにスポットライトを当てて、試合のダイジェストが流れる。多角的なインタビューを踏まえた試合のダイジェストは、ありえないほどに満足感がある。ろきちゃんが特にグッとくるのが、負けたチームにも試合後に焦点が当てられることだ。試合後のインタビュー。感謝を伝えるキャプテン。

そして宿舎に戻るのだ。「熱闘甲子園」では、宿舎でのインタビューをよく目にする。宿舎に戻ると、あんなにカッコいい野球戦士たちが、年齢相応の無邪気な高校生に戻る。そして、チームのお調子者がちょける。これがクソつまらない。めちゃくちゃつまらない。みてられない。せっかく感動したのに、まぁ結局こんなものだろう。野球部での嫌な思いを、あの1、2分で全て思い出す。あ、野球部ってこうだったわ、の思い。馴染めなかったわけではないが、なかなか馴染めなかった野球部の雰囲気。その正体を知った25の夏だった気がする。

あの嫌な宿舎のワンシーンすら、青春を生き写ししている。あそこまでが青春であり、決して,「好きだ」「私もずっと好きだった」だけが青春ではない。大学生になって、色んな人と出会って、クソみたいな別れ方をするのも青春だ。「熱闘甲子園」にはそれが詰まっていた。コカコーラのCMに始まり、宿舎で終わる。

球児の皆さん、めちゃくちゃ楽しませてもらいました。お疲れ様でした。そして、どの高校もおめでとうございました。これからの人生も素敵でありますように。少し涼しくなった気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?