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特集ドラマ「太陽の子」と終戦記念日

8月15日は終戦記念日だ。去年、終戦記念日に靖国神社に行った。

感染症の流行もあり去年ほどではないだろうが、今年も参拝している人は参拝したことだろう。ニュースによると2012年12月の第2次安倍政権発足後で最多4人の閣僚が、靖国神社を参拝したとのことだ。

「政治家が神社に参拝するな!」とは言わないが、今の政府は政教分離について考えている人や繊細な注意を払っている人などいないんだろうなとつくづく感じる。



さて、終戦記念日の夜はNHK特集ドラマ「太陽の子」をみた。

このドラマが、三浦春馬氏が撮影を完走した最後の作品になった。三浦春馬は主人公の弟・裕之役であり、陸軍の下士官として戦地にいる。肺炎になり一時的に自宅に帰ってくるものの、最後は特攻隊として役目を果たし帰らぬ人となる。

一時帰宅した時に玄関で「ただいま、戻ってまいりました」と言うシーン。戦地に戻ることを決めるが、夜、海に向かって一人歩きだし自殺をしようとするシーン。特攻隊に行く前に書いた手紙が母親の手元に届くところ。

裕之を見事に演じており、役ではあるのだがどうしても演者の三浦春馬が透けて見えてくるように思えて、心打たれる。素晴らしい役者だった。

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特集ドラマ「太陽の子」の主人公は京都帝国大学で原子物理学の研究をする科学者の卵、石村修(演・柳楽優弥)だ。修たちの研究室では日夜、原子爆弾(atomic bomb)の研究開発をしている。


ある夜、防空壕の中に逃げた研究室の学生と教授陣の間で、科学者が兵器を作ることについて議論になる。

一人の先生は、「我々がやらなければ、アメリカがやるやろ。アメリカが作れなければソビエトが作るやろう。先に原子核爆弾を作ったものが、世界の運命を決める」と語る。

一人の学生は、そんなことを言っている場合ではないと言う。

そんななか、教授の荒勝文策は「この戦争に大義があるとはとても思えん。けど、日本は戦争をやっとる。それはどうしようもない事実や。それなら、世界を変えたい。世界を変えるために科学をする。原子物理学をやる。どや、これは夢物語か。科学者が夢語らんでどうする」と語る。


材料となるウランは京都五条坂にある陶器屋からの頂き物だ。陶器屋は骨壺を作っており、戦死者が増えているために大忙しである。ある日、特別なウランが手に入ることを聞き、陶器屋の主人は修の研究に役に立つであろうと考え、娘を大阪まで調達に行かせる。ウランは入手できたが、娘は大阪で空襲を受け、亡くなってしまう。

陶器屋の主人はウランを受け取りにきた修に娘のことを伝える。修は自分のせいで娘が亡くなってしまったと謝るが、主人は間が悪かっただけだとなだめる。

「どんな研究をしているかわかりません。きっと先生にしかできんことや。しっかり続けてくださいよ。・・・・・早う行ってくださいや!」

と、陶器屋の主人は修にどうしようもない気持ちをぶつける。


研究室の学生たちも穏やかではない。修が陶器屋から受け取ったウランに対して、そんな得体の知れないウランで何になると学生の一人が言い出したことが発端だ。揉み合いのなか、先輩の一人・花岡に修は自分の考えを聞かれる。

修は「ようわかりません。ただ、実験をして新しいことを自分たちの手で見つけたい。誰にも負けたくない。それが、なんでこんなことになってしまうんか。ようわからんのです。」と答える。

それに対して、花岡は「甘すぎる。それでも日本男児か!」と言われ殴られる。

修は抵抗しながら、「花岡さんはわかるんですか?俺らがやっとることは正しいことですか?間違っているんですか?答えてください」と問いただす。しかし、花岡は「甘い、甘すぎる!」と怒る。



8月6日。広島へ原爆が投下される。後日、研究室のメンバーで広島へ視察に行く。惨状をみた修は、これが自分たちが研究していたものなのだと考えさせられる。

長崎へ原爆が投下され、次は京都に原爆が投下させるとの噂を修は聞く。そこで、修は母親と幼なじみの世津に提案をする。原子爆弾の威力は強いため、京都の家から離れて欲しいこと。遠くの知人の家まで行けば、京都に原子爆弾を投下されても命を救えること。

そして、自分自身は比叡山にのぼり、原子爆弾の爆発の瞬間を見ること。

それを聞いた母親は修に問いただす。

「恐ろしいことを言わはるな。家族だけ逃しといて、自分は見物するやなんて。科学者とはそんなに偉いんか。」

これがあんたの考える科学者の仕事なんやな?そんならあなたの好きなようにしなさい。わかった。修、私はここを動かん。それが科学者の息子を持った母親の責任や。

母親らを家に残し、修は比叡山に向かう。ここでドラマは終わりだ。

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戦時下における科学者の役割とはなんなのか。


75年後の今年は、感染症に苦しめられている。

感染症が流行する中での科学者の役割とはなんなのか。

とも、今年であれば言い換えることができるだろう。感染症の流行する状況を「戦時下」と比喩的に表現するのは浅はかで違うとは思うが、どんな時代にも科学者の責任や役割は問うことはできる。

軍人が研究室にやってきて、研究の進捗を問われそれに応え続けるのが科学者の役割なのか。

政府の人にとって都合のいい情報を、「専門家の見解」とするのが科学者の仕事か。

「役に立つこと」を研究することが科学者の仕事なのか。誰にとっての「役に立つ」ことが「役に立つ」と言うことなのか。


修が「ようわかりません」と言う気持ちはわかる。自分が信じた道を進んでいたはずなのに、いつの間にか戦争に加担してしまったのだ。止めることもできず、そうであるならば、もっと先に行かないとと逸る気持ち。

どの立場でこのドラマを見るかで見解は変わってくる。答えや教訓が曖昧にされている考えさせられるドラマとして良かった。


終戦記念日くらい、先の大戦のことを思い出すことや反省することは必要だ。「お国のため」「大和魂」なんて言葉は嫌いだ。「お国のため」に死ぬなんて絶対に嫌だし、戦争には加担もしたくない。兵器を購入するのだって反対だ。現政権のもとで憲法改正なんて絶対にしたくない。

歴史から学ぶこと。負の歴史は繰り返さないこと。真摯に反省すること。

平和であり続けるために、平和ボケしないようにいろんなことに目を向けて生きていきたい所存である。

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