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北海道周遊パス旅(08) 国鉄型車両使用特急【大雪】で旭川へ。

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一晩お世話になった、民宿ランプ
遮断機はおろか警報器すら無い踏切を渡る
石北本線網走駅

2021年12月31日大晦日、午前7時半の網走駅。待合室には十人足らずの乗客が居る。自由席に乗車するから早めに来た私は、自由席に座れるかどうか不安になっていたから、十人足らずの乗客の数に拍子抜けた。
今日は特急【大雪2号】で旭川、そして特急【サロベツ1号】と特急【宗谷】で稚内まで往復する強行軍だ。
改札開始まで時間あるので、暇潰しも兼ねて指定席券売機に例の券を入れて、この後に乗る【サロベツ1号】指定席検索すれば、残り10席少々。旭川始発列車だから自由席に並ぶ腹積もりだったが、これじゃあ仮に座れても恐らくは通路までぎっしりで息苦しい。なにしろ自由席は1両しかない列車だ。
ここは大人しく指定席に引き換えた方が良いかもと思い、進行方向右手窓側席を引き換えた。窓側座席では最後に残っていた席だった。

網走08:06発 特急【大雪2号】旭川行
キハ183系7550番台+1500番台4両編成
(撮影 網走駅)
特急【大雪】行先字幕

改札目の前の1番線にディーゼルエンジンを唸らせ、乗車列車である特急【大雪2号】が入り、発車10分前に改札開始された。車両はJR北海道で一番古いキハ183系の4両編成。編成内容は。

↑遠軽方面
①号車・普通車指定席
②号車・グリーン車指定席
③号車・普通車半室指定席・半室自由席
④号車・普通車自由席
↓網走・旭川方面

以上の編成。
列車を見れば、車体は塗装が所々剥落して痛々しい。何しろ1986年製で今年車齢35歳、もう廃車されても不思議ではない老朽車両だ。今やこの形式は石北本線特急【オホーツク】【大雪】にしか使われていない。何時引退してもおかしくないから、少し早い惜別乗車のつもりで、旅程に組み入れたのだ。
私は自由席4号車の最後尾席で進行方向左側席を確保し、そして再びホームに降りて、乗車列車を撮影した。私の様にホームで撮影するファンの姿もあった。

向かいのホームからも撮影
自由席4号車の座席

08:06、特急【大雪2号】旭川行、網走発車。ここ十数年、青春18きっぷばかりの利用だから、網走から特急に乗るなんぞ北海道ワイド周遊券があった20年以上前だ。自由席は数人しかいないのを良いことに、さっき確保した席に荷物を置いたまま、進行方向右手側の席に座る。網走市街地を抜け、オホーツク海沿いの街である中湧別を結んでいた湧網線跡が分岐し、車窓に網走川が並走した。数分程で網走川から網走湖に車窓が変わり、一面氷結した湖面に色とりどりのテントが見える。ああ、ワカサギ釣りしているんだなと思い、昨晩泊まった民宿ランプで買っておいたパンを朝食に頂く。

朝食堂は、宿で買っておいたパン

女満別、美幌と停車したが、乗車は殆ど無い。雪に覆われた畑を眺める内に住宅が増え、いつしか市街地になり、08:56、道東の大都市とも言える北見に到着。網走よりも都会だからどれだけ乗車するかと思ったが、4号車自由席には若い女性二人組だけで肩透かしと言うか拍子抜けする。今日は帰省ラッシュの当たり日で帰省ラッシュの逆方向とは言え、4号車自由席定員48席に乗客は10人少々は寂しすぎる。その過半数は旅行者で、地元利用者は片手で数えられる程度しか居ない。その旅行者は思い思いに過ごしている。車窓を眺める者、スマホに目を落とし車窓に目をくれない者、小型カメラGoProで車窓を動画撮影する者など。

北見を出たが、自由席の乗車率は2割程度

しばらく、雪に覆われた玉ねぎ畑の車窓を眺め、留辺蘂を発車したら列車は峠越えの山奥を進む。そして、鉄道建設の際に、網走刑務所に服役していた人々を動員させ、かなりの死者を出し、人柱として埋められた伝承がある常紋信号場跡地、そして常紋トンネルを通過する。昔は鉄道は人や物資を輸送する重要な交通手段だが、今や特急列車ですらガラガラ、貨物列車も季節限定でしか走らない。この現状、昔の鉄道建設に従事した方々が知ったら、どう嘆くだろうか。

遠軽で4分停車。エンド交換で自由席が先頭に。
遠軽駅に隣接する、巌望岩

09:51、遠軽到着。石北本線はここでスイッチバックする。その昔、北見・網走方面の鉄路は根室本線の池田から延びた線路によって結ばれ、そして北見から分岐し、オホーツク海の湧別を目指した線路が留辺蘂を経て遠軽に到達。その後、旭川から建設された線路が遠軽に到達し、今の石北本線の形が出来た。その為、網走方面はこの遠軽で分岐という配線になっている。
今や遠軽から湧別へ向かう路線が廃止され、石北本線だけが残ったが、線路配置はそのまま存置されたため、遠軽を越える列車は、ここでスイッチバックしエンド交換となる。
私が乗車している自由席が先頭になり、私の座ってる席は先頭になるが、この乗車している車両は前面展望が利く。網走で早めに自由席に並んだのは、この特等席を確保するに他ならない。せっかく特等席を確保出来たから、私はビデオカメラをセットし、前面展望を動画で収める事にした。

ビデオカメラをセットし動画撮影。
位置はタブレット端末で確認。
コンセントあるから充電しながら。
遠軽から旭川まで2時間、特等席で前面展望

09:55、遠軽発車。遠軽町のランドマークでもある巌望岩の傍を通過し、西へ進む。乗車車両の番号は、キハ183-1501。1986年に製造されたキハ183系1500番台の最初に製造された車両だ。

乗車車両はキハ183-1501

国鉄民営化直前に製造され、JR北海道になって道内を縦横無尽に走り、2000年には稚内行宗谷本線特急向けに新しい座席に更新し、トイレ・洗面所・壁面に携帯充電用コンセントを追設され、稚内行特急【サロベツ】で活躍。2017年に宗谷本線特急がキハ261系に統一されてからは石北本線特急として網走~旭川・札幌を結ぶ運用に従事している。宗谷本線特急の指定席向け改装だから、座席の間隔が広々としており、しかもコンセントもある。この宗谷本線向けキハ183系1500番台車両は、2両しか現存してないから、当たるかどうかは運次第。私は引きの強い自分の運を感謝した。
瀬戸瀬・丸瀬布・白滝と進むが、駅周辺に集落がある以外は、農地と林が続き、時々線路に並走する旭川紋別自動車道が見え隠れする。旭川紋別自動車道は遠軽まで開通しており、ほぼ全区間無料だから、ほとんどの車がそっちに流れるし、今乗っている特急列車の乗客もかなり流れただろう。昔の石北本線の特急は、超繁忙期は過去に私が見た中では、8両編成と長い編成を見たことがあるが、今は繁忙期でもせいぜい5両編成で事足りるまで減っており、石北本線自体も存続問題がちらほら聞こえてくる。車に乗れない交通弱者も、高速道路経由の高速バスに流れてるから、理由が無い限り地元民は、車両が古くて速度が遅いJRに乗らないだろう。
白滝を出てしばらくして、車窓は雪をかぶった原生林ばかりに。そして遠軽町と上川町の間にある北見山地の石北峠にある、全長4,329mの石北トンネルを通る。延々、暗闇を通り、前方から光が見えてきて、それが近付いたと思ったら石北トンネルを抜け、上越信号場を通過。昔は駅だったが、集落が無くなり駅から信号場に格下げされた設備。昭和初期には、石北トンネル建設基地として、鉄道詰所から建設請負会社の事務所や官舎等があり、かなり賑わっていたらしいが、今や時々駅舎に除雪や施設管理の係員が来るだけの無人の地になった。頭上には、石北本線を覆うかのように、旭川紋別自動車道が横切っている。石北峠を超え、上川盆地に入った特急【大雪2号】、上川に停車した後は、旭川まで無停車。車内は暖房が利いており、眠っている乗客も。車窓はと言うと、遠軽辺りまで晴れていて、眩しい程に車内に陽が差し込んだが、石北峠を超えると天気は一変し、空は厚い雲に覆われ灰色になった。私は灰色の前面展望を楽しんだ。

上川盆地は天候があまり良くなかった。

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