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研究不正に対する京都大学iPS 細胞研究所と理化学研究所の対照的な危機管理:山中伸弥氏と野依良治氏の本質的相違

現在の「危機管理」について、いろいろと考えていたら、2018年1月28日に Japan Skeptics のサイトに投稿したコラムのことを思い出した。この記事は、Journal of the JAPAN SKEPTICS: 26, 2-4(2017)にも転載されている。それを、以下にご紹介しよう。

東京大学名誉教授の黒木登志夫氏は、「研究不正大国」になってしまった日本の科学界に警鐘を鳴らしている。2004年から2014年にかけて、11年間に撤回された2590の科学論文の国別分布を算出した結果、日本はワーストランキング第5位になっているという。ワースト第1位から順にインド、イラン、韓国、中国、日本と続き、「欧米の国々は、日本の半分近くか、それ以下の数値でしかない。アジア、中東の国がワースト上位を占めているのは恥ずかしい限りである。アジアは、まだ科学の精神が根づいていないと思われても仕方がない」と述べている(黒木登志夫『研究不正』中公新書)。

2014年といえば、「世界三大研究不正」の一つに数えられるようになったSTAP事件の発生した年である。2014年1月28日、『ネイチャー』誌にSTAP論文が発表された直後、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターでは華々しい記者会見が行われ、論文の筆頭著者だった小保方晴子研究員が割烹着を着て「さながらアイドルの撮影会」が行われた。

ところが、2月6日には米国の研究者専用の「パブピア(PubPeer)」に最初の疑義が提示され、2月中旬になっても、世界各国の研究室では、簡単に作製できるはずのSTAP細胞を再現できなかった。これらの疑義に対して、理研は即座に、画像データの取り違えのような「単純ミス」はあったとしても「研究成果そのものについては揺るがない」と発表した。この時点で、なぜ正式に調査もしないで「揺るがない」と言い切ったのか。ここで理研は、最初の一歩を大きく踏み外したのである。

3月5日、理研が「STAP細胞作製プロトコル」を発表すると、ネットには「STAP細胞の非実在について」という内部告発が書き込まれた。「なめてますね、これ。何と言って、理研の対応です。STAP論文についての手技解説の発表、だそうですが、これは無意味です。なぜなら、STAP細胞など存在しないから。間違った書き方をしたとか論文制作の作法のことではありません。『存在しない』のです。私は証拠も提供しました。しかし、受け入れられなかったようです」!

すでに初期段階から、ここまで明確な内部告発があったにもかかわらず、「特定国立研究開発法人」に認可される目論見だった理研の上層部は、真実を見ようとはしなかったのである。

その後もネットの「集合知」による疑義の指摘は増加する一方で、ついに耐えきれなくなった理研は、調査委員会を発足させた。しかし、この委員会は、主要メンバーを理研内部者で固め、なぜか最初から疑義を6点だけに絞るという偏った方針で、事件の幕引きを急ぐことだけが目的としか思えないものだった。この委員会の委員長自身、過去の論文の画像データ「改ざん」を指摘されて辞任するというオマケ付きだった。

3月14日、理研理事長の野依良治氏は「未熟な研究者が膨大なデータを集積し、ずさんに無責任に扱ってきたことはあってはならない」と記者会見で述べ、「共同研究論文の作成の過程において、重大な過誤があったことは、甚だ遺憾です」と、まるで他人事のような見解を公表して、関係者を呆れさせた。

調査委員会は、小保方氏の「画像の捏造・改ざん」の研究不正だけを報告して収束を図るつもりだったようだが、これに対して小保方氏は、弁護団を雇って「不服」を申し立てた。さらに4月9日にはテレビ局を集めて記者会見を開き、「STAP細胞はあります」と断定、「200回以上」作製に成功しているとも述べた。その一方で、「私の不勉強、不注意、未熟さゆえに論文にたくさんの疑義が生じ」たことに対しては「心よりお詫び申し上げます」と謝罪して、泣き顔を見せた。

小保方氏は、「私は決して悪意をもってこの論文を仕上げたのではない」という論法で、世間の同情を集めた。この「未熟だが悪意はない」という路線に沿って、弁護団は、「陽性かくにん!よかった」とか、稚拙なマウスの絵やハートマークのある実験ノートの一部を開示した。

この頃から、政治家や宗教家、評論家やニュースキャスターが、公然と小保方氏を擁護するようになった。小保方氏は「誹謗中傷に貶としめられた天才科学者」であり「彼女の才能を認めないことは日本の損失」であるとか、STAP事件は「成功した若い女性に対する不当なバッシング」であり「STAP細胞さえあったら大逆転」などといった妄想が日本中に蔓延した。私は、後に連載していた『週刊新潮』誌上で、これらの小保方氏周辺に生じる「お花畑現象」を分析し、「STAP事件は現代のオカルト」だと位置付けた(高橋昌一郎『反オカルト論』光文社新書)。

8月5日、小保方氏を指導する立場にあった副センター長の笹井芳樹氏が、自殺した。9月3日、理研はようやく重い腰を上げて、STAP事件の本格的な真相究明を目的とする「研究論文に関する調査委員会」を立ち上げた。国立遺伝学研究所所長の桂勲氏を委員長として、外部委員7名から構成された委員会は、ゲノム解析を中心とする科学的調査を行い、12月25日に「STAP幹細胞は調べた限りでは、すべて既存のES細胞に由来している」と結論付け、「STAP細胞がなかったことはほぼ確実」と断定する報告書を提出した。

この結果を察知したのか、小保方氏は、12月15日に理研に退職願を提出した。野依理事長は「前途ある若者なので、前向きに新しい人生を歩まれることを期待しています」と「お花畑」のような祝辞を述べて、12月21日付で小保方氏の退職を承認している。

2015年2月、理研はSTAP事件関係者の処分を発表した。センター長だった竹市雅俊氏は「譴責」、プロジェクトリーダーだった丹羽仁史氏は「文書による厳重注意」とした。さらに小保方氏は「懲戒解雇相当」、若山照彦氏は「出勤停止相当」としたが、すでに二人は理研を退職していたため、具体的な効力は何もなかった。

2015年3月、野依理事長は任期を3年残して辞任した。記者会見では、STAP事件の引責辞任ではないことを強調し、「技術的な研究をやるような所ではですね、その組織の長が引責辞任するという例は、私は皆無だと思っています」と述べている。STAP事件への対応について「若干の間違いはあったが、その場その場で適切な判断をしてきた」と自画自賛し、2014年10月に給与の一部を自主返納したことで、すべての責任は取ったと主張した。

しかし、理研の改革委員会委員長を務めた東京大学名誉教授の岸輝雄氏は、「野依理事長の責任は重い」と指摘している。「こうした事態を招いた理研の責任は重い。一連の提言は野依良治理事長が決断すればすぐに実行できたはずなのですが、あまりにも対応が遅かった。組織を守る気持ちはわかりますが、ある種の怠慢であり、謙虚さに欠けていたと感じざるをえません」(『週刊朝日』2014年8月22日号)。

さて、2017年7月3日、京都大学iPS 細胞研究所の相談室に、同研究所特定拠点助教の山水康平氏が筆頭著者である論文に疑義が寄せられた。相談室は、研究所に保存されていた生データ(実験機器の測定値のファイル)から論文のグラフの再構成を試みたが、論文通りには再現できなかった。9 月11 日、学内委員3名と学外委員3名による部局調査委員会が結成された。この委員会は、論文に用いた電子ファイルと実験ノートすべての提出を関係者に求め、2018 年1 月9 日までに合計16 回の関係者へのヒアリングを行った。

調査の結果、論文を構成する主要図6個すべてと補足図6個中5個において「捏造と改ざん」が認められた。「これらの捏造または改ざん箇所の多くは、論文の根幹をなす部分において論文の主張にとって重要なポイントで有利な方向に操作されており、論文の結論に大きな影響を与えていると認められる。かつ、論文の図作成過程において、正しい計算方法に基づき正しい数値を入力するという基本事項が徹底されていなかった」ことが明らかになり、掲載誌へ論文撤回の申請を行った(「京都大学における研究活動上の不正行為に係る調査結果について」)。

報告書には「調査結果を踏まえ、今後、学内規程に則して関係者の処分を行う予定」とあるが、その処分に先立って、1月23日、iPS 細胞研究所所長の山中伸弥氏は記者会見を行い、「このような論文不正が起こってしまったことに強い後悔と反省をしている。多くの国民の皆様、患者のみなさまにお詫びいたします」と謝罪した。研究所では、研究員に「生データ」すべてを提出させ、3カ月に一度「実験ノート」を提出させ、年に一度「匿名アンケート」を実施してきた。それでも不正を防げなかったことに対して、山中氏は「無力感を感じている」と述べた。

しかし、ここで大きく評価しなければならないのは、STAP事件当時の理研とは違って、iPS 細胞研究所が研究員に生データすべてを提出させてきたからこそ、疑惑解明の科学的調査が迅速かつ正確に行われ、真実が明らかにされた点である。さらに、研究不正者の多くは、バレた際にも不正を潔く認めず、さまざまな言い訳をする傾向があるが、山水氏が「論文の見栄えを良くしたかった」からと、不正をハッキリ認めたのは、証拠が明白で言い逃れができなかったからに違いない。その意味で、iPS 細胞研究所の研究不正対策は、もちろん万全ではなかったとはいえ、今後の危機管理の手本になる有効なものだったといえる。

1月25日のNHK報道によると、山中所長は今月から当分の間、給与の全額を研究所の基金に寄付するという。研究不正論文の研究費に、一般からの寄付を募った「iPS細胞研究基金」の2百万円以上が使われていたため、「不正のあった研究に使われた寄付金の補填を意味するものではないが、自分自身の気持ちを納得させるためにも給与を寄付することにした」という。

野依氏と山中氏は、共にノーベル賞受賞者であるという意味で、超一流の科学研究者であることに変わりはない。しかし、組織のリーダーとしての野依氏が「怠慢であり、謙虚さにかけていた」のに対して、山中氏は、真摯であり、謙虚すぎるのではないだろうか。

野依氏が辞任する際に述べた「技術的な研究をやるような所ではですね、その組織の長が引責辞任するという例は、私は皆無だと思っています」という言葉こそ、山中氏に相応しい。理研のSTAP事件のように世界の科学関係者の信頼を失わせることなく、iPS 細胞研究所の研究不正事件を見事に解決した以上、山中氏が「引責辞任」など考える必要がないことは明らかである。

さらに、調査や再現実験で8千万円以上の税金を無駄使いさせたSTAP事件を発生させた理研の理事長だった野依氏が自主的に返納した給与が「3カ月間各10%」であったことと比較すると、山中氏に給与全額の寄付の必要があるとは、とても考えられない。とはいえ、「自分自身の気持ちを納得させるため」と言われたら、私のような俗人には何も返す言葉がない。科学者としても人格者としても立派すぎる山中氏には、ぜひお元気で、日本の科学界を牽引していただきたいと願うばかりである。

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