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映画「長いお別れ」:言葉がわからない苦痛

これが三日坊主というやつで、1月1日、2日と順調に更新していたのに4日に3日のことを書いている。

昨日、1月3日日曜日。

Amazonプライムで映画「長いお別れ」をみた。

1日にパラサイトを見て、2日はNetflixの「今際の国のアリス」がついていたため、人が殺されるシーンばかり見ていた。気分転換にと心温まりそうな映画を選んだ。


山﨑努が演じるお父さんの認知症がだんだん進み、バラバラだった家族が再び家族になる話だ。山﨑努の演技はものすごくて、「認知症のおじいさん」そのものだった。お母さん役の松原智恵子も快演で、期待通りの心温まる映画だった。


この家族の長女を演じるのが竹内結子だ。長女は夫の仕事の都合で息子と3人、アメリカ生活をしている。

夫と息子は英語ができるが、妻であり母である彼女は英語が得意ではない。「家では日本語」とルールを決めていても、息子は英語で話をするし、夫は仕事が忙しく家で過ごす時間も短い。

あるときから、息子は不登校になり、学校に夫婦で呼び出される。そこで、先生から、子どもの不登校の原因について話をされる。

「不登校になる生徒は家庭に問題があることが多いです。ご両親の不仲が引き金になることも、、、失礼ですが夫婦関係はうまくいっていますか?」

先生にそう尋ねられた、夫は「No problem」と答える。妻は先生が話したことがわからず、夫に通訳を頼む。すると夫は、

「学校に来るように、たかし(息子)に言って欲しいって」

と誤魔化す。

それに気がつき、妻はちゃんと通訳して欲しいと夫に言い、先生から尋ねられたことを日本語にしてもらう。すると、妻は息を吹き返したように、日本語で先生に今の状況を話す。しかし、先生には伝わらず、夫は「恥ずかしいから」と訳してくれない。妻は強引に夫にキスをして、その場面は終わる。



自分だけ言葉がわからないことがどんなに苦痛か。

何度も体験したことはあるが、なんなら今も体験しているが、本当に悲しい。

自分ももっと言いたいことはあるのに、なんて言えばいいのかわからない。みんなが談笑しているのもどうしてみんな笑っているのかわからない。悪口を言われているんだろうなとか、本当はもっと酷いことを言っていたくせにいい部分だけしか翻訳してくれてないなとか、薄々感じたりもする。

自分がその言語を習得すれば解消できるのだろうけども、それにはある程度の時間がかかる。

近くの人が親身に支えてくれれば、辛さは軽減されるだろうが、この映画のように子どもも夫も助けてくれなかったら、孤独で寂しいだろうなと思う。それなのに、日本に帰国したら、「ゆうゆう海外生活じゃん」と言われる。嘆きたくもなる。


(書きながら今気がついたが、)おそらく認知症になったお父さんもこの長女と同じ孤独を感じてたんだろうな。自分だけわからないことが増えて、周りが何を言っているのかわからないし、よく世話をしてくれる人がいるけど誰か分からなくて、誰に尋ねればいいのかも分からなくなって、黙りこくってしまって。

あぁ、同じような寂しさだったんだな。

もしかしたら、次女の苦痛も認知症になったお父さんの苦痛は同じだったのかもしれないな。

次は原作を読んで考えてみたい。


1月4日月曜日。朝からランニングをしたら、タイムが上がった。休み明けで、一日中眠かったが、映画の感想を書くことができてホッとしている。

それにしても、いい映画だった。

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