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不連続日記

2024/09/15 日曜日、夜。自宅。今日はエアコンの前に陣取って、スマホを使って書いている。

不連続日記というタイトルは、ふと思いついた。昨日久しぶりに日記を書いて公開したから、昨日からは連続しているが、これが明日続く保証はない。生粋の三日坊主だが、三日目の保証はない。故に、不連続日記としたわけだ。

語感としての元ネタは、「不連続殺人事件」という小説であることに、先ほど自分で思い至った。坂口安吾さんの作品。坂口安吾作品は、無料で公開されているものも多く、オンラインで多数読んでいた。逆にお金を払って読んだのは、高校生のときに買った「白痴」、コロナ禍に地元の昔ながらの本屋で買った「不連続殺人事件」。後者は、まだほとんど読んでいない。オンラインで、無料で読めることも確認した。この作品は、登場人物が多いようだ。設定を頭に叩き込んで、それから楽しむ作品だと理解している。何もすることが思い浮かばない休日に読もうと楽しみにしていた部分もあるし、登場人物の設定を頭に入れるのが少し億劫で、何年も放置していた部分もある。いずれにしても、私の本棚に、その文庫本は独特な存在感を持って居座っている。

なお、積ん読という言葉があり、読まれなかった本は読まれないという論調もあるが、私は積ん読を後から読む人間だ、今のところ。買ったときのインスピレーション、読むときの選ぶときのインスピレーション。時間が経ってからふと手に取るときのインスピレーション。そして、時を経て読んだときの不思議な同期性。今読んで、本当によかった!と思うことは今まで実にたくさん経験してきた。現実の課題に引き当たること多く、現実の興味に沿ったときに選ばれることまた多く、というわけだ。セレンディピティ的でもあり、シンクロニシティ的でもある。カタカナ語を書きたかったのだ。

坂口安吾作品の「白痴」についても一言。これは私が学生のころ、原作を活かした映画が作られ、浅野忠信さんが出演していた。数年前にはじめてしっかりと観たが、実に不思議な映画だと感じた。原作の小説は割と短いものだったので、高校生のときに私はそれを読んだ。読むことができた。同じく当時読んでいた三島由紀夫さんの「仮面の告白」や「金閣寺」に比べたら、実にスムーズに読みきることができたのだ。その「白痴」はなんとも言えない不気味さを持った作品として記憶していたが、実は詳細を記憶はしていなかった。数年前に映画を観た際に読み直したが、高校生のときにわからなかったことが、実体験をもとにすんなりと理解できた部分もあった。受信できるボキャブラリーやアイディア、受容体が増えた感じがした。

これは他のあらゆる作品を楽しむ際にも言える。経験しなかったものを知るチャネルでもあり、そこから経験を拡げることもある。また、経験したものによって、描かれたものがリアリティを持って理解できることも増えた。この両方があって作品世界と現実世界を楽しむことができるのだなと、最近特に感じていたところだ。一言では終わらない「白痴」からの一連の話だった。

不連続日記と題したので、ここで連続性が突如断たれても特段の問題はないだろう。そのようなわけで、今回はこれでおしまい。

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