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平成が終わる。「区切り」をつけても過去は変えられない。

今日しか書けないことを書かなければ。

2019年4月30日(火)。今日をもって、「平成」は終わる。

明日、2019年5月1日(水)からは、「令和」になる。

街では、「平成最後の==!」「平成30年を振り返ろう!」「令和への抱負は?」で溢れている。

正直、うざい。なんで、私はこんなに改元が喜べないのか、わくわくしないのか。

おそらく、この出来事自体に理解ができてないからだ。ずっと、政治ショーを見せられているような気持ちで、それに踊らされてる人がいっぱいいて、それと一緒に自分も踊ったらダメな気がするのだ。


人びとはいろんなところで「区切り」をつける。

「春分の日」「秋分の日」、「成人式」、「大晦日/元旦」、「卒業/入学」、

恋人との記念日もそうだ、ダイエットを開始した日や家計簿をつけ始めた日もそうだ。「ここから!」と決めた日がいつもスタート地点になる。

他方で、「区切り」をつけたところで、過去は変えられない。

「区切り」をつけることで、やり直せるかもしれない。

けど、〈過去〉の積み重ねが〈今〉になる。だから、〈過去〉のデータを削除して全く新しいものへリセットすることはできない。


今回の改元は、まるで、全部リセットされるかのような雰囲気を感じる。

新元号が決まっただけで内閣の支持率は上がる。官房長官は「令和おじさん」と言われ満足げな様子を見せる。

意味がわからない。全然楽しくもないし、面白くもない。

「平成も終わるから」を合言葉に、地下鉄サリン事件やオウム真理教は解明される前に麻原彰晃が国家に殺された。周囲の人たちも合わせてだ。

モリカケも解決はしてない。官僚らはいつも忖度忖度。公文書は捨てられる。

賃金は上がったか?「女性が輝く社会」にはなったか?子どもの貧困は解消できたのか?移民制度はいつになったら整う?消費税は上がる。年金は納めても返してもらえない可能性がある。なのに、高価な兵器は買う。辺野古は埋め立てる。

絶対お金の使い方間違っている。。。。

もっと問題はあるが書いてたら腹が立つからこの辺りにしておく。


改元したからって、こういう問題は解決されない。そりゃそうだよね。

だって、改元と政治は違うからね。

改元!「令和」!で盛り上がってたら、いつの間にか水道が有料になって、消費税が爆上がりしてて、っていうのは、私は嫌だ。


「区切り」をつけたところで、過去は変えられない。

リセットされることなんてない。

何年かに1度のイベントより、日々の生活が全体的に向上する方が大事に決まっている。

希望は持てなくても、絶望しないように生きなければ。今日を明日をしっかり生きなければ。

それしか今は思えない。だから、改元のいろいろに喜びも楽しさもなにも感じない。

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