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「ガイジン」って

ども。

一切の実務に関わっていない人間がこんなことを発信するのもアレですが、、、

前回の記事では多文化共生というか多文化主義を若干ディスりました。

その上で多文化共生の実現方法を論じるのも少しズレている気がしますが。

1.他のガイジンは怖いけど、、

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これはつい3日くらい前にとある日本在住の外国籍の方に伺ったお話なのですが、日本人の同僚に「他のガイジンは怖いけどあなたはガイジンみたいじゃないから怖くないよ」と言われたそうです。よくありそうなエピソードですが、大変興味深い。

ここで社会学徒的にまず1点目に焦点を当てたいのは、ここでいう「ガイジン」とは誰か、という問題です。一般的に考えれば、「日本人ではない人」つまり「肌の色が異なる」「顔立ちが日本人的でない」「日本語を話せないか、たどたどしい」人のことを指すのでしょうか。しかし、先述の彼は少なくとも前の2要件は満たしています。そういう意味で「ガイジン」には違いありません。

では、何が彼の「ガイジン」性を失わせたのか。

私は、「顔の見える関係性」、それも、「顔が見えてコミュニケーションが取れる関係性」、この要素が大きいのではないかと感じます。

異なる他者への想像力が求められる今日でありながら、自分と全く境遇が異なる、見ず知らずの人への想像力を向けることはたやすいことではありません。しかし、実際に膝を突き合わせてコミュニケーションを取ることで、相手への想像力を持つことが容易になります。

そして2点目、なぜ「ガイジン」は怖いのか。これもきっと、自分の想像力の及ばない全くの他者だから、ではないでしょうか。

2.どうやって全国規模に拡げるか

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私は彼にお話を伺って、「ガイジン」の語がひどく曖昧に使われていることを可笑しく思うとともに、多文化共生の可能性について非常に勇気づけられました

日本の人口の2.2%が外国人です。100人に2人と考えれば多い気もしますが実際皆さんの肌感覚的にはどうでしょうか?

偏在が甚だしく、(特にコロナ禍で外出自粛が求められる中で)私の身近なところではなかなか出会う機会がありません。だからこそ、1年前に国際社会学の講義を受講するまで、日本に住んでいる外国の方のことなんて、想像だにしなかった。

「顔の見える関係性」これこそがカギなのだと思います(日本語の壁については今回は言及しません)。もっと言えば、幸せな出会い方、も大切かもしれません。初対面でうまくいかなかった場合に、それっきりで終わるのではなく。(勤務先の同僚であれば、否が応でも長い時間を共に過ごしますから、ファーストインプレッションが悪くても、その後の改善が望めます)

問題は、どうやって外国の人と日本人が良好な、顔の見える関係性を築けるようにするか。パッと出てくるアイデアはいくつもあります。

国際交流パーティー。多文化共生フェスティバル。

ただ、こういったものには個人的にははなはだ懐疑的です。もともと外国の方との交流に興味のある、ごく限られた一部の人しか参加しないのではないか、と思えてなりません。(実際そうではないですか、、???あとついでに言うと内向的な私のような人はパーティーには参加しづらいのです、、)もちろん、そのような日本人を中心に、輪が広がっていく可能性も無きにしも非ずですが、、。

むしろ、外国人嫌いな日本人との間の断絶が深まるばかりではないでしょうか?「国際交流好きな日本人が、私たちと違う他者として離れていく」感覚というか。

3.否が応でも

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今は、ある意味、外国人集住都市の住民と、日本各地に点在する国際交流好きな人だけが、日本に住む外国人の方と(好むと好まざるとに関わらず)接触をしている状況にあります。

しかし、近い将来、必ず、それ以外の多くの都市や多くの人にも、そのような機会が必ず増大するはずです。(そしてそれは日本人にとっても多くの利益がある素晴らしいこと)

同じく先日聞いた大学のクラスメイトの発言も印象的でした。

「ダイバーシティは社会的には素晴らしいことだけれど、自分の身近ではあまり起きてほしくない。疲れてしまう。」

私自身、外向的な性格とはあまり言い難いので、すぐに適応できるとは思いません、が、そうも言っていられない時代がすぐそこまで来ています。アメリカでも西欧でも起きてるように、ひとたびトランスナショナルな関係性が異国の地との間に築かれれば、見慣れた景色が急速に多文化化していきます。

いきなり異文化に浸されると身も心もついてきません。やはり、エベレストの高度順応の如く、今のうちから外国の方と膝を突き合わせる経験を少しでも日本人一人一人が持つことが大事なのではないでしょうか?

「多文化共生は素晴らしい」と主張するだけでは、周囲の人たちを巻き込むことはできません。いかにして彼らに、多文化共生のメリットを感じる機会を与えるか。それも、できれば能動的に参加しなくても受動的に与えられる状態が理想。

答えはまあ、そう簡単には出ませんね。

4.日本人はニュートラルか

以前、ヨーロッパの学生に「日本は外国人にフレンドリーなのか、そうでないのか」と問われたことがあります。

自分はその時咄嗟に、「今はあまり外国人との接触がないからみんな無知だけど、嫌っているわけではない。ニュートラル。」と返答しました。日本人代表として。笑。

ただ後々思い返すと、本当にそうなのかな、と思ってしまうことも多々あります。けれど、そうであってほしい。良くも悪くも外国人と交流や共生をした実経験をほとんどもたない日本人。だったら、今ならヨーロッパのような排外主義旋風が吹き荒れる前に、何かの手が打てるはずです。

だからやっぱり、外国人との共生社会について、今こそ考えるべきなのだと思います。


すいません。何ら解決策は示せず、ひたすら問題提起だけして筆を置きます。月並みなことしか言っていませんが、何か考えるきっかけになれば幸いです。


おわり。

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