見出し画像

「24時間熱海のことを考えたい」と、思い切って戻った生まれ故郷 市来広一郎×糀屋総一朗対談1

ローカルツーリズム株式会社代表・糀屋総一朗と、地域で活躍するさまざまな方の対談、今回は株式会社machimori代表取締役 / NPO法人atamista代表理事の市来広一郎さんをお迎えしました。生まれ育った熱海をまちづくりという形で再生させ、「熱海の奇跡」と呼ばれている取り組みとは、どんなものなのか。3回連載の1回目は、市来さんがまちづくりに関わることになったきっかけ、どうやって地元の人たちを動かしていったかについてです。

生まれ育った熱海で「なにかしたい」

糀屋:この前、市来さんの本を読み返していたら「これは自分が書いた本じゃないか?」と錯覚するぐらい(笑)、「悩みは一緒なんだな」って思って。今日は市来さんがいままでやってこられたことを伺いながら、僕の話も聞いていただければと思います。

ーー市来さんは熱海での活動を始められる以前というのは?

市来:東京でコンサル業界のサラリーマンとして働いていたんですよ。元々高校生の頃から、30歳くらいになったら地元で何かの仕事はしたいとは思っていまして……。当時、結構、バックパッカーで海外を旅していたんですが、その中で、地元、熱海の街のポテンシャルっていうのに改めて気づいたところはあったんです。昭和のままの雰囲気が残っているみたいなことも含めて面白いなと思ってたんですけど、そういう、「この街が積み重ねてきた良さ」みたいなところですね。

画像3

2000年代半ばぐらいには、熱海の街がどんどん寂れていく一方で、規制が緩和されたことによってリゾートマンションとかがどんどん建ち始めました。いいところもあった反面、なんか「東京と変わらない風景」になっていくところに危機感を覚えました。熱海の街の良さが、誰からも評価されずに消えていく。それがもったいないなと思ったんですよ。何十年、何百年かけてできてきた、熱海が持っている良さ、強みみたいなものをちゃんと受け継いで、新しい形を作っていけないかな? って考え初めて……、そういうことをやる人って他にいなさそうだし、もう自分でやるしかないって思い始めたという感じでしたね。

糀屋:そういう中で何かできないかなってことですね。

市来:仕事を辞める半年前ぐらいから、週末の休みに熱海に行って活動するみたいな感じになっていたんですけど、週1日熱海に行ったところで何もできないなと思って。いろんな人の話を聞いているたびに、やりたい気持ちがふつと湧いてしまったので、もっとどっぷり浸かってやりたいなと思ったんです。あんまり後先考えずに、とりあえず1年間はとにかく熱海のことだけ、24時間、熱海のことだけを考え続けたいみたいな思いが大きくなってきました。

それで本業の仕事が手につかなくなってきて、迷惑かけるなと思って、「これはもうやめよう」と思って、それでやめちゃったという感じです。会社に入ってまだ4年目ぐらいで、徐々に仕事が面白くなり始めてきた時期でした。ただ、逆に言えば「この仕事で面白いんだったら、自分のやりたいことやったらもっと面白いんじゃないかな」と思いまして(笑)。熱海に帰ってきたのが2007年です。

収入、ゼロからのスタート

ーー結構な決断ですよね。

市来:ちょうど給料も上がったタイミングで辞めちゃったんですけど、収入ゼロになりました。収入の見通しが何もないっていう状態になったので、そこからしばらくはNPOを立ち上げたりとかでいろんな活動をして、2011年に「株式会社machimori(マチモリ)」という会社を作りました。

ーー熱海に入られてから、アクションとしては最初にどんなことをされたのですか?

市来:まずブログを書き始めました。「街のこれから」とか、熱海にまつわるいろんなことを書いてたら、結構コンタクトくれる人たちがいて、そういう人たちとちょっと話をするようになったりとか。それで、そこからいろんな人の話をとにかくを聞いてこうと思ったんです。当時は地域SNSみたいのが流行り始めたタイミングだったので、熱海のホームページとか制作したりしてる会社さんと一緒に、街のポータルサイト的なものを一緒にやりましょう! ってことで、「熱海ナビ」っていうサイト立ち上げてメディアの運営みたいなことをやりました。お金には何もならないけど、とにかく取材をする口実になるっていう。それが最初ですね。(編集注:現在の「あたみナビ」は商工会議所の運営になっており、当時市来さんが運営していたサイトとは別のものとなります)

【わきさん撮影】福島屋3_MG_7063

ーーメディアは活動する上で大義名分にもなりますよね。

市来:メディアをやっていると、街のおじいちゃんおばあちゃんたちも、よくわかってないけど「そうか」みたいな感じのリアクションになってきて話をしてくれるんですよ。

糀屋:僕も「いろんな人に会いたい」「こういう人がいるってことをみんなに知ってもらいたい」っていうのもあってこのメディアをやっています(笑)。

これは僕の造語なんですけど、今「ローカルエリート」っていう言葉を使い始めてるんですよ。エリートって言っても、偏差値エリートとは全く違って、まさしく、今の市来さんみたいな人を想定してつけた言葉。要するに身銭を切って、投資をして、ちゃんと事業を起こせる人。で、かつ、やっぱり外の目を持ってるってのもやっぱ重要だなと思ってるんです。

いろんな地域の事例を見ていて、地域の根深い問題って「結構地元の人が一番地元のことを知らない問題」ってありますよね。僕が今、宿を運営している宗像市の大島でもそうなんですよ。島の人に「1泊10万円以上の宿」をやりたいっていうことを話したら、もう「そんな大島で無理やで」「大島は何もないから」みたいなことをおっしゃられる。外部からの感覚がないとやっぱり自信持ってサービスを売れないし、そこに高い値段をつけられない。市来さんの本を読んでても、そういうことに接してどうしたらいいかっていうことを考え始めてっていうところのくだりがありましたよね。

市来:それはありますね。

糀屋:それに紐づくのが、熱海のまち歩き&体験プログラム「オンたま(熱海温泉玉手箱)」の仕組みなんですよね。僕ら外部の人間が「この地域は魅力あるんですよ」みたいなことを地元の人たちに言うのは、やっぱり遠慮しちゃってなかなかできないところでもある。やっぱり地元の人が地元のことを知らないっていうのが、一番のネックなんじゃないかなと思っています。

人を繋ぐことで「価値」が見えてくる

市来:本当、おっしゃる通りですね。僕もそこの部分をどうしたらいいのか? って考えていて、最初にヒントを得たのは、「農業体験」のイベントをやったときです。参加者は熱海に移住してきた人とか、別荘を持ってる方々とか。その方達を地元の農園とかに連れて行っただけなんですけど、単なる農園からの景色にすごく感動して、喜んでもらえたんです。そこで食べたみかんも「美味しい!」って大感動。

画像2

地元の農家さんからしたらそんなの当たり前の景色なわけで、最初は「何がいいんだ?」って感じだったんですけど、参加者の方々の反応を見たらやっぱり変わるわけですね。それで、農家さんが思いを持って、丁寧に行き届いた環境でみかんを作ってることを熱く語ってくれたんです。そうすると、さらに参加者の人たちがそれに感動して、地域への認識が変わる。僕は、それを見て、「地元の人が、地域にとってちょっとよそ者な人たちと触れ合う」って大事だなと思ったんです。お互い、地域への認識が変わるきっかけになる。

いくら僕が「これがいい!」とか言っても駄目で、やっぱり実際に現場に外から人を連れて行って感動してもらう。そうすると感動された側の地元の人たちも「何だ、それがいいのか」っていう気持ちになる。さらに「だったらもっとこういうことができる」みたいな発想になってくる。そういう場面をどんどん作っていこうというふうに思ったのが、「オンたま」をやろうと思ったきっかけですね。

糀屋:そういう出会いの場、外から来た人たちと中の人とを繋げるような仕組みを作ったということですね。

市来:そうですね。3年で220種類ぐらいそういう体験会をやりましたからね。イベント的にやってたので単発のものもあるし、その後ずっと続いているものもあります。続けるかどうかは実際に動いた皆さん次第。体験を続けなくても、それをきっかけに商品が生まれたケースもありました。

糀屋:220種類! 全部、市来さんが関わってたんですか?

市来:企画の細かいところはスタッフやボランティアで関わってくれる方々がコーディネートしてくれたりしました。それに、地域の団体の方々がだんだん自分で作れるようになってくるので、僕自身はそれを指導していくという感じでしたね。そういうことができる人たちを「育てる」みたいな意識は強かったんで。

糀屋:うん。うん。

市来:だから一発でいい商品を生み出すっていうよりは、そういうものを作り続けられる人がどれだけ残るかっていうのはすごく大事だなって思いますね。

ーー実際に体験を提供する側の人たちというのは、ずっと地元にいらっしゃった方たちなんですか?

市来:ええ、地元で商売やってたりする方がほとんどです。NPOとかの中には移住者の人たちが作ってるものもありましたが……。3〜4年やって、後半になると移住者の人も「私も!」って始めてくれる人が出てきましたね。

糀屋:なるほどね。地元の反応はいかがでしたか?

市来:始める前は「こんなことしても何にもならないでしょ」みたいな感じでした。全然、協力してくれない(笑)。とあるお店の話なんですけど、「街歩きをするんで、その時にお店に立ち寄らせてもらっていいですか? 私、買いますから協力してもらっていいですか?」って言ったら「いやそんな面倒くさいこといやだ」みたいな話で(笑)。こっちはお客さん連れていくって言ってるだけなのに!って。

糀屋:(笑)。

市来:やる前はそんな感じ。ただ、実際にやらせてもらって翌日、挨拶に行ったら、ものすごい喜ばれたんですよ。横断歩道の向こうからすごい笑顔で手を振ってくれて「次いつやるの?」って。今まで笑顔なんて一度も見せてくれたことのなかったおっちゃんが(笑)。実際に連れてっいたお客さんたちが、すぐお店に来てくれたりしたらしいんですよ。何回かそういう街歩きを続けてたら、お店の方が、自発的にそれまでなかったお客さんへのサービスも始めるようになりました。

糀屋:そういうことなんだよね。

市来:元々、一般の観光客の人たちからのお店への評判では、「客への態度が悪い」っていうのもありました。でも、やってみてわかったことは「すごいシャイなんだな」ってことなんですよ。

糀屋:決して、悪い人とか、そういうのじゃなくて。

市来:そう。状況が昔と変わってきたので、お客さんとどう関わっていいかわからなかったんです。昔は団体旅行の人たちが買ってくれたけど、今は個人のお客さんがメインになっている。個人のお客さんって、ちょっとお店の人と会話をしたりして買うじゃないですか? そのときに何をしゃべればいいかわからなかったという。それまでの歴史が100年あって、こだわりのあるものを作っている店なんだから、それを普通に伝えたらいいんじゃないか? とは思うんですけどね。でも会話をしていく中で、決して他人の声を聞いてくれないわけじゃないってことがわかりました。

ーー何かしなきゃとは思うけど、取っ掛かりがなかったってことなんですかね。

市来:取っ掛かり、というより発想すらないって感じです。お店の人も年配の人が当時は多かったせいか「どうしよう?」って感じすらない。街として沈んでいってるので、そのままどんどんマイナスになっていくみたいな感じですよ。結果的にそのお店は、その後、娘さんたちが後を継ぐことになりました。そういう変化にも繋がったな、とは思います。

(構成・斎藤貴義)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?