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カロリーメイト強く噛む

食事のこと、生命維持活動としてしか見ていない。
『今日は晩ご飯にこれを作る!』とか『旅行に行ってこの地方のこの料理を食べてみたい!』とか、そういう食を楽しむ欲求が全然ない。
美味しいものを食べて何も感じないわけではない。人とご飯に行くのは楽しいし、大抵のものを美味しいと思う。ただ、一流シェフが作った最高の料理を口にするときも、家で冷凍ご飯をチンして食べるときも、殆ど同じテンションなのである。人間として何かが欠けているのではないかと心配になる。

一方で私がただ『違いがわからない人間』である可能性も否定はできない。


そんな私にとってカロリーメイトは最大の味方である。

食事を摂ることに対し手間や時間や費用やその他諸々のリソースを割くことにあまり意義を感じない私は、カロリーメイトなどの栄養補給系食品を好んで摂取する。酷い日には、朝食なし・昼食カロリーメイト・夕食カロリーメイトというヒョロガリ宇宙飛行士のような最悪ラインナップで一日を終えることさえある。


ところでこの世には困難なことがいくつかある。例えば不老不死、例えばペンギンが空を飛ぶこと、例えば永久機関の開発、そしてカロリーメイトをこぼさずに食べることである。これは至難の業なのだ。気を付けて食べないと一口ごとにぼろぼろと崩れてゆき、机上がカロリーメイトの破片だらけになる。こぼさず食べきるには繊細かつ大胆な咀嚼が肝要であるが、完全試合を達成するのはほぼ不可能である。カロリーメイト片手に事件を起こすシリアルキラーがいたとしたら多分一瞬で逃走経路を特定されて捕まってしまう。そのくらいこぼれるのである。


受験期。母が夜勤の日は自分で弁当を作っていたが、いつしか面倒になりカロリーメイトを買うようになった。土日の模試のときも周りが弁当を持参する中私は必ずカロリーメイトだった。高3のときは早弁して昼休憩を自習に充てていたので、放課後勉強しているときに小腹が空き、そういうときにも買っていた。高校の購買にはカロリーメイトの自販機があったので、私は週2~3という燃えるゴミ回収と同等程度のハチャメチャ頻度でそこに200円を投入しつづけていたのだった。
センター試験も二次試験も、普段通りの気持ちで臨めるようにとやっぱりカロリーメイトを持参した。お弁当作ろうか?好きなもの入れるよ、と腕まくりして意気込んでくれた母に『チョコとプレーン1箱ずつお願いします』と言ったことについては流石に少し申し訳なかったと思っている。

中高時代の放課後も、模試も、入試も、インターンも、就活も、私の人生の大事なところはいつもカロリーメイトとともにある。冠模試でE判定をとり年末の三者面談の後涙をこらえたときも、就活の説明会で発言している背筋がぴんと伸びたオールバック黒髪眼鏡学生の溢れるオーラと的確コメントに気圧され自分が情けなくなりへこたれたときも、ぱっさぱさの小麦塊を悔しさとともに噛み締めていたのである。


就活は人生におけるたいへん大きな岐路であり、もちろん私は全面接にカロリーメイトを持参した。

その日もいつもの如く、待ち時間にチョコ味をモッサモッサと頬張っていた。
すると隣の席にまったく同じ味のカロリーメイトを持った男性が座ってきた。これは絶妙な気まずさである。思わず互いに顔を見合わせぎこちなく微笑みあう。ぴんと伸びた背筋に見覚えがあった。そこで初めて、彼がこれまでのオンライン業務説明会で幾度となく見た顔であり、いつも採用担当に的確な質問を繰り出しており心の中で勝手に尊敬と劣等の念を抱いていたオールバック黒髪眼鏡学生本人であるということに気付いた。
思わず声をかけ、お互い自己紹介をする。研究や地元の話でひとしきり盛り上がる。
彼は説明会で見ていた通りやっぱり知的で聡明で熱意があって、話し方も理路整然としていて本当に格好良く、大学でしているという研究も素晴らしい内容で、でもチョコ味のカロリーメイトを一口食べるごとにぽろぽろとこぼしていて、そしてその度に照れ臭そうな顔をしながら人差し指でそれを拾っていた。

あぁ、この人も同じ人間なんだなと、ちょっと心が軽くなったりした。


私の学生時代はカロリーメイトに支えられてきた。おそらく今後の人生でも確実にお世話になるだろう。
味が特段好きというわけではない。すぐこぼれるし、口ぱっさぱさになるし、安価で美味しい食べ物なんて他にいくらでもある。

ただ、あの頃の自分に力をもらえる気がして、噛む。


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