見出し画像

私の人類学との「契約更新」

K-popアイドルには「魔の7年」「7年目のジンクス」がある。
韓国の公正取引委員会が「奴隷契約」のような不正な契約を防止するため、2009年に「大衆文化芸術人(歌手中心)標準専属契約書」を定めた。この契約書では、契約期間の最長が7年になっている。
7年目を迎えるタイミングで契約更新が延期になったり、決着がつかなかったり、メンバーが脱退したり、解散したりするため「魔の7年」と呼ばれている。契約期間終了の日が近づいてくると、「推したちは契約更新するだろうか」「メンバー全員で更新するかな」「でも推しが満足な契約ができることが一番だよな」とかオタクたちは気を揉むことになる。

7年は長いようで短く、次なる何かに進むには、ちょうどいい年数かもしれない。

私の人類学との出会い

私は2014年に学部に入学した。
高校生のときは社会学や心理学に興味があり、自分の学力では到底無理な大学のオープンキャンパスにもここぞとばかりに行った。

後に私が入学することになる大学のオープンキャンパスに行ったときのことだ。
全体の説明会の後、社会学・哲学・認知情報科学・心理学・文化人類学の5つの分野に分かれて模擬授業に進む流れだった。当時の私は「社会学か心理学かな〜」と漠然と思い順番を待っていた。
しかし、高校生たちには社会学と心理学はとても人気だった。

そんなに人が多いなら人が少ない「文化人類学」に参加してみよう。

ここで初めて高校生の私は文化人類学という学問を知った。
今思えば、簡単すぎるくらい簡単な文化人類学講座の紹介だったが、私には大変魅力的に見えた。「人類学」や「フィールドワーク」という単語も気に入り、それぞれの名前のついた授業がある大学を探した。
その当時の私には、後に私が入学することになる大学の「文化人類学講座」が他の大学よりもちゃんとフィールドワークができそうで良く見えた。

そんなこんなで、入試も無事終わり春休みには大阪にある民族学博物館に行ったりして、人類学へのイメージを膨らませながら、学部1年目を迎えた。

1年生の間は5つの分野のそれぞれの入門編の入門編のような勉強をして、2年生から自分の専攻を選ぶ。

無論、私は人類学を選んだ。

人類学を専攻して7年目を迎える

学部2年で人類学を選んで3年間勉強し、学部を終え、修士でさらに2年間人類学を専攻した。その後、2年間インドに留学した。

留学中に「人類学7年目」を迎え、今後どうするのかそれなりに悩んだ。
インドでは居住していた寮がPhDか研究職を目指す学生がいる棟だったこともあり、いろんな背景をもった学生がいたことが私には刺激的だった。
修士号までとって一度働いて博士号を目指す人が多かったが、結婚のため一度家庭に入って子育てに目処がついてきたから博士課程に入学した人もいたり、家族みんなが博士号を持ってるから、博士号まで取らなきゃいけない人生にいる人もいた。

帰国後どうするのか、日本に帰国するのか、友人や同僚らは「もっとインドにいればいいのに」「インドでPhDも取ればいいのに」と言ってくれる。
人生設計とか具体的なことは置いといて、それもいいなとは思った。

『在野研究ビギナーズ』を読んでいたときは、大学院にいなくても研究はできるなとも思った。論博で博士号をとった方からは、「論博って方法もあるよ」とも言われた。所属は関係なく、やめなければ研究生活は続けられるんだなとも思った。

帰国後、古巣の先生たちや知り合いの先生たちと話し、結局、博士後期課程進学を目指すことにした。


そしてこの度、私と人類学は「契約更新」に至った。
2023年4月から博士後期課程に進学する。
人類学を専攻してから9年目にもなる。
寄り道しなかったら、もう博論執筆が始まっててもおかしくない年ではある。
これでとりあえずの目標は博士論文に十分な研究をして、博論を提出して合格することになる。それまでにいくつものなにかしらを乗り越えなければということになるだろう。

今でも「人類学を選んでよかった」と思うことはよくある。
これは高校時代に「人が少ない方」を選んだ私の選択が間違ってなかったことを証明している。
この先何があるかわわからないけど、この人類学と歩んできた学問の終わりなき旅路を選んだことを今以上に幸福に感じられる瞬間が来ることを期待している。

やめずに腐らず病まずヘルシーな博士後期学生であり続けようと思う。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?