雨、買い物、自愛。アンパンマンとドラえもんにも言及
2024/09/19、木曜日、夕方、家、そして雨。先ほど落雷とともに、一瞬停電になった。すぐに復旧してひと安心。
今日はまた、だいぶカオスな走り書きとなった。タイトルを予め一言で回収するのは難しい。カオスな思考の変遷、パターンを、物好きな方に伝えてみたくなったとお考えいただきたい。
スーパーマーケットに行った。サプリを買って、グミを買って、刺し身を見て肉を見て鰻を見て満足し、シャツも2枚確認して満足した。繰り返しになるが、買ったのはサプリとグミ。
帰宅して、また冷静になって、少し寝た。自分を大切にする過ごし方ができた気もする。自分を最優先にするような選択肢。自分を後回しにしない選択肢。お金の無駄遣いもしなかった。と思う。
微睡み、思考、そして微睡み。これがクリエイティブに効き目ありと、聞いたことがある。肌ざわりのいいブランケットと暗闇。いい時間だな。
それから。
家族と過ごし、食事をし、妻とも話し、これから休む。今日もいい一日だった。やはり、在宅ワークの日は自分を大切にできる選択肢が取りやすいように思う。家族がいるときはなおさら。逆に、単身赴任や、一人暮らしの時期はまた話が変わる。自暴自棄とは言わないまでも、何か満たされず、在宅ワークなのに、わざわざ街に出かけてみたこともある。
これは、家族への依存であり、また、自分を後回しにすることの反動であるのではと今年気がついた。どこまでも自分が空っぽになりやすいのだと、あれこれやってみて気づいた。何を言っているのかわからないという人も、きっといるだろう。
普段自分以外の何かを最優先にしていると、ふいに、俄に自分を優先していいときにどうしていいかわからなくなると言うことだろう。
説明としていいものかわからないし、どの程度不適切で不謹慎か判断がつかない例だが、長年厳しい独裁政権が続いていた国で政権が倒れると、中央がスカスカになって却って混乱したり、また質の悪い政権が立ち上がるのを嫌だけれど期待してしまうような状態と、多少共通するところがあるのてまはないか。
閑話休題(それはともかく)。自分の内側から満たすことだ。自分を大切にして、自分と一緒にいることだ。後回しだった自分がひとりで過ごしているき、何をしていいかわからなくなってしまうというのではなく、普段から自分のニーズを、サインをしっかり受け取ること。そうでないと、家族や仕事や、天変地異など、やんごとなき事情や外的要因がないときに、自分が空っぽに感じられてしまうのだろう。
自己犠牲的なあり方はわかりやすいし、慣れている人にとっては心地よくもある。快があったりする。これを私はかつて、アンパンマン型ヒロイズムと勝手に名付けていた。助ける人がいなくなってしまうと、アンパンマン型ヒーローは、自己効力感を著しく下げることがあると見ている。助ける人がいなくなると、アンパンマン型ヒーローとしての私は、ある意味で「寂しく」なる。顔を「かわいそうな人」に与え食わせて自分の無価値感を埋めたり、その苦しい状態で戦ったり、顔が濡れて苦しい中で戦ったり、新しい顔を得て最後に逆転勝ちをおさめるとドーパミンが異常分泌される。死にそうなところからの勝利。自分がやったのだという達成感、充実感。まわりからの称賛、羨望、感謝。ああ、俺はこのために生きていたんだな、生きていてよかったなという実感。個人的には、私はこういう生き方を無自覚にしてきた部分がある。
アンパンマンを悪くいう気はさらさらないが、自分がアンパンマン型ヒーローとして生きることには苦しみが伴ったりすると考える。PTSDでの精神的なダメージや身体的な損傷により、回復不能になることもあるだろう。年金を得て、栄誉を得てヒーローとしての余生を生きられればまだ救いようもあるが、名もなき埋もれたヒーローは、ただ社会の表舞台から姿を消すこともあるだろう。何らのリワードも受け取ることなく!それは辛いことでもある。
今まで国際協力や社会的養護に少しずつ関わってきた私としては、このアンパンマン型ヒーローを、社会のそこかしこに見つけることが多かった。自分はそうなることを避けたいと思いつつ、このモデルをきれいになぞっていたことを、今年はよく実感したものだ。
6年ほど前から、私はこれに対して、ドラえもん型のヒーローモデルを考えてきた。自己犠牲ではなく、ソリューション提供型のヒーローだ。感情にも寄り添う。完全無欠ではなく、人間くさいある種の間抜けさもある。魅力、チャームとも言えるだろう。また、ソリューションにもありきたりな論理性だけでなく、くすっと笑えるユーモアや、ブラックジョーク的な質もあったりするのがいい。意識的に、このあり方を増やしていきたい。
アンパンマンよりもドラえもんが優れているということではなくて、自分が意識するモデルとして、ドラえもん型のモデルを目指すことが改めてよさそうだと思うのである。
アンパンマン自体はもちろん素晴らしい。やなせたかしさんの人生観と魂が詰まった大切な作品だ。私はそれを否定しない。作者の生きた時代の価値観、環境、文脈、時代性もあるし、今はいまで、食べものの大切さをあえて強調しない現代を生きることに、私は危機感をさえおぼえたりもする。なんのために生まれて何をして生きるのかという、昔ながらのパーパスドリブンも、二十年ほど前から私を魅了してやまなかった。
これからさらに練るが、私はこの説明モデルをとても大切にしている。これから、この説明モデルをしっかりと、実用に耐えるように磨いていきたいものだ。
おしまい
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