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不登校のお子さんの将来にデザイナーをお勧めしたいわけ❶

不登校のお子さんをお持ちですか。身近にいますか。

ぼくは昭和に小中学生時代を過ごした者ですが、当時は不登校児童・生徒などは皆無だったと記憶しています。
いや、病弱だったあの子は実は不登校だったのかもしれない。

でも今みたいにどのクラスにも「必ず数人不登校の子がいる」という状態ではなかったです。
あったとしても隠されてて、誤魔化されたままでまかり通ってしまう程度。

明らかに時代の変化はこの「不登校」においても劇的な差を生みました。
まずぼくらの子供時代に「不登校」なんて言葉すらありませんでしたから。

要は「珍しくなくなった不登校」に対して、その保護者の存在も一定数が必ずいるということです。
悩みの数が圧倒的に増加していることを想像できるわけです。

お子さんも保護者の方も「人柄」も「考え方」もそれぞれですから、一律で同じように悩んでいるというわけではないでしょう。不登校の保護者でも悩みなどない方もあるかと思います。
ただし、それは少数派で大小の違いはあれど悩みのある方がほとんどではないでしょうか。

お子さんの将来を考えると悩む、当然の親心です。
その親心を軽くする話をします。

この記事はそんな悩みにひとつの提案をしてみようというものです。
不登校の子の将来に光をさせたらという思いですので、ぜひ最後までご覧ください。

不登校の子にデザイナーが合うわけ

まず、なぜおすすめするのかという点をお伝えします。
これをご理解いただければその先の情報も有益になってきます。
逆に「なんだか違う」と思えるなら、その先は「読み進まなくても良いもの」ですので時間を浪費せずに済みます。
ただぼくは読み進めていただける価値があると考えてますので、しっかりと理由をお伝えしたいと思います。

まずぼくは社会に出てからずっとデザイナーをしています。
そんなぼくの小中学生時代は「不登校とは縁遠い子」でした。

「何言ってんだ?」と思った方もあるかもしれませんが、それはそれ、時代の影響もあったと思います。
今の時代ならどの子もふとしたきっかけで可能性のあるものです。

ぼくはずっとサラリーマンとしてデザイナーをしていきます。
保護者のみなさんの多くも会社に勤めてらっしゃると思うので、この会社勤めの苦しみについてはご理解いただけると思います。
そうなんです。会社勤めにも「不登校」のきっかけが多く潜んでいます。

ただし大人はいいですよね。転職すればいいのだから。
嫌になったら会社を自分の意思で替えてしまう。それができるのが大人です。

しかもこれはデザイナーだったから「何度か」それができたところもあるかもしれません。
どの職種でも転職が容易とはならないもので、しがみつくしかないから心を痛める人が多くなるのが社会です。

医療業界なども「土地が変わっても職につける」なんて聞きますが、手に職系はやはりその点の強みがあります。

ただこれをデザイナーを勧める理由にしているわけではないんです。
もちろんこれも「利点だな」と考えてくださるのはいいのですが、もっと別の理由があります。

ともあれぼくはサラリーマンの苦しみを抱え、組織の中で揉まれていくと「ある考え」が形成されていきました。

「組織って合わねえ」

デザインの例であれば「クライアントのために制作してるつもりでも、上司に向けたデザインになる」なんて弊害はどの職種の方でも想像できるのではないでしょうか。
社外にはなんの影響もない社内向けパフォーマンス企画に躍起になり、社内を盛り上げてると仕事しているような「見た目」になることを利用してそれに終始する。下から見たら「こいつらアホか」と思えるようなポーズの連続を「よしよし」と喜ぶ経営者たち。
他人の足を引っ張る者が発生しやすいのも組織の特徴です。

この情報過多の時代に取捨選択せずに全てを吸収させようと教育をし、それに疑問を持たずに「頑張って」潰れていく若者たち、悪習慣には気づきながらも「声をあげて改めることにメリットを感じない」10年選手とそれをさせないように目を光らせる管理職たち。

だたし今思えばというところもあり、中にいるとなかなか気づけないものです。そう「潰れるまで」気づけない。

一見メンタル強そうなバカっぽいぼくでも潰れるまでは、疑問に思うような意味不明な場面も「頑張るが正義」だと思って突き進んでいました。

これが今、子供たちにも起きていることは容易に想像できます。
もちろんきっかけやポイントは置かれた環境に依存するもので、「なんとなく全体」のことかもしれないし「たったひとり」の「たったひと言」かもしれない。
起因するものはそれぞれですが、心の力を削ぐものは概ね似たようなものです。

ただしやはりこれまでの慣習を考えると会社勤めからの脱却は「そんな道あるのか」くらいに手の届く選択肢には思えないものです。
とくに昭和に生まれたぼくを含めた、その路線が「普通」だった人たちは「存在しない道」に見えるものです。
いや、存在しないので「見えていない」のでしょう。

しかし時代が違います。
インターネットがあります。

これによってぼくは会社員ではなくとも社会の一員として家族とともに毎日を過ごしています。
それを実現した要素は「インターネット」「デザインスキル」です。

これがあれば組織に属していなくても社会の一員になれたという結果を得られます。得られました。

昭和から続く「会社に勤める」ことを普通とした信仰は、現代の宗教と同じように徐々に薄れてきています。
ニーチェは「神は死んだ」と言いましたが、当たり前はいつか「当たり前ではなくなる」ものです。

時代は変わる、これを知らなくてはいけません。人類誕生数百万年、ホモサピエンスが他を淘汰して数万年、文明が起きて数千年、会社勤めが当たり前になったのはたったの数十年です。今後もしばらくマジョリティではあるでしょうが、確実にその割合に変化が起き始めています。
トヨタの社長も「終身雇用は守れない」という時代、雇用のあり方は確実に変化しています。
これを知らなければいけません。ぼくらの常識はすでに子供たちに適用できない。

用意された道を「選ぶ」ことは経済の悪化とともに必ずしも「良手」として在り続けられない時代になりました。
そして「この時代」が組織をさらに「住みづらい」コミュニティにしています。

右に倣えを「空気で支配していたぼくらの時代」は、今の子たちに強いるものではありません。
多様性という言葉が「流行ってる」というか印象の強い使われ方をしているので、支持されていると思いますが実は「これって当然」なんですよ。
少数意見を排除するという旧態依然な考え方が異常だったということを鑑みると、実は「不登校」ってそれほど大事でもないんです。

ただやはり心配してしまうのが「我が子の将来」なわけで、その心配をぼくの経験から「それがあるのかな」なんて少し心を軽くしていただけたら幸いです。

分かったような分からないような内容だったかもしれません。
ただ「インターネット」がある時代に「デザインスキル」があると「組織から脱却」する方法があるということを知っていただけたら、それだけで親心が軽くなるのではないでしょうか。

親心を軽くして、お子さんの将来に光があることを知っていただけたら幸いです。

今回はここまで。
次回にもう少し具体的な話ができればと思います。

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