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MARCH生が官僚に。2年かけて「就活下剋上」した|第一志望を半年で辞めた話①

この世で一番なりたかった職業に就けた。
泣くほど入りたかったところで働けることになった。

約半年で離職した。

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数年前の3月。

MARCHの1年生だったわたしは、
これまで考えていた進路から、
方向転換を図ろうとしていたところだった。

昔から社会貢献に関心があったわたしは
"人のために働ける仕事"に就きたいと考え、
いろいろと調べてみたところ、
「これになりたい」と強く思う職業を見つけた。

しかしそれは、旧帝・早慶卒以上が当たり前で、
東大卒が一番多い職業だった。

どう考えてもめちゃくちゃハードルが高かった。

調べたところ、同レベルの大学を卒業した人は
ほとんどいないようだったし、
所属する学科は学内でも偏差値が低いほうだった上、
その職業を目指すのに強い系統でもなかった。

そんな状況が逆に、わたしの闘争心に火をつけた。

自分の頭の良さとバイタリティの高さには、正直自信があった。

大学や学科の偏差値は高くなかったけれど、
その数字が自分の頭脳レベルを表しているとは思わなかった。


「あなたの大学を卒業して、
 うちの職場で総合職として働いている人は本当に少ない。

 わたしが出た〇〇大学(一流大学)でも
 総合職よりも一般職の方が多いぐらいの環境。
 それについて、心配はない?」

就活中、わたしが実際に訊かれた内容だ。

想定していなかった切り込んだ質問に一瞬焦ったが、

「自分が一番入りたかった中学に入って高校に進み、
 興味を持った学科があったため内部進学したという形なので、
 大学が違うからといって、ポテンシャルで負けているとは思いません。」

と返した。

これは紛れもなく、事実と本音であった。

("ポテンシャルでは"負けてないという言葉に
勉強量や知識量では圧倒的に負けているという自覚が表れてしまっている)


話は戻って、大学1年生の3月。

「東大生にも京大生にも、ポテンシャルでは負けてない。」

この頃から本気でそう思っていたので、
一見無謀にも思える戦いに全力で挑むこと自体にワクワクした。

より良い社会を作る仕事に携わりたいし、
バリバリ働くエリートになりたい。かっこいいから。

思い立ったが吉日だと、すぐに就職のための準備を開始した。

「就活下剋上」などと書いたやばめな張り紙を、
自室の壁に貼る…のはさすがに恥ずかしくて、
目につくところに置いたことを覚えている。

それからは、時期によって多少の波はあったものの
憧れの職業に就くため、対策を重ね続けた。

そんなこんなで2年と少しが経ち、
わたしの就活はクライマックスを迎えようとしていた。

憧れの職場が開催する就活生向けのイベントに
選考の直前まで参加し続けていたのだが、
あるとき、働いている方たちの話を聞いていたら、
なぜだか涙があふれてきた。

「どうしても、どうしてもここで働きたい。」

頭が良くて話が面白く、自由で誇り高くて、イキイキとしている。

そんな方々と働くことへの憧れが募りに募り、
もはやその職場へ抱いている感情は恋心のようであった。

実はその日の少し前から、
「入りたい」という気持ちが高ぶって
家で泣くことはあったのだが、
さすがに人前で涙が流れてきたのは初めてだった。

職員の方と周りの学生たちに
「変な人だ…」「メンヘラか…?」
などと印象づけたことであろう。

その年の採用担当の方は、メンヘラに優しかった。
わたしの激情を「熱意」と肯定的に受け取ってくださり、
無事、最終選考を突破することが出来た。

本当に本当に嬉しかった。

同じく思い入れの強すぎた同期のひとりとは、
「いまなんか、死んでもいいわ」「わかる」
と言い合った。(良くない)

こうして、わたしの就職先は、
MARCHの下位学科卒としては異例すぎるところに決まった。

「就活下剋上」は、大成功したのだった。

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