瞑想と夢見(5)20220531

冥想と夢見(5)

2022年5月24日から書き始める

自我とはなにか

前回(4)で、13蛇の道について説明した時、13の数理の扱いは二種類あると書いた。ひとつは、これまでひとつの世界は12感覚という12の単位で作られているが、これは時間意識を空間の中に墓に入れるように埋め込んでしまい、時間意識は、そもそも意識と結び付いているので、この存在は、このひとつの世界の空間とともにいないと存在しえない。世界から切り離したとたんに存在しなくなるのだ。
 この時間と空間の密接な連動を分離するには、12の区画を13にする。これがホゼ・アグエイアスの13の月の暦ということになる。ユダヤでもこういう使われ方はしていたが、空間の中に埋め込まれない人たち、つまり生活者ではない神官たちが活用するようなものだった。
 空間が時間を支配してしまうというのは、三次元人間に言えることであり、四次元意識は、ミンコフスキー時空のように、1次元時間プラス三次元となり、三次元空間と、時間は異なる座標だと認識されている。細かく言うと、このミンコフスキー時空の1次元時間は、特定の空間と密接に関係し、切り離せないので、時間は別座標と言え、やはり空間から自由な時間が存在するということはない。
 13数理の使い方の、もうひとつは、12世界系と、異なる12世界系を繋ぐための架け橋として、13が使われるということで、これはいままで説明したように、世界を12から13に分割するというふうに直接世界に介入はしない。これまでの世界をそっとしておいたまま、こっそりよそに移動するのだ。あるいはよそを覗いている。注意力そのものが人間であるということからすると、このよそを覗いている段階で、自分の一部はそのよその世界にいる。

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