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修論を提出して2日が経った。

クリスマスが修士論文の最終締め切りだった。
無事に提出した。とりあえずは、よかった。ひと段落ついた。
今どんな気持ちか?

勉強不足だ。

もし、あと2週間、期限が伸ばせたとしても、変わらなかっただろうと思う。
圧倒的勉強不足と時間の使い方への反省。
イケイケの最近の理論と、そこまで注目されてこなかった小さな古い理論をエレガントに結びつけられたらよかったのだが、そこにまで到ることはできなかった。

論文書くのは難しかった。

忘れないように、今回の反省点を3つ記録しておく。

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1つ目。一旦全文書き上げて、いろんな人にコメントしてもらうこと。相談すること。

2つ目。必要な本は理解できるまで何回も何回も丁寧に読むこと。

3つ目。流れに沿った先行研究のレビューをすること。

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1つ目:一旦全文書き上げて、いろんな人にコメントしてもらうこと。

常々「相談しなさい」「誰かに読んでもらいなさい」とは言われていた。私もいろんな先生からアドバイスをもらった方がいいんだろうなとは思っていた。
でも、この「人に見せる」がなかなか難しかった。

「やっぱり、書き上がってからの方がいいよな。」

「きちんとしたものを見せて、コメントもらった方がいいよな。」

「みんな忙しいから、このレベルで見せるのは良くないな」

とか、そんなことばかり考えすぎてしまった。

いつになっても完璧な論文はできないわけだから、そこばかりを気にしすぎていると、誰かに読んでコメントしてもらう時間はなくなる。

「途中でもいいから、見せて」と言われていた先生には、章がかけるタイミングで送り続けてはいたが、章ごとで分割されたものを読むのと、全文を読むのでは話が違う。

「とりあえず全文はこんな感じで」

区切りをつけて、もっと早く誰かに見てもらってコメントしてもらい、書き直すべきだった。

今回は1つの論文として全文お話が繋がったのは、締め切り3週間前くらいだった。これでは、遅すぎた。2ヶ月、1ヶ月前に全文書き終われていたら、もっと思慮深いものになっていただろう。

こんなところで、恥ずかしがってないで/完璧を目指してないで、どんどん書いて読んでもらう、書いて読んでもらうの回転数を上げることが必要だった。

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2つ目:必要な本は理解できるまで何回も何回も丁寧に読むこと。

改めて、本を読むのは難しいなと認識できた。

学部の卒論以上に英語文献も増えたし、そもそも英語でしか私の研究にドンピシャなものはなかったから、とにもかくにも英語!!!!!!となると、自分の英語への自信のなさが最大の敵だ。

何回か読んで「こういう話だな」と理解する。しかし、ある日、読み落としているところに気が付く。理解が違っていたことが判明する。

こればっかりだった。

大学院生たるもの、息をするごとく本や論文を読むものだが、読んだ量と理解できた量はいつも一緒じゃない。たくさん読んでいるようでも、字を追っただけになってしまっているものもある。日本語の学術書もそうだ。読めた気になってるだけで、読めていないのだ。

これを解消するためには、とことん読むしかない。

必要なものは時間をかけて、わかったつもりにならずに、何度も何度も読み込まなければいけなかった。

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3つ目:流れに沿った先行研究のレビューをすること。

修士論文の一番の審査のポイントはここなのでは?と思っていたりする。審査する側じゃないからわからないけど。

「この話をするためには、これもいるな。」

「あ、これも書き加えなきゃな。あ、これも関連してるな。」

となってしまったのが良くなかった。大反省。

必要なものだけ順序よく書けばいい。余計なものは要らない。

なのに「あ、これも」「これもあった方がいいな」が増えすぎてしまった。

そうなると次は、「じゃあこれらをどうやって回収するの?」が問題になる。回収できないなら盛りだくさんにはしない方がいい気がする。(現段階では)

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なんだか、論文書くの辛かったんだな、と思われそうだが、

もちろん辛かった。

でも、この数ヶ月は私史上最も楽しい日々だった。気が済むまで本を読む。論文を書く。書けなくて気が狂う。締め切りが近づくにつれて、歯が痛くなる。いい論文を見つけて嬉しくなる。まだまだ、私にも可能性があるのでは?と勘違いを起こす。とても豊で幸せな時間だった。

応援してくださった皆様には感謝を。

学問には希望があると信じている。もうしばらく学問とは向き合っていきたい。

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