母親という生き様
私と母は顔も性格も考え方も似ていない。
似ているといえばチョコ菓子の好みくらいだと思う。
母は18歳で姉を産み、20歳で私を産み、その後も産み続けて6人の子どもを持った。
母が第6子を産んだのは、ちょうど今の私の年齢である。
たまたまが重なり私は妹が産まれる時に立ち会うことになったのだが、逆子の難産は思春期の私には相当なトラウマとなった。
私が子どもの頃両親は色々とうるさく、口答えは許されず、後でやる〜も許されず、毎日何かしらの習い事をこなし、家事は当番制であったにも関わらず、男は女はという前時代的な考えから姉弟間の不平等に鬱憤を溜めたものだ。
私は家を出ることだけを目標に高校3年間バイトに励み、資金を貯めた。
そして私の高校卒業、姉の短大卒業のタイミングで2人で家を出た。
私や姉が母とよく話をするようになったのは、
30歳を過ぎたくらいからだ。
私たちを前にして、母はよく「あんたたちに、ああしたったらよかったな、こうしたったらよかったなってこと、今思ったらいっぱいあるわ。私もまだ若かったから。」と言う。
シャンプーを水で薄めてかさ増ししたりせんかったらよかったわという些細なことから、
ピアスの穴開けたくらいであんなに怒らんと、ええやん!て言ってあげればよかったわとか、
進路もっと自由に選ばせてあげればよかったわという人生を揺るがすことまで、
母の子育て前期における気付きは幅広い。
「でも、下の3人にはあんたたちに気付かせてもらったこと反映してるから。ありがとうやで〜。」
とも言う。
そんな母がつい最近、
「あんたたち見てたら、私何にもないなぁと思ったわ。」という衝撃の発言をした。
母は、人と比べてどうこうというような人ではないと思っていた。
母親として生きていることに満足している人なのだと思っていた。
むしろ私たちが欲深く、自分の人生に何足ものわらじを履き倒して生きているだけ。
母のように、子ども産み育てることに喜びを感じて、一生をそれに費やして生きていくことも、
新卒から同じ会社で勤め上げて定年退職するサラリーマンと同じで、一つのことを一生懸命やり遂げることだと感じているのだと思っていた。
「何もないって何が?」と尋ねた時の私は白々しいことこの上なかったと思う。
私はずっとそう思っていたのだ。
母が言葉にするずっと前から。
母親として生きていることに満足していると思っていたのではなく、
母親たるものそういうものなんだろうと勝手に決めつけていたのだ。
高校を中退して以降、趣味らしい趣味もなく、キャリアと呼べる仕事もなく、着飾ることもせず、ただ子どもを育ててきた。
そりゃ、たまに子どもを早く寝かせて父と食事に出かけたりしていたこともあったし、家族で旅行に行ったりもした。
奴隷のように子育てしてきたわけではないが、
全て家族を介してのことである。
今、54歳になった母は子どもたちを見て、
私たちがメイクの話をしたり、姉妹4人で食事に行ったり、仕事の話をしたり、旅行に行った話をしたりするたびに、母は自分が私たちくらいの年齢だった時のことを考えたりするらしい。
そして、私何もしてきてないから何もないやんと思うのだそうだ。
おかしいかもしれないが、私はとても嬉しかったのだ。
子育て一辺倒だった母が、自分自身のことに目を向けてくれたことがとても嬉しかった。
そんなことを考える余裕ができたのだと思った。
母が選んだ人生とはいえ、出張でほとんど家にいない父に家事育児の分担などはなく、ワンオペで子育てをしてきた母は、おそらく20歳の頃も25歳の頃も30歳の頃も、同世代の女性たちがどのように過ごしているのかなどと自分と比べる余裕すらなかったのだろうと思った。
そんな母の人生のおかげで私や姉弟妹たちの人生がある。
あんたたちがどんな風に生きて、何に幸せを感じてるかその生き様さえ見さしてくれたらええわと言う。
20代や30代の頃と同じようにはいかないが、
母には今だからできることをどんどんやっていってほしい。
私も今だから母にしてあげられることがあるはずだ。
そう思っているが、母に何したい?と聞くと、
「NetflixだけじゃなくてHuluもみたいんやけど…いける?」
と言われた。
全然いける。
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