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毒と闇の私の青春


私の人生最大のトラウマ


最も毒性を強め、闇を深めたのは
高校生活でした。


私の高校進学は
父と母に決められ


『この高校で陸上をやれ』と言われた
高校へ入学しました。


しかしすぐに
自律神経失調症を発症


排尿障害を抱え
部活中だけ失禁してしまう。


生理でもないのに
毎日ナプキンを持っていないと
不安でビクビク。


勇気を出して打ち明けたものの
治療はさせてもらえず


『気持ちの問題だから、あんたが頑張るしかない』

『お前が弱いからそうなるんだ』


辛い気持ちを訴え、やめたいと訴えても


『そんなこと言ったってやめるわけにはいかないでしょ?』

『部活を辞めるなら学校も辞めろ』

『高校にもいかない恥は家の子じゃない』


さらには


『お前には感謝が足りん』

『親への感謝が足りないからそうなるんだ』

『お前は高校行かせてもらってる立場』

『部活をやらせてもらってる立場』

『親の顔に泥を塗るな』

『お前の陸上にどれだけお金かかってると思っとる
もっと本気になってやれ』

『金食い虫』




家にいるのが地獄でした。


味方はいない
誰も助けてくれない


普段目の前で大喧嘩する両親が
この時ばかりは結束していて
恐怖と不信感と絶望で溢れていました


子供の頃から足が早く
長距離が得意で走ることが好きだった私は


『私が足の遅い子だったら、こんなことにならなかった』


私は自分の好きなところすら恨みました。



何故、こんなことになったのか
今ならハッキリとわかります。


親が私に自分たちの価値を預け、
そして、私も親に自分の価値を預けていたからです。




2人に共通していたのは
【子供を自分の成績表】にしていたこと。



私ができたら、さすが自分の子。
できなかったら、恥・認めない。



しかし私も私でした…


私の陸上の話になると結束する両親を見て
強い恐怖と不信感と絶望を感じる反面


『私が頑張って陸上で結果を出せば
お父さんとお母さんは喧嘩せず
仲良しでいてくれるのかな?』


『私が頑張れば家族が幸せになれる』


なんて思っていました。


でも仕方ないですよね。

親に愛されたかったんだもん。


引退の日を夢見て
なんとか過ごす毎日
練習をやり遂げることに精一杯でした。

それでも高校3年の春には
800Mで県内ベスト8という
好成績を残すことができました。


顧問の先生からも嬉しい言葉をかけていただき
家に帰って親に報告するのを楽しみに帰りました。

苦しい苦しいばかりの陸上だったけど
やっと『これくらいできたよ!』と言える
結果を残せたと思い


初めて
『お父さんにも走ってるとこ見てもらいたかった』と言えました。


しかし、父の口からでた言葉は

『いい!いい!見たくない。
どうせビリを走ってただけだろ、
お前が決勝行った時点で最下位なのわかっとる』

でした。


膝から崩れ落ちるような感覚
本当に私に向けられた言葉なのか。


この瞬間ボロボロと音を立てて
私の心は壊れていきました。


それから症状は一気に悪化し
歩いているだけでも漏れるようになり

とっくに限界を越えていた私の心も
越えられないところまできてしまいました。


私が頑張れば家族が幸せになれると思っていたけど

もう頑張れない、役に立てない、ごめんなさい。
私は愛されない。

もう生きていたくない。




何が正しいのかもわからなくなり
私は親への恨みの手紙を残し
自殺を図りました。



本当に苦しくて苦しくて
私の心を粉々にした3年間。


大人になってからも
言葉にできないほどの恨みで溢れる記憶でした。



でも、今私は
深く負った傷も乗り越え
心理学を学びカウンセラーとして活動しています。


そんな私が強く思うこと。



自分の価値は自分が決める。
自分の責任で自分の人生は幸せに生きる。

悲しい過去は未来を幸せに生きる
ヒントになります。



過去を悔やみ、親を恨み、自分を恨んでしまう人を
1人でも多く救うことが

私があの時生きた理由なんだと思っています。


最後まで読んでくださり
ありがとうございました🥰


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