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とりま、ビール(3659字)


「あんた、スーツしわくちゃじゃないの! クリーニング出しておいで。急ぎで出せば成人式に間に合うから」
「式は行かないよ」
「えっ、そうなの?」
「帰ってくる前に電話でも言っただろ。ばぁちゃんにスーツ姿を見せるっていうから持ってきただけ。でも意味あるの? もう誰が誰かわかってないんだろ?」
「認知症の発見が遅れたせいで進行も早かったからね。この前なんか隣のベッドの人をお母さんだと思ってたくらいだし」
「そこはナノマシンが普及する前の時代の人だから仕方ないけど……やっぱ持ってくる必要なかったじゃん」
「でもいいの! やる前になんでも思い込んじゃだめ。実際いってみると、調子が良くてあんたのことわかるかもしれないし。とりあえず出しておいで」
 冷えた風が乾燥した頬に当たりピリッとした痛みが走る。故郷の冬はこうだったと畦道を歩きながら思った。大学に進学してからは一度も地元に戻っておらず、二年ぶりの帰省だった。一車線の県道に出ると、白線で仕切られた細い歩道を歩いていた。クリーニング屋の店員によるとこれから午後の分を出すらしく、翌日の朝には仕上がるとのことだった。帰り道のコンビニで缶コーヒーを買おうと立ち寄り、レジで会計を終えると掌を機械にかざした。病気や身体の異変を早期に発見するために僕らの体内に入っているナノマシンには、今や様々な個人情報も入っていて掌に埋め込んだ読み取り用チップで精算もできるようになっている。
「あれ? 藤原じゃん!」
 振り返ると、金髪の男が僕に話しかけてきた。一瞬わからなかったが、クラスの中心人物だった菊田だった。彼のかごには酒のつまみやポテトチップス、缶チューハイが数本入っていた。
「お前、帰ってきてたの?」
「ちょっと用事があってね」
「来週の成人式で?」
「いや、家の用事かな。じゃあ、また」
 店を出て、足早に家へと向かった。あの様子だと何も覚えていないのだろう。菊田たちからしたら、ちょっとした悪ふざけに過ぎなかっただけだろうし。鼓動が速くなっているのがわかった。高校二年のときにあった学園祭の打ち上げでのことだった。僕は会場となっている国道沿いにある食べ放題の焼肉店の前でクラスメイトたちを待っていた。だが開始時間になっても誰も店には来なかった。道を挟んで反対側にはいろんな路線のバス停が並ぶロータリーがあって、そこを行き交う人々を目で追ってクラスメイトたちを待った。結局、一時間ほどそのまま過ごし、そのまま帰った。後日、知ったのだが、打ち上げは違う場所で行われていて僕だけ違う場所を知らされていたようだった。それの何が面白いのか未だにわからないが、僕はそのときに察した。菊田たちからみるとどこか気に食わない部分が僕にはあって、一種の警告を与えたのかもしれない。歩いていると、突然目の前に菊田の原付が停まった。
「そうだ。駅前に居酒屋あるじゃん? 成人式に合わせて地元に戻ってきてる奴らも多いし、明日飲み会やることになってるんだ。八時から予約してるから藤原も来いよ。じゃあな」

 居酒屋の座敷席には全部で二十人くらいの同級生たちが集まっていた。奥の席にいた菊田が立ち上がり、僕を手招きをした。
「本当に来たんだな! 反応薄かったし、来ると思わなかったわ」
 僕は奥歯を噛みしめた。
「いや。たまたま空いていたから」
「そうだ。はじまる前に、これ。いっぱい楽しめるように飲んでおけよ」
 〝フロー〟は薬局やスーパーで買うことができる認可薬で、黄色のショート型と水色のロング型の二種類がある。どちらも脳神経に作用し、時間認知感覚を鈍らせる役割を持っている。ショートは実際の時間より短く、ロングは長く。僕も受験勉強や試験前などにショート・フローをよく使っていた。
「で、藤原は何にする? ビールでいい?」
「じゃあ、コーラで」
「えっ、飲まないの?」
「まだ十九だから」
 個人情報を含んだナノマシンが体内にあるおかげで、アルコールや煙草の年齢確認は不要になっている。もし未成年が摂取すれば自動で検知される。大学の新歓パーティーなどでかつてあったという新入生が救急車で運ばれる事態もなくなった。
「誕生日いつ?」
「……明日」
「マジかよ、残念! もうちょいだったな」
 飲み会が進むと赤ら顔の数が増え、周囲の声も大きくなっていった。壁にかかっている時計をみると、まだ一時間しか経っていなかった。フローのせいで飲み会が余計に長く感じる。参加したことを少し後悔していた。別の席に移っていた陽気な菊田が僕のところにやってくると、ジョッキグラスを机に乱暴に置いた。
「藤原、悪い! お前に言わなきゃならないことがある」
 身体に緊張が走った。
「なに?」
「連絡先交換しよう! またこっち戻ってきたときに飲もうぜ」
 力が抜けた。高校時代から溜まっていた不満で鋭い口調になった。
「いや、いい。多分しばらく戻らないし」
「……そっか」
 菊田はばつが悪そうにジョッキに口をつけた。
「あとさ!」
 一度感情が緩むと、蛇口からひねった水のようにもう止まらなかった。あの日のことをすべて話した。大学に進学して、僕には別の居場所もできたし構わなかった。
「何の話だよ?」
「覚えてもいないってことか?」
 早口でまくし立てながら周囲の視線をしっかり感じていたが、そんなことはもう関係なかった。
「ちょっと思い出してきた……たしか参加人数が減ったから場所変えたんだよ。だから、その連絡がうまく伝ってなかったのかもしれない」
 店を出る頃にはすっかり力が抜けていた。ただの連絡ミスだったとするなら、自分の高校時代はなんてくだらないんだろうと思った。飲み会を終えた同級生たちが散り散りになり、僕も帰ろうとすると腕をつかまれた。振り返ると菊田が大きく息をしながら、腕を引っ張った。
「悪い思いさせてすまなかった。誕生日プレゼントに酒おごるよ。いいところがあるんだ」
 二次会に残ったのは、僕や菊田を含めて数人だった。終電が過ぎた真っ暗な線路を抜けると明かりが点々と灯る繁華街に入った。菊田が連れてきたクラブは大学の中教室ほどの小さなフロアだった。年季の入ったミラーボールとフロアの正面にDJブースがあり、壁側の小さな階段の先に後から作ったであろう透明なアクリル窓がついたVIPと書かれた個室があった。僕らはフロアの後方にある高い椅子の丸テーブル席に座った。
「ビールなかったからこれで」
 菊田たちはカウンターで買ってきたテキーラのショットグラスを僕に渡した。僕らはせーので一気にグラスを飲み干した。そして音程の合わないハッピーバースデーを菊田たちが歌った。喉を通過したテキーラが胃から全身に広がり、身体が熱くなってきた。
「藤原、どうだ?」
「なんか熱い」
「最初のうちはそんなもんだ」
 菊田は笑うと残っていたテキーラを飲み干し、カウンターに再び向かっていった。初めてのアルコールで酔っぱらった僕は何度かトイレで吐いたあと、テーブル席でぐったりしていた。どれくらいの時間が経ったのかわからないが、頭がぼーっとしていた。気分は悪かったが、なんとなく今は楽しいものなのだろうと思った。菊田に悪いことをしたと思った。
「おい、藤原。大丈夫か。ほら、水」
「ありがとう」
「俺も最初はこんな感じだったわ」
「あのさ……」
「どうした?」
 僕から連絡先を聞こう。端末をポケットから取り出そうとすると、掌の中心が赤く光っているのに気づいた。店内のライティングではなかった。読み取り用のチップだ。それが点滅している。なぜだ?
 そのとき、警官が重たい扉を開けて入ってきた。

 フローのせいで時間感覚が鈍り深夜のように感じていたが、実際はまだ日付をまたいではいなかった。身体が熱かったのは過度なアルコールを検知したナノマシンが過剰反応していたためだった。未成年がアルコール成分を一定量摂取すると、位置情報とともに警察に通達される仕組みになっていて、それで僕は補導された。
「まぁ、次から……もう次はないのか。とにかく気をつけてください」
「はい」
 警官は調書を登録すると、もう帰っていいといった。警察署を出るともう朝方だった。国道に出ると解体用の重機が並ぶ広い更地があり、そこに菊田が立っていた。
「ずっといたの?」
「まぁな。俺のせいでもあるし」
「いや、菊田のせいじゃないよ。俺がフローのこと忘れていたんだし」
「ほら」
 菊田が差し出したコンビニの袋には缶ビールが入っていた。
「今度こそ初めての酒なんだから、とりあえずビールだろ」
 ブルーシートのかかった資材の上に座って缶ビールを開ける。
「こんな所あったっけ?」
「お前、本当に地元のこと興味ないんだな。昔、焼肉店だったところだよ」
「そっか。ここか……」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
 ロータリーに停車していた始発のバスたちが次々と出発していく。運転手や乗客たちが白い目でこっちを見ていたが、悪い気分ではなかった。フローがまだ効いていることを願って、ゆっくりとビールを飲み干す。【了】


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