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蛙化なんて。③

答えは明確だった。
 「好きです。付き合って下さい。」
 「ごめんなさい。」
私の一言に苦しそうに「分かった」と絞り出した声は、今に消えてしまいそうな煙みたいだった。
 こんな私を好いてくれた彼は、アルバイト先である居酒屋の先輩だった。先輩はとても頼りになって、かっこよくて、趣味も合う。何より一緒にいて心地よい。だから、断る理由なんて見つからないはずだった。はずだったのに、私の答えは"NO"。

 アルバイトの数人で、居酒屋に行ったことがある。そこのお店は小汚くも美味しい、なんとも下町感溢れるお店だ。
 「いやーもうさ、店長どうにかなんないのかな。」
 「言い方がねぇ…ちょっときついよね。」
悪口とかあまり好きでは無いけど、その気持ちは分からなくもない。というか大きく頷いてしまった。
店長は激情型なので、ミスをしてしまったら一巻の終わり。裏に連れていかれ怒鳴られるのは毎度の事だった。
そんな店長のことを皆は勿論のこと嫌っていた。私も苦手な1人でもあった。
 「あの人独裁者だよ」
 「てかあいつほんとウザい、しねよまじで。」
  口々に連呼されるその二文字に、私は唇を噛んだ。
ノリ…なのかもしれないけれど、お酒が入っているからなのかもしれないけれど、
私はその言葉に、血の気が引くような感覚になった。その時に先輩に感じていた好意が一瞬で消え去った。
先輩は、自分の考えとは異なる人。心の中で嫌悪の感情を抱く人に大してたった二つの文字を軽々しく発する人。思っていても口に出さなければ、誰もその単語を聞かなくて済むのに、もっとオブラートに包めたのに、ダイレクトな悪意に心底引いた。

 先輩は先に帰ると言って、駅とは反対方向に向かった。
私は、いつしか誰のことも好きになれなくなった。どこかで嫌なところを探してるかの如く見つけてしまう。世にいう蛙化てきなものなのだろうか。
人には良いところと悪いところどちらもあるのだから、いちいち気にしていたらキリがない。完璧な人間はいないし、私だってそうだ。なのに、何故いつも期待しては、また何かを見つけてしまうんだ。そんなことを繰り返しているうちに、誰のことも好きになれなくなった。人の心が無い化け物に育ってしまった気分だ。ましてや、人と真っ向から向き合えない、こんな私を愛してくれる人なんているわけなくて、
いつか、誰かを愛せる日が来るのだろうか、
もしくは…?

 なんて考えるのはよそう。

 適当に降り立った池袋でプラプラと歩いていると、いつかのカフェが目の前にそびえ立っていた。
丁度喉が渇いたので店内に入ると、目がチカチカするような明かりと壁紙に、一瞬怯む。
あれ、ここってこんな陽キャの巣窟みたいな場所だったけ?もっとアンティーク系が置いてあったような、
なんて思いながらあたりを見渡すと、前見た通りアンティーク雑貨がお洒落な間接照明と共に置いてある。恐らく変わっていない。変わったのは、私の方だ。
 カフェラテを頼むと、クラスの中で誰も1人にしなさそうな青年が「ご注文は?」と爽やかに微笑んだ。決めていなかったので咄嗟に出た答えは、ドラマや漫画にあるようなテンプレ。
 「おすすめで、」
 「おすすめ入りましたー!」
ここはラーメン屋では無いぞとツッコミたくなる大声で掛け声をして、長椅子の席へ通された。
 小さな丸いテーブルに置かれた本日のコーヒー。一口飲むと苦さで体中が震えた。あまり得意では無いものが出てきてしまい困惑。面倒な頼みをしたのは自分だ。仕方がない。
 ふと隣に座った女性が慣れたようにカップを受け取る。私の後に入ってきた人だ。
 綺麗な顔立ちと言えば分かりやすいだろうか。染めたてのようなベージュの髪はサラッと天使の輪が見える。頬に薄らとそばかすがあり、オレンジがかった頬とリップ。外国の絵本にでも出てきそうだ。
 「どうされました?」
 私が見すぎたせいで、彼女はこちらに気づいてしまった。
 「あの、えっと…」
どう説明したらいいか分からず、ヒントを探す。素直にお綺麗でなんて言う勇気はなかった。
丁度彼女のバッグには、変なストラップが付いていて、首を傾げてしまう。あれは…食べ物の袋に入っている、やつ…?食べれません。って表記のあるやつ…?なぜそんなキーホルダーを付けているんだともう一度目線を顔に向けた瞬間だった。
 「あー!あの時の!」
 「えっ?」
 彼女は大声を出して、思い出したー!久しぶりー!と微笑んできた。なんの話しだろう。
 「どこかで…お会いしました?」
 「あ、私が見かけたんです!ここで!男の子といらしてましたよね!」
 「あ、はい、来ました。」
前に先輩と来た時に、近くに座っていたらしい。
 「上手くいけばいいなって聞き耳立ててしまいました!あの時は大変失礼いたしました。」
なんの謝罪だ…!言わなくてもいいだろそれ…!
と私こそ叫びそうになったが飲み込み、「はぁ」と勢いに負けた返事をした。
 「あの、…大変申し訳無いのですがお聞きしても宜しいですか?」
 「なんですか?」
 「あの方とは、上手くいきましたか?」
タイムリーな話に、耳の奥でキーンと音が鳴る。
この女性には申し訳ないが上手くはいってない。先日振ったばかりだ。
 「……いいえ」
 「あ、そうなんだ」
気まづい空気になるかと思ったら、「かっこよかったけどねー!」なんて微笑んできた。むしろ気まづそうにして欲しさまで感じる。
 「で、なんで?」
ヅカヅカと踏み込んでくる。この人は一体、、?
「人を好きになれないんです。」
「なんでー?」
「すぐ、蛙化?しちゃうんです。」
彼女は、そうなの。と目尻を下げた。そんな優しい表情をする話では無い。蛙化って、あんまりいいことでは無いけど…

「ちなみに私は片想いです。」

恥ずかしそうに呟いた彼女の小さな、大きな秘密。打ち明けてくれたこともかなり嬉しいが、なんだかワクワクしている自分がいる。見知らぬ誰かと名乗らず話すことがこんなに楽しいことだと知らなかった。
 「あの、」
聞きたい、私の声に優しく返事をする彼女のことが。
どんな人が好きでどんな人と笑いあって、どういう恋愛をしてきたか、
 「その人とは上手く行きましたか」
 「親友と結婚式しちゃった」

 楽しかったフロアが、一気に音を下げ、時が止まるそんな感覚。
余計なことを聞いてしまった。彼女だけが知らぬ顔でコーヒーを一口含み、軽く私に微笑んだ。
 なぜそんなにも平気なのだろうか、私だったら部屋にこもってしまう。生きる理由さえ見つけることが難しくなる。なぜなら、こんなにも好きになれなかった人生において、せっかくの好きな人なのだから。
 「いいんですか?それ。」
 「どうすることも出来ないしねー」
 「でも、」
 私の言葉を遮るように目の前に置かれたスコーン。
 「サービス。」
ぶっきらぼうに去っていく店員は、端正な顔立ちにすらっとした佇まい。モテる代名詞って感じの人だった。それにしても態度が悪かった。
 「ごめんね、悪気はないんだよ!」
 友達なんだよねーと笑う彼女は、その人を見て思い出し笑いをするように口元を押さえた。
 「あんな、冷たいのお客様から苦情来そう……」
 「そー?意外と良い奴だよ?」
聞く話によると、彼はここのバリスタらしい。見た目だけで言えば充分にモデルなど出来そうだが、本人の感じは興味無さそうだ。周りをよく見ると、彼のファンであろう女性たちが割と多く座っている。なんだ、人気あるんだ、と少しだけガッカリする。
 「タイプ?」
 「何がです!?」
 「あーいうの」
彼を指さす彼女に、私は慌てて否定する。
 「無いです!無い!」
 「カッコいいと思わない?彼女いないよ?」
 あまり得意では無いことをわかっていて聞いてきてる彼女は悪戯そうに笑う。そんな彼女に対してむしろあなたの方が惚れそうですよ、なんて心の中で呟いた。
 優しく楽しい時間はあっという間だった。2人でお店を出た時、「あ!」とお互い声が揃う。
 「名前、聞いてませんでした!」
 「うん、そうだね。斎藤雪子です。好きな季節は夏です!」
 「米原祭です。学生です。好きな季節は冬です!」
相思相愛だね、と微笑んだ彼女に私は初めての感情を抱いた気がした。

一つだけ聞きたいことがあった。

「蛙化って、どう思いますか?」
なんて言うのか不安で、服の裾を必死に握る。

「そんなの、人それぞれよ。」
「でも、毎回起こしてしまうんです。」
「毎回、相手に期待して、怯えてしまうのね。きっと次は良い人だよ!その次もまた次もね。」

ばいばーいと手をヒラヒラさせて帰っていく。

友達とか、愛とか、友情とか恋愛とか、そういうカテゴリーとは違う何か。
思わず大きな声で叫んだ。

 「また会って欲しいです!」
 「勿論です!」

 彼女のそばかすと柔らかな髪を忘れることは出来ずに、思い出を抱きしめながら駅まで歩いた。


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