謙遜って幸せになるの自分だけじゃない?
謙遜で幸せになるのは自分だけ。
「謙遜」について思うところをつらつらと書く。
よく思うし、大事にしている考えなのだが、過剰に謙遜することで幸せになるのは、謙遜している当人だけだと思う。他の誰も幸せにしないよなーって。
どうしてそう考えるかと言うと、謙遜することによって
自分→思ってもいない自己卑下でその場をやり過ごそうとする嫌な人間になる、しかし褒められていい気分にはなってる
相手→好意で発した誉め言葉を退けられて嫌な気持ちになる
という結果しか得られない。そんな場面にしか遭遇したことがない。それに、この後の会話が盛り上がったことがない。上っ面だけの「またまたぁ~!」は頂くことはあるが、それをさせてしまっているのも申し訳ない。
褒める側も誉め言葉は受け取ってもらった方が幸せな気持ちになるでしょ。これは少し考えればわかるはずの当たり前のことなのだが、謙遜してるときって相手の気持ちを考えていないんだよな、多分。
もうちょっと丁寧に、謙遜が嫌いな理由を掘ってみる。
相手の好意を無下にする
謙遜が嫌いな理由の1つ目がこれ。せっかく褒めてもらってるのに、それを突き返しているような気分になる。
悪意があろうと無かろうと、謙遜中は相手の発言を否定しているわけで。否定された相手が喜ぶことはないよね。
ほめる言葉は受け取ってもらった方が嬉しいはずだし、謙遜による否定はせずに「ありがとう」と言いたい。相手の気持ちを考えるなればこそ。
ありがとうをたくさん言う人は見ていて気持ちがいいよね。
相手にさらなる気遣いをさせる
2つ目の理由は、「相手に追加の気遣いを強いてしまう」こと。
謙遜すると、相手にその後のフォローを強いることになる。褒めてもらった上に、卑屈人間のケアまでさせる。これがとても嫌だ。
謙遜した後の会話パターンって、9割はこんな感じ。
「すごいですねー!尊敬します」
「いやいや、自分なんてそんな全然です、ほんと大したことないんで。ダメダメです」
「そうですか?そんなことないと思いますよ(苦笑)」
気使わせてしゃーない。「こいつと接するのめんどくさい」って思われるやつ。
その後の会話がしらける
上記に加えて、その後の会話が途切れる。
褒めてもらった後に「いや~そうなんですよ」とか言うと「自分で言うなや!」みたいにツッコんでもらえたりするけど、そういった展開は一切望めない。
仮に相手の褒めが嘘であった場合、相手にダメージを与えられない
謙遜嫌いの最後の理由がこれ。相手が下心とか完全お世辞で褒めてきている場合に、謙遜してしまうと相手にダメージを与えることができない。
お世辞で褒めてくるような相手は、腹の中ではこちらを馬鹿にしている可能性がある。これに対して自分が謙遜して卑下すると、さらなる嘲笑の材料となってしまう。
だからこそ、逆に屈託ないピュアな心で相手の腹黒誉め言葉を受けっとってやる。相手の思い通りに会話を進めさせない。
それだけでなく、相手の悪意によってこちらの自己肯定感を高めてやる。これこそが一番の仕返しだと信じて。
最後に
似た言葉で「謙虚」があるけど、謙虚と謙遜はまるで違うと思う。
前者は控えめにしつつも心は堂々としてるのに対して、後者はその場を乗り切るための逃げの行動ってイメージ。
謙遜はしないけど、いつも謙虚ではいたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?