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地球絵画(4786字)

 〝地球絵画〟プロジェクトは人類が地球から脱出する数年前、ピピ・エルダーがバスルームでシャワーを浴びているときに誕生した。エルダー家は祖父の代から宇宙空間での建設を行う工務店を営んでいた。父親の代まではあくまで下請け会社の域を出なかったが、ピピの代になると宇宙建設ビジネスのブームもあり会社は拡大していった。エルダー・エンジニアリングとして上場すると名の知れた総合建設会社へと成長し、ピピ自身もそこの役員として働くようになった。
 人類が地球からテラフォーミングされた惑星へ移住する準備は順調に進んでいた。過去から続いた地球環境の悪化は収まるどころか加速を続け、どうしようもなくなった人類は新たな居場所を宇宙に求めた。約三年かけて地球の全人口を移住させる予定になっていた。ピピは地球を去ることについて複雑な感情を抱いていた。エルダー・エンジニアリングが今回の移住で莫大な利益を得ているのは間違いなかったが、そもそも地球を出なければいけない理由は人類自身の浅ましさによるものだ。これは自分たちが蒔いた種だ。テラフォーミングされた惑星もいずれ人類によって喰いつぶされるだろう。そうやって私たちの種は蝗害のごとく銀河の害虫としてこれからも生きていく。そう思うと、ピピはどこか気分が晴れなかった。
 シャワーを浴びながら、ピピは祖父とみた光景を思い出していた。彼がこの仕事に興味を持ったのは祖父の影響だった。月面ホテルの建設を請け負ったとき、祖父は幼いピピを一緒に月へと連れていった。当時はまだ規制も緩く、孫一人を現場に連れていっても誰かが咎めることもなかった。整地された月面に重機で土台となる柱を埋めているとき、祖父の膝上から眺めた地球と宇宙の美しさにピピ少年は魅了された。何もない真っ暗な空間に青と白の混じった球体。あの景色を汚したことを彼は恥じた。シャワーヘッドから流れる水滴は地球に降り注ぐ流れ星のようだった。身体の汚れを流し終えて湯を止めたとき、ピピにあるアイディアが落下した。それはゴミなどではない、ロマンあるひらめきだった。

 地球絵画プロジェクトは地球を一つの絵画と見立て、宇宙空間に設置した巨大な〝額縁〟で惑星全体を囲うというものだった。当初、話を聞いたエルダー・エンジニアリングの社員たちはピピの下手くそなジョークだと思った。収益は試算するまでもなくゼロであり、とても通る案だとは思えなかった。エルダー・エンジニアリングは上場以降、市場でも着実に成長を続けており、こんな馬鹿げたプロジェクトを発表しようものなら株価も大きく下がるだろうと周囲の誰もが思った。そして案の定、ピピの提案は絵に描いた餅として却下された。

 祖父が建設に携わった月面ホテルから五十周年を祝うレセプションパーティーの知らせが届いた。受付で手続きを済ませたピピが太陰の間に入ると一人の男が彼に話しかけてきた。
「ようこそ、お越しくださいました。月面ホテルグループオーナーのロウです」
「はじめまして、エルダー・エンジニアリングの……」
「ピピ・エルダーさん!」
「はい、そうです」
「ようこそ、エルダーさん。お祖父さまにはお世話になりました」
 ロウは深々と頭を下げるとピピを広間の正面にある大きな出窓へと案内した。そこからみえるホテルの別館を指し、あそこの建設に祖父は携わったのだと告げた。様変わりした月面の様子にピピは驚いた。別館には商業施設やカジノが隣接していて、地球と変わらないように彼には思えた。ロウは建設時にホテル側の責任者として現場で作業員たちと仕事をしていたという。ピピが一度、祖父と月面に来たことを伝えるとロウは驚いた。
「もしかしてあの時の……」
 彼は端末を検索し古い写真を出した。それは月の地平線からのぞく半円状の地球を背景に祖父の側で笑う幼いピピの姿だった。脇には他の作業員やロウも一緒に写っていた。
「そうです! 私です」
「やはりそうでしたか! あの頃は楽しかったですよ、苦労も多かったですが」
 ロウは昔を思い出しながら控えめな笑顔を浮かべた。しかし、すぐにホストらしい凛とした表情を取り戻すと手を挙げてウェイターを呼んだ。
「しかしすごいですね、エルダー・エンジニアリングさんは。移住先の新たな居住区の建設や移送用宇宙艇の製造で株価もうなぎ上り。実は私も個人でエルダーさんの株を所有しているんですよ。優秀なお孫さんでお祖父さんもきっと鼻が高いでしょうね」
 ロウはシャンパングラスを取るとエルダーに渡した。二人は月面ホテルとそれに携わった人々に向けて乾杯した。
「ありがとうございます。ただ会社は大きくなり過ぎました。もうエルダー家のものではありませんから」
「どうかされたんですか?」
 親身なロウの表情にピピは思わず却下された計画について話した。
「なるほど、それはいい計画ですよ。私も出資しましょう」
 思いもよらない申し出だった。
「ほんとですか?」
「ええ。このプロジェクトは利益とかではなく人類として大事なことです。他の投資家たちにも呼び掛けてみましょう。風向きが変わるかもしれません」

 地球は自転の影響で赤道方向に対してわずかに膨らんでいる。そのため形は完全な球体ではなく楕円状であり額縁もそれに合わせ菱形で製造する必要があった。
 四つの辺を合わせて約五万二千キロメートルとなる額縁の製造は大きな話題となった。地球絵画プロジェクトが正式に発表されるとエルダー・エンジニアリングの株価は上昇し、ピピは役員を退きプロジェクトに専念することにした。
 製造はまず額縁の四角にあたるL字型の〝角金〟と呼ばれるステーションを地球の周りに四基建設し、そこを母体フレームとして数百に区切った額縁の〝辺〟となる部分を順に打ち上げてドッキングさせていく。四基の角金ステーションは地球の内核に通信用波動を送り、公転に合わせて全体の位置を調節するよう稼働している。辺の途中には支えとなるような小型の留金エンジンを設置して辺全体のバランスを保ち、ドッキング作業の妨げにならないようにしていた。
 四つの辺の接続が終わると、それらは一時的に地球を囲う〝環〟となる。そして人類の移送が終わると、環を立ち上げる。そうやって地球絵画プロジェクトの金色こんじきの額縁が完成する。

「エルダーさん! これだけの壮大な計画だ。私たちの名前を銀河の後世に刻むべきだと思わないですか? 額縁に記載するのです」
 ロウはプロジェクトが進むにつれ、少しずつ口を出すようになっていた。最初の内はピピも軽く受け流すようにしていたが、より資金が必要になってくるとロウをはじめとする出資者たちの干渉は大きくなってきた。ロウの提案は会社の経営陣からも支持された。彼らは立派な人物たちの名を残すべきだと主張した。地球絵画プロジェクトはいつのまにか人類の偉大さを誇示するモニュメント計画となっていた。
 額縁には地球の歴史を壁画のように描きたいとピピは考えていた。四十六億年の軌跡をフレームに模様として刻む。額縁は未来に対してのアルタミラとなってほしいと彼は願っていた。宇宙に浮かぶ額縁では約一センチメートルが人類の一年ほどにあたる。地球と比べれば、どんなに生きようとも人間の一生などせいぜい一メートル程度の長さだ。最後までピピは個人の名前を刻むことに反対したが、結局、数の原理には敵わなかった。

 最終的に偉大な人々の名前が刻まれることはなかった。移住先の新しい星では地球での所得や財産に応じて居住エリアが決まることになっていた。それに合わせた不動産の販売がはじまると、出資者たちの関心もそこへと移っていった。移送コストの増加などで土地や建物の価格は当初の想定より高騰していた。そのため、地球絵画プロジェクトに金を使うことは無駄だとロウたちや会社は判断した。
 地球絵画プロジェクトは最後の辺の三分の一を残して頓挫することになった。地球の周りには半端に欠けた額縁が残った。人類は最後にして最大のデブリを置いて去ることにした。

 ピピの元には移住先の州政府からの通知が何通も届いていた。これまでの貯蓄が底をついたため、彼は今後最も低い居住ランクで生活する。低所得者の住居は抽選となっていて、そこで漏れるとコクーン型の集合住宅で暮らすことになる。それに対する必要手続きの催促だった。
 ピピはまだ地球に、正確には第三角金ステーションに一人滞在していた。人類全体の移住は二月ほど前に完了していた。地球絵画プロジェクトの頓挫後も、ピピは私財を投げ打って額縁を完成させようとしていた。
 ステーションからの遠隔操作で地上から一つずつ辺を打ち上げ、重機を使い自らドッキングしていく。元々、現場作業員の家系のピピは淡々と作業をこなしていくだけの時間が不思議と居心地良く感じていた。作業工程は残り三分の一ではあったが彼一人では時間がかかった。それでも忙しく働いていた頃よりずっと気分は落ち着いていた。ステーションから眺める人類の居なくなった地球は、どことなく静かできれいになったような気すらしていた。
 最後の辺が地上から打ち上がった。大気圏を抜け、ステーションに向かってゆっくりと上昇してくる。シャボン玉を優しく包み込むように重機のアームでそっと辺をつかまえる。これはジグソーパズルの最後のピースだ。左右両方の辺としっかりつなげなければいけない。だが何度調整しても、どちらか片方の接続がうまくいかなかった。計算に問題はない。宇宙空間で重機や辺を固定させるのは難しく、ただタイミングが上手くいかないのだ。
 ピピは宇宙空間で作業する用の小型重機と船外パワースーツを用意した。

 音のない暗闇に飛び出すと不思議と懐かしい気分にピピはなった。まるで、ここが自分の故郷であるかのようだった。祖父と月面でみた静かで厳かな宇宙に彼はたった一人で立っている。パワースーツのジェット噴射を利用し接触不良の作業場に到着するとワイヤーを引っ掛けて準備にかかった。辺同士の接続部分を小型重機でつなげていき、端末でステーション内のシステムに入る。まだエラーだった。ハンドレールをつかみ身体を回転させ、反対側にまわるが接続そのものに問題はなさそうだった。何度か辺同士を接続し直すと、ようやくシステムからオッケーの値が返ってきた。
 額縁が完成し彼の仕事はあっけなく終わった。それは同時に彼の人生がある意味で終わったということでもあった。これから彼を待つのは新たな星での息苦しい生活だ。間近でみる金色の環は壮観だった。思わず、ピピは足場を蹴って宇宙空間に飛び出した。今、彼は宇宙にその身を委ねた。彼の身体は少しずつ額縁から離れていき、危険を知らせるアラートが小型重機から発せられる。だが、もうこのままでもいいような気がしていた。回転しながら宇宙のなかを進むと命綱のワイヤーが限界までピンと張り、反動でピピは額縁の方へと戻っていった。自ら引っ掛けたワイヤーだったが、大きな喪失を経て、ピピはその存在を合理的に考えることは出来なくなっていた。身体に走った衝撃で、ようやく自分がこれからも生きていかなければいけないことを痛感した。彼はパワースーツのなかで大声を出して泣いた。

 四基の角金ステーションが額縁として起動する。留金エンジンによって、金色の環がゆっくりと立ち上がっていく。ピピは宇宙艇のスピードを脱出速度まで上げ、地球の衛星軌道から外れたところで、その様子をみていた。傾斜が大きくなるにつれ、彼は自分の仕事に対する達成感に包まれていった。額縁が完全に立ち上がると、そこには黒の背景に浮かぶ美しい星があった。
 ピピはたった一人で地球絵画を観賞した。全宇宙で彼のためだけに開かれた贅沢な展覧会だった。【了】


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